ワシントン・ポスト紙のアナ・ファイフィールド東京支局長 (当時) の不用意なツイートに端を発したダーティー・コリアン・ビア事件からこの5月で9年が経った。欧米ジャーナリストが日本に抱く偏見やステレオタイプによって判断を誤り、事実の確認を怠って不正確な情報を英語世界に拡散してしまうことが往々にしてあるが、これもそうした事例の1つである。この事件を以下に振り返ってみたい。
事件のきっかけとなったファイフィールド記者のツイートがこちら。
[魚拓]
「生ビール等、韓国屋台からのお持ち込みはご遠慮ください。ご協力お願いします」と書かれた張り紙の写真に、「Don’t bring your dirty Korean beer.」(おまえの薄汚れた韓国ビールをここにもってくるな) という彼女自身のテキストが写真のキャプションのように添えられている。
このツイートはたちまち炎上した。理由は主に2 つ。まず、韓国のビールを汚いと描写したファイフィールドの言動が差別的だと考えた人がいた。第二に、事務的な連絡事項を書いただけの張り紙をファイフィールドが差別的だとあげつらっているのではないかと感じた人がいた。張り紙の丁寧な言葉遣いや申し訳なさそうにしているネコのイラストから、多くの日本語ネイティブ話者はこの張り紙を差別的だとは受け取らなかったのだろう。
これに対してファイフィールドはTwitter上で次のような弁明をしている。
- 「Dirty」と書いたことで不快な思いをされたのなら誤ります。ジョークのつもりでした。私は韓国と日本の関係をほんとうに気に掛けています。笑い事ではありません。[魚拓]
- 韓国で同じような張り紙をみた場合でも私はツイートしたでしょう。[魚拓]
- (Dirty Korean beer という言葉を使って差別を推進しているのではないかという問いかけに対して) 差別を推進しているわけではありません。日本の屋台もビールを売っているのに、韓国の屋台だけを名指しで書くのは変だと思いました。[魚拓]
- (どこでこの張り紙を見たのかという問いに対して) 品川駅。他の日本の屋台でもビールを売っていました。[魚拓]
- (なぜ「dirty」という言葉を使ったのかと問われて) 大多数の屋台がビールを売っているのに韓国の屋台だけが名指しされているのを見て私は驚き、軽口をたたいたのです。[魚拓]
ファイフィールドは自身に韓国を差別する意図があったことを否定している。常識的に考えてもリベラルなワシントンポストの記者がそのようなツイートをするわけはないだろう。だとすれば、彼女は張り紙の内容を差別的だと判断し、張り紙の主が心の中で思っていると彼女が想像したことを、おもしろおかしく誇張して「Don’t bring your dirty Korean beer.」と書いたのである。彼女のいう「ジョーク」とはこの揶揄的な誇張を指しているのだろう。
ファイフィールドのこの行動は正当化できるだろうか。問題の1つは、張り紙にはない「Dirty」という言葉を追加した点である。彼女のツイートは主に英語話者を対象としている。その中の多くの人は日本語が理解できないだろう。そうした人々は、その張り紙は「Dirty」という言葉を使ったあからさまに差別的なものだと勘違いするだろう。
第二に (こちらの方がより重要なのだが)、張り紙にはほんとうに差別的な意図が含まれていたのか、ということである。ファイフィールドは現場で張り紙を目撃しているわけだから、担当者をつかまえてその意図を確認することができたはずである。あるTwitterユーザーが繰り返し「担当者に確認をしたのか」と尋ねているのだが[参照]、彼女はこの問いに応答していない。
彼女が張り紙を差別的だととらえたのは、韓国が名指しされていたからだという。しかし、当然のことながら国名や人種に言及したからといって差別的だとは限らない。必要であれば言及するのが当然である。不要な場面では言及しないというエチケットがあるのはわかる。その方が無用な争いを避けることもできるだろう。しかし、エチケット違反と差別はまったく別物である。またエチケットは文化に依存するものであり、彼女の属する文化ではエチケット違反かもしれないが、他の文化ではエチケット違反でないものはいくらでもある。ファイフィールドはそのあたりのニュアンスをまるっと無視して、おそらくは当事者に確認する手間もとらず、自分の文化は世界中どこでも通用するものだと油断して、張り紙を差別だと決めつけて揶揄的なツイートしたわけである。
