「18-29歳の白人リベラル層の半分近く(45.9%) は、過去に医師/医療従事者に精神疾患だと診断されたことがある」というデータ

ピュー・リサーチ・センター (Pew Research Center) の調査データを使用して、ザック・ゴールドバーグという名の大学院生が投稿したツイートが興味深かったのでご紹介します。この方は、社会正義について意識の高い人々について研究をしているそうです。

彼によれば、18-29歳の白人リベラル層の半分近く(45.9%) は、過去に医師/医療従事者に精神疾患だと診断されたことがあるそうです。同年代の中道は25.3%、保守は20.9%なので、白人リベラル層は明らかに高い数値を示しています。

ゴールドバーグ氏「私の関心事の1つは、リベラル派による社会改造や規範推進の取り組みは、それらが情緒的に脆弱な人や特定の人格プロフィールを持つ人に向けられたもののように見えるということだ。別の人格プロフィールを持つ人や情緒的に安定している人は、単に黙々と対処するのではないか」

ゴールドバーグ氏「私は白人リベラル層や、その精神疾患の高さを揶揄するためにこのスレッドを書いているのではない (あなたもそうすべきでない)。これは、あまり研究されてない領域であり、様々な社会政策に対する態度の違いにヒントを与える可能性があるのではないか (と考えて書いた)」

また男女別の内訳をみてみると、白人リベラル層18-29歳では、女性が 56.3%、男性が 33.6% と、男女差は大きく開いています。

ただし、ゴールドバーグ氏はこういう注意書きも付けています。「精神疾患診断の差は、単純に、または部分的に、白人リベラル層がメンタルヘルスの相談をする可能性が高いからかもしれない。この問いに答えるデータを私はもってない」

また、一番上のツイートの図からもわかるように、リベラル派以外でも、精神疾患と診断されたことのある人の割合が日本に比べて随分高いことがわかります。これは、アメリカの方が日本に比べて精神疾患と診断される基準が非常に緩い、ということだと思われます。

これについては、「更科わさび」さんという方が追加情報を入れてくれていますので、ご参照ください (スレッドになっています)。


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退院後に行ったボリス・ジョンソン首相のスピーチを訳してみた

イギリスのボリス・ジョンソン首相が新型コロナウイルスに感染し、一時は ICU に入る事態となりましたが、4月11日に無事退院。翌日の12日、イースター・サンデーにスピーチを行いました。5分ほどのスピーチの全文を訳しました。



(翻訳ここから)
こんにちは。一週間たって、今日、退院することができた。NHSが私の命を救った。異論は認めない。どれだけ恩義を感じているか、言葉を見つけるのは難しい。でもその前に、イギリスのすべての人に感謝したい。皆さんの努力と犠牲についてだ。

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太陽が出ている。子供は家にいる。自然界はこの上なくラブリーで、外はとても心地よさそうだ。ソーシャル・ディスタンスのルールに従うのがどれほど難しいか痛いほどわかる。


私は感謝している。全国津々浦々の何千万もの人々が正しいことをしているからだ。数えきれない人が自己隔離という困難な体験をしている。忠実に、我慢強く。自分だけでなく他の人のことを思いやりながら。イースター・サンデーのこの日、皆さんの取り組みには意義があり、毎日の結果につながっていると私が心から信じていることをわかっていただきたい。

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私たちは毎日、数多くの人々がこの世を去っていくのを悼んでいる。そして、この戦いはけっして終わってはいない。それでも、コロナウイルスに対するこの途方もない国民的なバトルにおいて、私たちは着実に歩を進めている。


この戦いは私たちの方から仕掛けたわけではない。敵をまだ完全に理解できているわけでもない。その戦いにおいて、私たちは着実に歩を進めている。なぜなら、イギリスの市民たちが、この国の最も偉大な国民的資産、すなわち国民医療サービス(NHS)の周りに人間の盾を築いたからだ。


力を合わせてNHSを守り抜けば、そして、NHSが機能不全に陥るのを防ぐことができれば、私たちは敗れ去ることはないことを理解した。そう心に決めたのだ。この国は、一致団結して立ち上がり、このチャレンジを克服するだろう。過去にも数多くのチャレンジを克服してきたのだから。

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この7日間、NHSにのしかかっているプレッシャーを私はもちろんこの目でみた。個人の勇気を目の当たりにした。医師や看護師だけではない。清掃人、料理人、あらゆる種類の医療従事者たちだ。物理療法師、放射線技師、薬剤師。来る日も来る日も出勤し、危険に立ち向かい、この致死的なウイルスによるリスクに身をさらしている。

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私たちのNHSが不屈なのは、こうした勇気、献身、責任感、愛があるからだ。私自身の感謝の気持ちを、非の打ちどころのない医師たち、各分野のリーダーたちに捧げたい。男性も女性もいた。


そして、どういうわけかニックという同じ名前を持つ何人かが数日前に非常に重要な決断を下した。残りの人生において、私はこの決断のありがたさを意識し続けるだろう。私は数多くの看護師たちに感謝したい。男性も女性もいた。彼らの看護はすばらしかった。

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言い忘れる名前があるかもしれないので許してほしいが、ポー・リング、シャノン、エミリー、エンジェル、コニー、ベッキー、レイチェル、ニッキ、そしてアンに感謝する。そして、特に2人の名前を挙げることを彼らにお許し願いたい。


彼らは、私が生きるか死ぬかの瀬戸際に、ベッドのそばに48時間ずっといてくれた。その2人とは、ニュージーランド、正確に言えば南島のインバカーギル出身のジェニー、そしてポルトガルのポルトの近くの町から来たルイスだ。


私の身体が十分な酸素を取り込めるようになった理由は、彼らが夜通し私を看ていてくれたからだ。彼らは知恵を絞り、介護し、必要な介入を行った。だからこそ私は知っている。この国のいたるところで、1日24時間、一秒たりとも休むことなく、数えきれないほどのNHSスタッフが、ジェニーやルイスと同じようなケア、心配り、正確さを提供しながら働いている。


それが、私たちが協力してこのコロナウイルスを倒せる理由だ。私たちは勝つ。なぜなら、NHSがこの国の心臓の役割を果たしているからだ。NHSはこの国の最良の部分だ。NHSはけっして屈しない。NHSは愛が動かしている。

