tarafuku10 の作業場

たらふくてんのさぎょうば

バイエ・マクニールさんとの対話から学んだこと

(敬称略します)

2025年10月10日、東洋経済オンラインに「「ドレスを着たトランプ?」高市早苗氏への本音、在日外国人識者たちが語る日本移住の"潮目の変化"」(魚拓)という記事が掲載された。高市早苗が自民党総裁に選ばれ、日本の次期首相になることがほぼ確実となったタイミングで、日本で暮らす外国人識者6人にその感想を聞くという趣向だ。

 

その6人とは、ロッシェル・カップ、デイビッド・マクニール、アイザイア・パワーズ、モーリス・シェルトン、ジェン・ルイーズ・ティーター、ジェイク・アデルスタインである。

 

ロッシェル・カップ (文化交流コンサルタント、最近は神宮外苑再開発の反対運動などで知られる)、デイビッド・マクニール (聖心女子大教授、外国特派員協会)、ジェイク・アデルスタイン (『TOKYO VICE』の原作者) はよくメディアに登場する論客としてお馴染みの面々。

 

あとの3人は私も初めて知ったのだが、ジェン・ルイーズ・ティーターは京都精華大学の先生で、応用言語学のほかにマイノリティ・スタディーズなどもやっている。モーリス・シェルトンはタレント事務所の経営者で、昨年、人種や肌の色で頻繁に職務質問されることについて訴訟を起こした人だ。アイザイア・パワーズについては記事ではストリーマー兼エンターテイナーと紹介されている。写真を見る限りアフリカ系。国籍は不明。インターネットで検索しても情報はまったく出てこなかった。

 

この6人の顔ぶれからわかることは、「外国人識者たち」と銘打つわりには多様性に欠けることである。まず人種的には白人と黒人だけで、在日外国人の過半数を占めるアジア系は1人もいない。国籍としては米国人が4人とアイルランド人が1人 (1人は不明)。米国中心であり、5人のうち欧米人以外は1人もいない。思想的にみても、これまでのメディアでの発言、研究内容 (マイノリティ・スタディーズ)、職質のレイシャル・プロファイリングに関する訴訟(注)などからみて、左派的、またはアイデンティティ・ポリティクスに親和性のある人ばかりだといえよう。

 

注: 念のために申し上げておくが、職質のレイシャル・プロファイリングに関する訴訟を起こすこと自体が悪いと言っているのではない。だが、今回のインタビュー記事の人選にあたってこの訴訟の原告であることがフックになった可能性は大いにあるだろう。

 

多様性に富む視野の広いインタビュー記事にしたいなら、いくらでもやりようがあったはずだ。保守系、またはアイデンティティ・ポリティクスに与しない在日外国人でメディアへの登場機械が多かったり、本を出版したりしている人をあげるなら、ケント・ギルバート、ロバート・エルドリッヂ、フィフィ、アンドリー・グレンコ、シンシア・リー、崔碩栄、オリヴァー・ジアなど。一般的に保守系政治家と親和性の高い在日ウイグル人や在日台湾人の話を聞いてもおもしろかっただろう。日本に帰化した人にまで枠を広げるなら李相哲、ナザレンコ・アンドリーなどもいるし、左派系のアジア人という括りなら、辛淑玉や李琴峰をはじめいくらでも見つかるはずだ。

 

「在日外国人識者」に話を聞くと銘打ちながら、地域的・人種的・思想的に圧倒的に偏った記事を書いたのはバイエ・マクニールというアフリカ系アメリカ人である。東洋経済オンラインのプロフィールによれば、2004年に来日し、「異文化の交差点で生きる経験や、人種・アイデンティティ・多様性について鋭い視点で発信している」のだそうだ。私も何度か彼の記事を読んだことがあるが、ブラック・ライヴズ・マターを信奉するような典型的なアメリカの左派の人であり、アイデンティティ・ポリティクスを切り口に文章を書く人である。

 

私はこの記事の視野があまりに狭いと感じたので、その旨を東洋経済オンラインのツイートを引用する形でツイートした。すると、彼にメンションを飛ばしたわけではなかったのだが、ご本人から返信が来たのである。

 

[魚拓][魚拓]

 

「アメリカが左傾化?」などと私が書いていないことを書いているのでどういうことかと思ったら、どうやら自動翻訳のいい加減な翻訳を真に受けたようである。

 


「浅はかすぎる」とまで書かれているのでこれは捨て置くわけにはいくまいと引用リツイートの形で返信したら、それにも返信を2つ返してくれた。

 

[魚拓][魚拓][魚拓

 

それに対する私の返信がこちら。

[魚拓]

[魚拓]

 

アメリカの左派の人と日本語で対話するのは私にとって初めてのことであり、新鮮な体験であり学ぶ点も多かった。米国において人種問題のメインストーリーが白人vs黒人であることは歴史的な経緯を考えれば当然なのだろうが、アメリカ人左派がよくやる「白人でなければ黒人、それ以外の色は目に見えない」(すなわちアジア系の透明化) を間近で観察できたのはいい勉強になった。

 

また、コラムのタイトルは編集部が付けたとのことだが、取材対象者の人選まで編集部が独断で行ったのだろうか。仮にそうだったとしても最終的な文責は彼にあるはずであり、「私は(インタビューに応じてくれた方の) 声を編み上げた立場であり、語り手ではない」というのは他責的に聞こえる。

 

また、初めて対話する相手に「構造に傷つけられてきた側です」と被害者意識を吐露されたのにも正直面食らってしまった。「アイデンティティに基づく被害者モードで責任のがれ」というのは欧米左派のよくやる手口という印象を私は持っているのだが、それを実地で体験できたということだ。

 

あと、日本語能力については、もちろん完璧を求めるわけではないのだが、職業に応じた語学力は必要とされるだろう。私の最初の投稿の意味を取り違えるぐらいの語学力で、彼の観察対象である日本の社会はどの程度の解像度で見えているのだろうか。

 

最後にバイエ・マクニールさんには以下のような返信をいただいた。こういう潔さ、鉾のおさめ方の見事さは見習いたいところである。

[魚拓][魚拓]