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私から、そして私たち全員から、NHSに感謝しよう。ソーシャル・ディスタンスのルールを守ることを忘れないで。家にいよう。NHSを守ろう。命を救おう。ありがとう。そして、ハッピー・イースター。
(翻訳ここまで)


英文スクリプト: ↓
www.rev.com


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タラ・タイガー・ブラウンなる人物とCNNのウィル・リプリー記者

3月にエチオピアで新型コロナウイルス感染者が確認され、そのうち3人が日本人だったという報道があった。

 

www.theeastafrican.co.ke

 

すると、タラ・タイガー・ブラウン (@tara) と名乗るツイッター・アカウントがShameful、Disgustingなどの強い言葉で日本を非難。3人はJICA職員なのだが、彼女は呑気な旅行者だと勘違いしたらしい。

 

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彼女は日本に在住(または一時的に滞在)しているようで、新型コロナウイルスに対する日本のリベラルなアプローチが気に入らず、より強権的なアプローチを求めているようだ。タイムライン/プロフィールを見ると、リベラル陣営にどっぷり漬かってらっしゃるようにお見受けするが。

 

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プロフィールに書かれた肩書を翻訳すると「環境技術者、STEAM教育者、森林医療実践者、山の僧、@KitHubのCEO」。STEAMというのは、理系科目 (STEM: Science, Technology, Engineering, and Mathematics) を芸術(A: Art)を通して学ぶメソッドとのことだそうだ。

 

このツイートをたまたま見かけた私が事実を伝えたところ (ツーリストでなくJICAのワーカー、2人は現地で活動、最初に病気になった1人もまだ危険がそれほど叫ばれていなかった2/22に日本発)、いきなりブロックしてきた。元のツイートに問題があることは理解できたらしく、現在は何の説明もなくしれっと削除している。

 

 

 

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@tara 氏のツイートは「障子にメアリー」さん (@shojikneemary) のツイートで知ったのだが、メアリーさんも事実を突きつけたらブロックされたそうだ。私もメアリーさんも別に汚い言葉を使ったわけではない。このあたりがリベラル/左翼のダメなところを煮しめたようで面白い。一言で言えば独善性である。

 

 

 

正確な情報を確認せずに自分のナラティブに沿うように都合よく解釈して強い口調で糾弾。反論、または真実を突きつけられたら無言でブロックして封殺。自分の過ちは無言で削除して存在を消す。ツイートの最後に「エチオピアの平均月収は$100」などと付け加え、リベラル仕草することだけは忘れない。

 

タラ・タイガー・ブラウン氏は、日本のコロナ対策について扇情的で不正確なレポートをするCNNのウィル・リプリー氏 (@willripleyCNN) とも面識があるらしく、リプー氏は彼女の写真を使ってツイート。また、彼女もリプー氏に対し"We need you!" "Thank you for all your hard work"などとレスしている。

 

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リプー記者の不正確なレポートというのはこちら。

 

 

 

レポートの中で日本人のワタナベ氏がインタビューに答えている。ウイルスの検査を受けるのに何日待ったかという質問に、ワタナベ氏は「2日目」と答えたのだが、リプー記者はなぜか「5 Days」と翻訳している。

 

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ヤシャ・モンクの記事「イタリア人医師が直面する異例の意思決定」を訳してみた

コロナウイルスに関連して、助かる見込みの高い人に医療リソースを割り当てるべきだというガイドラインをイタリアのある医学団体が発表した。これについて、アメリカの政治学者のヤシャ・モンクが米アトランティック誌に記事を書いていたのでざっと翻訳しました。

www.theatlantic.com

 

(翻訳ここから) 

イタリア人医師が直面する異例の意思決定

患者が増えすぎたため、すべての人に十分なケアを提供することが単純に不可能になった

 

文: ヤシャ・モンク (Yascha Mounk)

2020 年 3 月 11 日

 

2週間前、イタリアにおけるコロナウイルスの確定感染者数は322人だった。この時点では、同国の医師たちは、それぞれの患者に気前よく十分なケアを提供することができた。

 

1週間前、COVID-19という病気を引き起こすウイルスに感染した人の数は2502人となった。この時点でも、同国の医師たちは、急性の呼吸困難に苦しむ患者に人工呼吸器を提供することで、救命措置を施すことができた。

 

今日、イタリアにおけるコロナウイルスの感染者は10149人となった。すべての患者に十分なケアがいきわたらないほどに患者数が増えたのだ。医師と看護師はすべての人を看ることができなくなった。酸素を求める人々に機械を提供することができないのだ。

 

イタリア麻酔・鎮痛・蘇生・集中治療協会 (SIAARTI)は、こうした異例の状況において医師と看護師が従うべき基準についてガイドラインを発表した。この文書の冒頭では、イタリアの医師が直面する道徳的選択が、"大災害時の医療" の現場で必要とされる戦時トリアージの形態に喩えられている。集中治療を必要とするすべての患者にそれを提供するのではなく、"配分的正義、および限られた医療リソースの適切な割り当てに関する最も広く共有された条件" に従うことが必要になるかもしれないと、この文書の筆者たちは言う。

 

彼らがたどり着いた原則は実利主義だ。「最大人数のための利益を最大化するという原則に基づき、治療が成功する可能性の高い患者に集中治療へのアクセスを与えることを割り当ての条件とする必要がある」と彼らは提案する。

 

医師でもある筆者たちは、こうした不可能な選択を実行するための具体的な推奨事項を導き出している。たとえばこうだ。「集中治療へのアクセスに年齢制限を設ける必要が出てくるかもしれない」

 

高齢のため回復の見込みが低い患者や、回復したとしても期待される残り生存年数が少ない患者は放置される。残酷に聞こえるかもしれない。だが、この文書によれば、これに勝るオプションがあるわけでもない。「リソースが枯渇した場合、先着順に治療していたのでは、後から来た患者には集中治療にアクセスさせないという決定を下すことになる」。

 

医師と看護師は、年齢だけでなく、患者の総合的な健康状態も考慮するようにアドバイスされている。「併存疾患の存在を注意深く評価する必要がある」。ウイルスの初期の研究によれば、深刻な既往症を持つ患者は、既往症がない患者に比べて、死に至る可能性がかなり高いというのが理由の1つだ。だが、それだけではない。健康状態が悪い患者を救うには、ただでさえ希少なリソースをより多くつかわなければならないのだ。「健康状態がそれほど悪くない患者は比較的短い治療で済むが、高齢の患者や虚弱な患者はより多くのリソースを必要とする」。

 

こうしたガイドラインは、コロナウイルス以外の理由で集中治療を必要とする患者にも適用される。なぜなら、こうした患者も同じ希少な医療リソースを必要とするからだ。文書には明確にこう書かれている。「これらの条件は、CoVid-19に感染した患者だけでなく、集中治療を受けるすべての患者に適用される」。

 

私は政治と道徳哲学を学問として学んできた。設備の整った教室で、いわゆるトロッコ問題などの抽象的な道徳的ジレンマを何時間も議論してきた。線路に5人の善良な人が括りつけられている。私がレバーを引いて、トロッコの行先を変えれば5人は助かるが、別の善良な1人が死んでしまう。どうすべきか?

 

こうした議論を行う意義の1つは、専門家が現実世界で困難な道徳的判断を下すのを助けることのはずだ。もし、あなたが、絶望的な状況で新しい病気と闘っている働き詰めの看護師で、どんなに頑張っても全員を治療することができないなら、あなたは誰の命を救うべきか?

 

私は、理論を何年も学んできたけれども、勇敢なイタリア人医師たちが公開したこの異例の文書について、道徳的な判断を下す立場にないと認めなければならない。正しいことを勧めているのか、間違ったことを勧めているのか、私にはそれを判断するための手がかりはない。

 

しかし、イタリアが不可能な状況に陥っているとするなら、アメリカがやらなければならないことは明らかだ。不可能なことを行う必要性が出てくる前に、危機を阻むことである。

 

これは、政治的指導者、実業界や民間団体のトップ、そして私たち全員が、2つのことを達成するために、力を合わせる必要があるということだ。その2つとは、この国の集中治療施設を大幅に拡充すること。そして、究極的な社会距離戦略 (訳注: 人と人との距離を開け、接触機会を減らすこと) を実施し始めることだ。

 

すべてをキャンセルしよう。今すぐ。

(翻訳ここまで)

 

ご注意いただきたいのは、ある医学団体がガイドラインを発表したのは事実のようですが、イタリアの医療関係者の多くがこのガイドラインに沿って治療しているかどうかは不明です。また、この医学団体がどのくらい信頼できる団体なのかも私にはわかりません。そのあたり、慎重なご判断をお願いします。

 

この記事を書いたヤシャ・モンク氏は、次の記事もかかれた方です。

tarafuku10working.hatenablog.com

 

 

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ダイヤモンドプリンセス号について薄っぺらなレポートをしたBBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズ記者の過去の誤報

ダイヤモンドプリンセス号について扇情的で薄っぺらなレポートをしたBBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズ氏。彼が過去に犯した誤報について書いておきたいと思う。

 

2017年7月、ウィングフィールド=ヘイズは「Sexless in Japan」(セックスレスな日本の若者たち それはなぜ)という動画レポートを公開した。セックスしない傾向にある日本の若者について、少子化とからめてレポートしたものである。

 

英語版

www.youtube.com

日本語版

www.youtube.com

 

このレポートの中で、ウィングフィールド=ヘイズはあからさまなフェイク・ニュースを流している。

 

彼のレポートによれば、日本人の18~34歳までの43%が一度も性体験をもったことがない。しかし、これは明らかな間違い。

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この数字は日本の国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」(2015年)を出典としたと思われるが、以下の表(同調査の報告書の24Pに記載)のように「18~34歳までの未婚の日本人の43%が一度も性体験をもったことがない」が正しい情報である。

 

 

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私はこのエラーについて、Twitterで本人にも指摘したし、BBCジャパンのYouTubeアカウントに直接メッセージも送ったが、返事はない。

 

この動画は現在もYouTubeで閲覧可能であり、BBCのメインアカウントで135万回、BBCジャパンのアカウントで63000回再生されている。

 

欧米メディアは日本の性の話題を好んで取り上げるし、特に英国は、リチャード・バートン卿が、性的な描写を誇張、または原典にない性的な描写を追加するなどしてアラビアン・ナイトを創造的に翻訳し、自国民に道徳的優越感を与え、アラブ地域の植民地化に動員した伝統がある国だから、ウィングフィールド=ヘイズも母国の偉大な先輩を見習ったのかもしれない。

 

それから、これもまた別のセックス関連の話だが、2017年4月、ろくでなし子氏の裁判の判決を受けて、ウィングフィールド=ヘイズは事実に基づかないツイートを投稿している。

 

この裁判では、わいせつ物(女性器の模型)を陳列したことと、彼女自身の女性器の3Dデータを配布したことで、ろくでなし子が罪に問われていた。判決は、前者については無罪。3Dデータの配布のみが有罪とされた。

 

ウィングフィールド=ヘイズはこの判決内容が理解できず、わいせつ物陳列も有罪となったと勘違いしたのか、「日本では男性器祭り(かなまら祭りなどを指すと思われる)はOKなのに、女性器祭りは許されない」などと、男女差別の問題として告発調でツイートした。

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 ちなみに、女性器を祀るお祭りはあるし(たとえば、大縣神社豊年祭)、多産、子孫繁栄、豊穣を願うための女性器をかたどった立体の宗教的シンボルは日本にはいくつもある。

 

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上記の画像はTwitter上に他の方が投稿されていたのを拝借しました。

 

この件に関しても、ウィングフィールド=ヘイズは自身の投稿が間違いだったことを認めた形跡はなく、これらのツイートは今でも参照できる。

https://twitter.com/wingcommander1/status/852475419131498497

https://twitter.com/wingcommander1/status/852474954545111040

 

今回のダイヤモンドプリンセス(DP)号の件でも、ウィングフィールド=ヘイズのレポートを二度ほどBBCで見たが、1つは岩田健太郎医師を「ホイッスルブロワー(告発者)」と持ち上げて、彼の証言を検証なく垂れ流したもの。もう1つはDP号から乗客を降ろさないのは東京オリンピックを第一に考えているため、などという根拠のない彼の憶測を中心にまとめたものだった(東京オリンピックを第一に考えるなら、中国からの入国者を真っ先に止めるのではないか?)。

 

以上のように、ウィングフィールド=ヘイズはジャーナリストを職業とする者としては驚くほどデータ/事実の扱いが雑である。これが、彼自身の問題なのか、BBCの基準なのか私は知らない。

 

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深刻な病に苦しむジョーダン・ピーターソンについて、友人のダグラス・マレーがコラムを書いていたので訳してみた

ジョーダン・ピーターソンの病状を説明するYouTube動画を娘さんのミカエラさんが先日公開しましたが、この件について友人であるダグラス・マレーがメール・オン・サンデー紙のコラムに書いていたので訳してみました。

www.dailymail.co.uk

 

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(翻訳ここから)

言論の自由の殉教者: ジョーダン・ピーターソンはポリティカル・コレクトネスに対する反対運動の先頭に立ったことで左派に非難された大学教授だ。その彼が重い病を患っている。彼が支払った高価な代償について、親しい友人であるダグラス・マレーが明らかにする

文: ダグラス・マレー (Douglas Murray)

2020年2月16日

 

先週、心を揺さぶられる動画がYouTubeにアップロードされた。ある女性が、非常にプライベートな出来事をカメラに向かって語った。

 

www.youtube.com

彼女の父親は、'ポリティカル・コレクトネスに反対する教授' として有名になったジョーダン・ピーターソンだ。その彼が、抗不安薬であるベンゾジアゼピンへの深刻な依存により入院し、現在はロシアで集中治療を受けているというのだ。

 

「彼は何度も死にかけた」。既に240万回以上再生された動画の中で彼女は冷静にそう言った。

「西側の医療システムで受けた治療により、彼は死の一歩手前までいった」。

必ずしも自由社会とは言えないロシアに彼がいる理由について、ミカエラ・ピーターソンはこう説明した。「ロシアの医師たちは製薬会社の影響を受けていない」

「彼らは、薬を原因とする症状を治療するために、薬を追加したりはしない。勇気をもって、ベンゾジアゼピン依存の患者を医学的に解毒しようとする」

 

もちろん、ミカエラが言うように、彼に '神経障害' が残る可能性があるというのは、このカナダ人心理学者の家族にとって悲劇である。

しかし、今日の生活に大きな影響を及ぼしている文化戦争に関心がある人ならば、誰もが測り知れない悲しみを感じるはずだ。

 

57歳のピーターソンは、近年において世界で最も話題となった知識人であり、誰よりも激しくポリティカル・コレクトネスの忍者たちと勇敢に闘ってきた。新しく押し付けられた、息の詰まるような教義がはびこる時代において、彼は、あらゆる問題について、人々が真実だと知っていることを言葉にしてきた。

女性と男性は生物学的に違う。人は自分の人生に責任を持つ必要がある。現代の生活は、空虚で意味がないように見えることが多い。

 

しかし、真実の語り手として世間の注目を集めることには、非常に大きな犠牲が伴った。公衆の最大の敵となったことが、彼の現在の状況をもたらしたと言えるかもしれない。

ピーターソンはまず彼の地元であるトロントで人々の注目を集めた。いわゆる '表現の強制'、たとえば、トランスジェンダーの人を、その人が選択した代名詞で呼ぶことを法律で強制することにノーと言ったのだ。 

彼は、批判者が言うような 'トランスジェンダー嫌い' ではない。自由な社会において、どのような発言が許されるか政府が決めることを拒絶しているだけだ。

 

最初の嵐が過ぎ去った後も、ピーターソンが行くところ、論争の炎が燃え上がらないことはないような有様だった。

そして、彼を打ち負かそうとした人々は常に焼き焦がされた。

講義や講演をアップロードした彼自身のYouTube チャンネルの動画は、合計で何千万回も視聴された。

www.youtube.com

一部の左翼メディアは、筋の通ったことを言ったというだけで彼を責め立て、粉砕しようとした。

おそらくその最も有名な例は、彼が2018年にイギリスを訪れたとき、チャンネル4ニュースのキャシー・ニューマンが 30分かけて彼を誘導尋問にかけたインタビューだ。

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トランスジェンダーの権利や男女平等についてピーターソンをやり込めようとしたニューマンは、彼の発言を彼女自身のイデオロギー的アジェンダに沿うように歪めようと試みたが、失敗に終わった。

そのインタビューの動画は瞬く間に拡散され、ピーターソンを破壊しようとする他の試みと同様に、彼の支持者層がさらに広がるのを助けただけだった。

2018年に出版された彼の著書『人生の12のルール(12 Rules For Life)』は、世界的な No 1 ベストセラーになった。 

 


講演ツアーでは、アリーナ級の会場がすぐにソールド・アウトになった。

あらゆる年齢とバックグラウンドの人が彼の話を聞きに来たが、 特に強く共鳴したのは若者だった。

'気持ち良くなることが正義' (訳注)、そして '地球を救うために余暇を使おう' というエトスに支配された社会において、ピーターソンは異なるメッセージを発した。

(訳注: ここでは、物質的な満足感により気持ちよくなることではなく、現実に役に立つかどうかは深く考えずに、理想の社会正義を口にすることで精神的に優位に立つことで気持ちよくなることを指す)

 

そこには、古き良き価値観の復活も含まれていた。背筋を伸ばそう。自分の家の中を整えよう。家の中すらきれいにすることができない人が、社会やこの惑星を良くすることができるわけがない。 

彼は、意味のある人間関係を築くことを人々に説いた。その場の満足ではなく、将来の満足を見据えることを勧めた。

そして、目的のある人生を送るように、すなわち、私たちが生きているこの人生は、単なる底の浅い消費ゲームではないのだと唱えた。

 

私が彼の講演を初めてロンドンで見たとき、場内の雰囲気は衝撃的だった。

ピーターソンは、優れた手腕で、ユダヤ教/キリスト教の伝統の美徳、神話の重要性、過去から現代まで人々の生活に息づく偉大なストーリーの意義について説明した。

それは、宗教的かつ世俗的であり、なじみ深いと同時に過激だった。

 

この頃には、私たちは友人となり、2つの会場で共にステージに登った。 

そこには、共通の友人である哲学者のサム・ハリスもいた。私たち3人は、ダブリンのスリー・アリーナとロンドンのO2アリーナに登壇した。どちらの会場にも約10,000人が集まり、私たちが神、政治、社会について議論するのを聞いた。

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そこにいた聴衆の大多数がピーターソンを見にきていたことは間違いないし、彼はそれにふさわしいと私は思う。

数えきれないほどの敵が現れたのは必然だった。彼のメッセージが気にくわなかった人々だけではない。知識人がこれほどまでのスターの座を獲得したのを見たことがなく、それに嫉妬した人々もいた。

彼はTwitter上で常に暴言を浴びせられ、出版物には攻撃的な批判記事や中傷が絶え間なく掲載された。 

 

そして、昨年の3月には、ケンブリッジ大学が、教職員や学生の抗議を受けて、客員特別研究員の招きを取り消した。

彼らは、世界で最も著名な教授を迎え入れずにすむ理由を探した。そして、ファンの集いに参加したある男と並んでピーターソンが写った写真に震えあがったふりをした。その男が着たTシャツには、「私は誇り高きイスラム嫌い」というスローガンがプリントされていたのだ。

ケンブリッジ大の腰抜けは、ピーターソンはそこに立っているだけで、その男を '不用意に承認した' ことになると言うのだ。

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一方で、彼の周りにいる人々は、彼の超多忙なスケジュールについて心配していた。講演が、毎日、別の都市で、時には別の国で行われた。メディアのインタビューもひっきりなしだった。

昨年の4月、妻のタミーが末期の癌であると診断された。 

この精神的ストレスに対処するため、彼は抗不安薬であるベンゾジアゼピンの服用量を増やし始めた。

彼は、これまで常に、自身の鬱の病歴について率直かつオープンであったし、この恐ろしい苦痛に立ち向かう方法について、人々にアドバイスを提供しようとしてきた。

 

昨年9月、娘のミカエラは、ピーターソンがリハビリ施設に入ったことを発表した。

そして、今週になって、大変なニュースが届いた。

ミカエラ (彼女自身も関節炎と自己免疫疾患に苦しみ、肉だけを食べるという物議を醸す食事療法で治療してきた) は、そのメッセージの中で、ジョーダン・ピーターソンが過去8か月にわたって薬の影響から逃れることに取り組んできたと話した。

 

この痛ましいニュースに対する反応がもっと優しいものであればよかったのにと思う。

しかし、思いやりにあふれる人として自分自身を演出する人々は、彼らが善と見なす道理のためには途轍もなく底意地悪くなれるというのが、この毒々しい時代の特徴だ。

元気だった頃のピーターソンにその正体を暴かれた社会正義活動家たちは今、彼が抗議できないのをいいことに、毒を吐いている。

 

インディペンデント紙のウェブサイトは、'いたるところからトランスジェンダー嫌いという非難' を浴びた 'オルタナ右翼の傀儡' だと彼を非難した。

ガーディアン紙のジャーナリストであるスザンヌ・ムーアは愉快そうにこうツイートした。「編集者の皆さん、ジョーダン・ピーターソンがロシアに身を潜めています。チェーンソーで私にやさしくヤラせて(訳注)。私にこの記事をかかせてね。よろしく!」

 

(訳注: “Fuck me gently with a chainsaw” は1998年の映画『ヘザース/ベロニカの熱い日』(ウイノナ・ライダー主演)からの引用。映画の中では、「いいかげんにして」または「冗談はやめて」ぐらいの意味で使われている)

www.youtube.com

彼と同じくカナダの学者であるアミール・アタランは、'Karma' (報い) というハッシュタグを付けてTwitterでこうつぶやいた。「騙されやすい若い男たちのための神託であり、マッチョなタフネスの説教師であり、'スノーフレーク' (訳注) を威圧的にいじめてきたジョーダン・ピーターソンが、強力な薬の中毒者となり、彼の脳は '神経障害' に蝕まれた」

「彼にふさわしいのは、彼が他人に示したのと同じくらいの思いやりだ」

 

 (訳注: Snowflake - 本来の意味は “雪片”。すぐに溶けてしまう脆いものということから、自分の気に入らない言動を見聞きしたときにすぐに大げさに反応してしまうような過敏な左派の人を揶揄して使う言葉)

 

これらは、彼に向けられた下水のような罵倒の中で目についた、ほんのいくつかの例に過ぎない。

ならば、この私が彼を支援する言葉を1つか2つ贈ろうではないか。

 

私はこれまで、何人かの非凡な人物に出会った。当然のことながら、彼らにはファンがいる。

小説家のマーティン・エイミスは、「ファンはすぐにわかる。なぜなら、ヒーローに会ったときに震えているからだ」と書いている。

 

ジョーダン・ピーターソンの場合は、そうではなかった。皆さんが話として聞いているだろうことを、私は実際にこの目で見た。彼と街の通りを歩いているときに。または本のサイン会で彼の隣に座っているときに。

ファンが彼と話せる時間はほんの20~30秒間だ。その中で、ファンが話すのは、どれだけ彼の仕事や作品を愛しているのか、ということではなかった。

彼らは、ピーターソンが彼らの人生をどのように変えたかについて話すのだった。

偉大な作家であっても、人生の中でこうしたことが数回でも起これば幸運だろう。ところが、ピーターソンには、これが一晩に何度も起こった。

 

あるイベントの後で彼のもとにやってきた20代の男のことを私は忘れない。

ピーターソンが本にサインをしている間、ファンの男はこう話した。彼は1年半前には安アパートの一室で、ゲームに耽り、マリワナをひっきりなしに吸っていた。

それが今、彼は結婚し、定職に就き、彼の妻は最初の子供を身籠っている。 

これはすべてピーターソンのお陰なのだと彼は言った。同じような話を私は何度も聞いた。

 

真摯で成熟した社会は、こうした現象から教訓を得ることができるだろう。

彼をはねつけ、嘲笑い、ボロを出させようとはしないだろう。その代わり、多くの人がお手軽なウソを語りたがる一方で、難しいが必要な真実を語ろうとする人は少ない社会に暮らしていることを認めるだろう。

現代の虚飾とテクノロジの下には、目的意識の重大な欠如、すなわち混沌が潜んでいることにも気づくだろう。それは、特に若い人々にとって、身のすくむほど恐ろしいことであり、ほとんど誰もその対処方法を語ろうとしてこなかった。ピーターソンはこの混沌に処方箋を与えようとしたのだ。

壮大なプランを描くのではなく、実現可能な小さな手順を示すことで。そして、そのすべては、率直に言って見事でインスピレーションに富んだ知識と好奇心に裏打ちされている。

 

彼は自分が聖人だと唱えたことはない。彼がすべての答えを知っていると仄めかしたこともない。

しかし、彼は、どこに答えがないかを知っていた。この薄っぺらで刺々しい時代の表面だけを見ていたのではわからない、深い意味と目的のある人生を過ごせることを知っていた。

 

ジョーダン・ピーターソンは並外れた人物だ。

しかし、彼もまた弱さと脆さを抱えた人間に過ぎない。

ピーターソンは快方に向かっていると彼の娘は言った。何百万もの人々に代わって私が言おう。「友よ、早く良くなることを祈る。世界は君を必要としている」

(翻訳ここまで)

 

 

ダグラス・マレーの著書: 『西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』東洋経済新報社、2018/12/14発売

 

ジョーダン・ピーターソンの著書: 『生き抜くための12のルール 人生というカオスのための解毒剤』朝日新聞出版社、2020年7月7日発売

 

おまけ:

ドキュメンタリー映画の『The Rise of Jordan Peterson』の中のワン・シーン。街なかで撮影中に、長髪、バンダナ、革ジャンというカウンター・カルチャー系のステレオタイプのような若者がピーターソンに話しかけてきた。製作陣は、この男はアンティファに違いない、ピーターソンに攻撃を仕掛けてくるぞ、と身構えたのだが、その若者は実はピーターソンの大ファンで、彼の動画に精神的に助けてもらったことについて感謝の言葉を言いにきたのだった、という話。

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このエピソードを語る監督とプロデューサーのインタビュー (4:49 くらいから)

quillette.com

 

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『三島由紀夫: 日本の文化的殉教者』というアンドリュー・ランキン氏の記事を訳してみた

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オーストラリアのオンライン・マガジン「Quillette」誌に掲載された三島由紀夫についての記事を訳してみた。執筆したのはイギリス人の日本文学研究家であるアンドリュー・ランキン氏。

 

海外で三島由紀夫がカルト的な人気を誇っているのはご存じの方も多いと思いますが、この記事を読めば、その理由が少しわかるかもしれません。

 

文中、三島の発言/文章からの引用があるのですが、日本語の原典を見つけることができなかったので、一部私なりに翻訳したものがあります。そうした箇所には「原典不明」と訳注をつけています。ご了承ください。

 

quillette.com

 

(翻訳ここから)

三島由紀夫: 日本の文化的殉教者

文: アンドリュー・ランキン (Andrew Rankin)

2019年12月11日

 

先ごろ、日本の人々は、新しい天皇である徳仁の即位を熱烈に祝福した。それを見れば、日本がどれほど皇室制度への自信を取り戻したかわかる。近年の日本において、三島由紀夫(1925–1970)の評価が再び高まっているのも偶然ではない。彼は、そうすることが扇動的だと見なされていた時代に、日本の皇室制度の文化的重要性を最も力強く主張した作家/活動家である。悪名高い侍スタイルの自殺も含め、彼が今でも論争の的になる人物であることは間違いない。しかし、三島は遂に彼にふさわしい真剣な批評的考察の対象となっている。

 

第二次世界大戦で国が破滅的な敗北を味わった後、何年にもわたって、日本のカルチャー・シーンにおける三島の存在感は圧倒的だった。非常に多作であり、ほとんどあらゆるジャンルで数百もの作品を生み出した。『仮面の告白』 (1948)や『金閣寺』(1956)などの小説は、世界的な読者を獲得した最初の日本近代文学作品に数えられる。劇作家としては、古典芸能である能の演目を現代劇に翻案したことや、歌舞伎のためにウィットに富む喜劇を書いたことで成功を収めた。また、映画監督や俳優としての仕事もこなした。

 

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三島は、その作家生活の初期においては、美のみを興味の対象とし、芸術以外の世界には傲慢なほど無関心な耽美派として自分を提示した。しかし、1960年以降、彼は日本の社会政治的な沈滞に目を向けるようになった。戦後の経済復興が著しい成功であることは既に明らかだったが、多くの日本人は文化的な混乱を覚え、それに悩んでいた。アメリカ軍部の法律家が起草した日本の戦後憲法は、軍隊を維持し、交戦するという日本国の権利を永遠に放棄した。侍の国において、戦士となることが違憲とされたのだ。これに伴い、日本の軍隊は “自衛隊” に名前を変え、米国との安全保障条約をめぐる状況は、激しい議論の的となった。

 

一方で、日本の知識人は、”西洋化” が日本の文化的統合性と伝統的様式をどれほど蝕んでいるのかについて議論を戦わせていた。日本の大学キャンパスでは、新しい大衆社会における意味の欠如に不満を唱える学生たちが、長く、時に暴力的な抗議行動を起こしていた。これらに加え、共産主義は日本でも信奉者を増やしており、最も過激な一派は、革命の主導や皇室制度の廃止を訴えていた。

 

三島は、こうした問題の真っただ中に飛び込み、断固とした反動的アジェンダを推進した。戦後憲法の平和主義を嘲笑い、挑戦するかのように武道を習い、軍事訓練に参加した。敵に囲まれた大学のキャンパスを訪れ (当時の状況を考えれば大胆な行動)、学生たちに文化的遺産の重要性を説こうとした。西洋文化の “利己的な個人主義” を批判する一方、英雄的な自己犠牲という “武士道精神” を褒めたたえ、神風特攻隊の “悲劇的な美” を賛美した。自身が監督した短編映画『憂国』(1966)では、天皇の命令に背くよりも自殺することを選択した将校を自ら演じた。多くの観察者には、三島は日本が懸命に忘れようとしている過去を賛美することで、故意に日本を愚弄しているように見えた。不真面目な耽美主義者が、どういうわけか熱心な破壊分子に変身したのだ。

 

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ときに大げさとも思える風変りな仕草で、三島は政治的立場の両翼から距離を置くことに成功した。左派は、日本の軍国主義と天皇を中心としたファシズムを露骨に栄光化するものとして彼に異議を唱えた。しかし、彼は日本文化の継続性の究極的象徴として天皇制の重要性を主張する一方で、戦時および戦後の天皇であった裕仁を大胆にも批判した。ファシスト的全体主義に日本が陥ったこと、そして「ナチスに影響を受けた軍上層部の一部の悪党が、止めることのできない戦争への道を歩み始めることを許した」(訳注: 原典不明)ことについて天皇を批判した。天皇批判はどのようなものであっても冒涜だと見なす極右集団から三島が殺害予告を受け、警察の警護の対象となったのは一度だけではない。

 

1968年、“世界革命” がその絶頂期を迎え、日本のあちこちで暴動が発生していた頃、三島は楯の会という名の民間防衛集団を結成した。彼は会員たちに準軍事組織の制服を着せ (彼自身がデザインした)、報道陣に披露した。彼の説明によれば、この集団の目的は、日本の共産主義者による革命が発生した際に、政府の治安組織を支援することだった。三島は、日本の魂のために壮大な戦いの中で死ぬことを望んでいた。革命が起きないことが明らかになったとき、彼はその計画を殉死へと変更した。

 

1970年11月25日の午後、三島と4人の会員は、東京の中心部にある自衛隊基地で事件を起こした。社交的な訪問を装って総鑑と面会した彼らは、総監を人質に取り、執務室に立てこもった。総鑑を救出しようとする自衛隊の幹部や隊員を、三島は16世紀の日本刀を使って退けた。基地にいる全員を本館前に集めるように要求した後、三島は数分間、彼らに向けて演説した。

 

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演説の中で、三島は、“自分を否定する” 憲法を受動的に受け入れていることについて自衛隊を叱責し、憲法を改正するために彼と共に立ち上がるよう訴えた。“それでも武士か?” と三島は彼らに向かって叫んだ。三島のもう1つの不満は、より曖昧なものだった。日本はその根本原理を見失った。人々は歴史と伝統を見捨ててしまった。天皇はきちんと崇拝されていない。国民全体がその魂を金と物質主義に売り渡してしまった。この先にあるものは精神的むなしさだけだ。だが、返ってきたのは怒号とやじばかりだった。建物の中に戻った三島は、腹を裂き、介添人に首をはねさせるという昔ながらの武士のやり方で自決した。もう1人のメンバー、楯の会の学生長だった男も同様の方法で死んだ。

 

当初は “クーデター未遂” と見なされた三島の行動は、世界中で大きなニュースになった。当惑した日本のリーダーたちは、日本が好戦的なウルトラナショナリズムに退行しているのではないという安心感を与えなければならないと感じた。三島は気が触れたに違いない、と彼らは言った。三島のとっぴな行動は、日本や日本人に関する真実を表すものでは決してない、と。神経を擦り減らすような集中的な分析の後、日本の知識人が到達した結論も同じだった。この後、何年にもわたって、三島の母国において彼の名前は事実上タブーとなった。

 

*     *     *

 

三島について書き始めた学者や批評家の多くは、彼の生い立ちにその説明を求めた。しかし、三島の人格形成期に起きた出来事は、彼が育った時代の基準に照らせば特段珍しいものではなかった。彼は、1925年、武士の血を引くことをささやかな誇りとする公務員の長男として東京に生まれた。病気がちだった三島を12歳まで主に育てたのは、神経質で支配的な祖母だった。敬愛する母とは、けっして衰えることのない強い共生的関係を築いた。1944年、三島は抒情的な短編をまとめた最初の本を出版した。

 

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同じ年、戦死することを確信した彼は、遺言状を書いた。彼は正式に召集令状を受け取ったが、入隊検査で失格となった。屈辱だったが、これが彼の命を救ったのはほぼ間違いない。戦後、三島は東京大学で法律の学位を取得し、大蔵省で短期間勤務した後、フルタイムの作家となった。30代前半で結婚し、2人の子を授かった。何回かの海外旅行を除けば、東京が彼の生活の場だった。

 

円熟期に入った三島が自分のために作り上げた武士のペルソナは、若い頃の彼が欠いていたものに基礎を置いていたことは簡単に見て取れる。病気がちで、繊細で、本好きで、女性の力に息を詰まらせ、虚弱なために天皇の軍隊に入ることができなかった少年は、強健で、支配的で、過剰に男性的で、天皇の軍隊に入るには強すぎる戦士へと自分を変えた。同様に、彼の凄惨な死は、彼がほとんど隠そうともしなかった病的なエロティシズムの達成だったことも明白である。『仮面の告白』は、当時としては前例を見ない残酷なほどの率直さで、ハンサムな男性の肉体を対象としたSM的流血への肉欲を描写した。三島のほとんどの作品は、退廃的な美学に支配されている。その美学によれば、美しいもの(特に美少年)は、破壊の瞬間にこそ最も強烈な美を放つのである。

 

こうした強迫観念は、まったく特異だったわけではなかった。三島と同世代の日本の少年は、死について思いを巡らせ、どのように死ぬのかを考えないわけにはいかなかった。彼らのほとんどは、20歳を過ぎて長くは生きられないことを当然だと思っていた。日本の軍国主義者は、死を美化するというイデオロギーを推進し、戦場で “玉のように砕ける” ことの美徳を称揚した。このイデオロギーを吸収したが、実際には戦争に行かず、日本の敗戦後も生き延びた三島のような少年にとって、戦時は危険や破滅との陶酔的な出会いとして記憶に残った。そして、それは、戦後の平和な時代には、けっして取り戻すことのできない体験なのだ。

 

『金閣寺』の中心にあるのはこうした陶酔である。この小説は、若い僧が戦時中に修行した有名な京都の寺に対して抱く不安定な感情を綴ったものだ。僧の目には、空襲で破壊される可能性のあった戦争の真っただ中でこそ、この寺が最も美しく見えた。あらゆるものの儚さを官能的な形で表出するこの寺は、彼の悲劇的な憧憬の象徴となった。しかし、戦争が終わったとき、寺は無傷で、僧のはらわたは煮えくり返る。これが最終的に、宗教的犠牲にも似た破壊行動へと彼を駆り立てる。

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こうした半宗教的な憧れにも突き動かされ、三島は殉教者になることを常に夢みていた。難しかったのは、崇高な動機を見つけることだ。三島は、外国で生まれたもう1つの全体主義が日本に浸透するのを防ぐ戦いに、その動機を見つけたと考えた。彼は、楯の会の声明文で彼の立場を明らかにした。

 

  1. 共産主義は、日本の伝統、文化、歴史とは相容れないものであり、天皇制に反するものである。
  2. 天皇は、私たちの歴史的/文化的コミュニティおよび民族的アイデンティティの唯一の象徴である。
  3. 共産主義がもたらす脅威を考慮すれば、暴力の使用は正当化される。(訳注: 原典不明。『反革命宣言』に同様の記述があるようだが)

 

日本のナショナリズムの中心には、常に天皇制があった。日本最古の文書には、約2700年前に国を造ったとされる初期の天皇たちの神話的な系譜が記されている。おおかたにおいて政治的権力から距離を置いてきた天皇は、日本という国の神聖な導き手として、そして日本人とさまざまな神々とを結ぶ橋渡し役として、長く崇められてきた。三島の不満の1つは、彼の言う “凡庸な相対主義” (訳注: 原典不明、英文は a hell of relativism)が日本に蔓延したことにより、天皇の神聖な側面が失われてしまった、ということだ。最後には “週刊誌的天皇制” しか残らないだろう、と三島は嘆いた。

 

三島は、日本の “アイデンティティ・クライシス” を、資本主義者的価値観の世界化と普遍化という、より広範な傾向と結びつけた。文化は、統一された生命の形を持つ場合のみ花開く、というのが三島の主張である。しかし、日本の文化は、他の文化と同様に、西洋によって蝕まれている。三島の最後の声明文は、悲観に満ちている。

 

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」

 

日本人テロリストは既に世界の注目を浴びていた。1970年代初め、赤軍派と称する好戦的な共産主義者集団が、暴力的な作戦を国際的に展開していた。彼らは、ハイジャック、誘拐、民間人の無差別爆弾攻撃や銃乱射など、現代のテロリズムを象徴付けるような手段を既に用いていた。三島は憤りながら赤軍派を非難し、彼自身の行動をもって、正反対の精神、すなわち、日本や現代の世界から消え去ろうとしていると彼が主張する高貴な精神を示そうとした。赤軍派の残忍なテロリズムに比べると、自衛隊基地における三島の破天荒ともいえる行動は、注意深く自己抑制されていた。楯の会は銃器を使用しなかった。自衛隊幹部が後に証言したところによれば、三島は彼らに対して年代物の日本刀を使うときでさえ、深い傷を負わせないような方法をとったという。

 

三島が晩年に取り組んでいた文学に関する仕事は、『豊饒の海』と題された4部作だ。救済と転生にまつわる美しくも究極的に謎めいた大作である。三島は、彼が死ぬ日に最終巻の原稿が出版社に届くように手配した。彼は、その死が歴史的な重要性を持つ出来事になることを望んだ。そして、その目的は達せられたと言っていいだろう。天皇裕仁は三島の死後、20年以上生き、1989年に世を去った。しかし、一部の日本人評論家は、裕仁の治世の精神は三島と共に消え去ったという感覚が既に存在すると認めてもよいと感じた。三島の芝居がかったマゾヒズムが、戦時の天皇の象徴的な処刑として機能したのであり、日本人が罪の意識を洗い流して過去から立ち直るのを助けたと示唆する者さえいた。

 

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新しい世紀に入って三島の評価は上昇し、彼の作品に対する本格的な関心もこれまで以上に高まってきた。英語圏では最近、彼の作品の翻訳が何冊か出版された。日本では、伝統に対する無頓着、文学的水準の衰退、芸術や文化に対する企業の欲望と行政の無関心など、さまざまな問題に対する三島の警告が、日本の美がどれほど失われたのかに気付いた今日の読者の琴線に強く触れた。

 

しかし、三島の非常に暗い予測にもかかわらず、日本はアイデンティティ・クライシスから立ち直った。決定的なことは、1960年代に吹き上がった急進的な思想は、日本社会全体に浸透するには至らなかったということだ。それ以降、文化的に独自であり民族的に同質であるという日本の主張を反証し、その建国にまつわる現代の神話を脱構築し、過去について日本人に罪悪感をより強く抱かせようとする反ナショナリストの何十年にもわたる取り組みは、たいした結果を残せていない。日本、そして日本人は、強固に自民族中心主義であり、他の東アジアの国と同様に、愛国的な誇りは広く共有される理屈抜きの感情である。

 

日本の天皇制はまったく損なわれておらず、天皇徳仁はその臣民から広く愛されている。日本の政治的リーダーシップは保守派が圧倒している。彼らは、武力で防衛するという国家の権利をはっきりと認めるために、日本国憲法の改正を目指すとしている。共通の文化的遺産に対する意識を高めることで、人々の間に忠誠心の絆を強め、それを広く行きわたらせようと努めている。彼らは、天皇家に対して畏敬の念を持ち、国歌や国旗を尊重することを奨励している。人気の高い彼らのスローガン、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」(訳注: 日本会議のスローガンの1つ)は、愛国心の発露である。三島が現在の日本の状況を見たとしたら、その将来の存続について、それほど悲観的にはならないのではないか。

(翻訳ここまで)

 

アンドリュー・ランキン氏は昨年9月に『Mishima, Aesthetic Terrorist: An Intellectual Portrait』というタイトルの本を出版しています。

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『Seppuku: A History of Samurai Suicide』という切腹の歴史についての研究本も書いています。

 

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また、中上健次の短編集『蛇淫』の英訳もされているようです。

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