では、実際にはこの張り紙はどのような状況で張り出されたものだったのか? 事件発生直後に現場を訪れて張り紙の主に話を聞きに行き、インターネット上でそれを報告してくれた人がいた。その人の話によれば、品川駅の近くの商店街でイベントが行われていて、張り紙を出したのはその実行委員会の人だ。イベントの屋台で飲食物を買った人のためにスペースを用意してあったのだが、そこにイベント参加店ではない韓国屋台で購入したビール等を持ち込む人がいたためそのような張り紙を出したとのことだった。ゴミの仕分けに混乱が生じるのを避けるのが主な理由であるという説明だった。
この人の投稿は (私の探し方が悪いのかもしれないが) 今回ネット上で探し出すことができなかった。もしご本人がこのブログを見ていたら、もしくはこの情報がどこにあるかご存じの方がいたら、教えていただけると幸いです。
ファイフィールドはダーティー・コリアン・ビア事件で少しは懲りたかと思ったのだが、実は2年後にも同様の間違いを犯している。
2017年5月、わいせつ物頒布およびわいせつ物陳列の罪に問われたアーチスト・ろくでなし子氏の控訴審の裁判が行われた。判決は、わいせつ物頒布 (自身の女性器の3Dデータを頒布したこと) は有罪、わいせつ物陳列 (女性器をかたどったオブジェの陳列) は無罪というものであった。
それに反応してファイフィールドが投稿したツイートがこちらである。
[魚拓]
「これはひどい。日本には男性器祭りがあるのに」。男性器祭りとは、男性器のオブジェを神輿にのせて練り歩く川崎市のかなまら祭りのようなものを指しているのだろう。すなわちファイフィールドは、「日本では男性器のオブジェの陳列は許されるのに、女性器のオブジェの陳列すると罪に問われる。これは女性蔑視ではないか」と告発しているつもりなのである。
ところがこれは明らかに勘違いである。ろくでなし子はわいせつ物陳列では無罪になったからだ。ここでも日本はひどい男女差別のある国だという彼女の思い込みが事実確認を怠るという油断につながったのだろう。
ちなみに、日本には女性器をかたどった山車などを引き回す祭りもあれば (愛知県犬山市の大懸神社[1][2])、子宝や豊穣を祈願するため崇拝の対象として女性器の形をした石や木を祀っているところは存在する (大縣神社、和歌山県白浜市の歓喜神社、和歌山市の淡島神社、愛知県豊川市の風天洞など)。(魚拓[1][2][3][4][5][6])
このときは前回とは異なり、ファイフィールドは批判コメントには反応せず、謝罪したりツイートの内容を訂正したりすることもなかった。彼女がダーティー・コリアン・ビア事件から学んだのは、予断に基づかない正確な情報発信を心がけることではなく、批判をやりすごすための身の処し方だけだったようである。
参考資料:
RocketNews24 (現在の名称は SoraNews24) の英語記事:
Washington Post writer catches heat for “dirty Korean beer” joke | SoraNews24 -Japan News-
[魚拓]
SoraNews24 はロケットニュース24の姉妹サイトで、日本やアジアに関する記事を英語で日本から発信している。
J-Cast ニュースの記事
「dirty Korean beer」とは一体どんなビール 米大手紙支局長の翻訳は日本のイメージダウン狙ったのか: J-CAST ニュース【全文表示】
当時のTogetterまとめ:
ワシントンポスト日本支局長、「韓国屋台のビール」を"dirty Korean beer"とツイート - Togetter
ダーティ・コリアン・ビア事件など歪んだ英語報道に関するモーリー・ロバートソン氏の考察:
歪んだ英語報道による日本のイメージダウンをいかに回復すればいいか? - Togetter
Anna Fifield - The Washington Post
アナ・ファイフィールドの経歴:
1976年ニュージーランド生まれ。ニュージーランドのカンタベリー大とヴィクトリア大学ウェリントンで学ぶ。母国でジャーナリストとしてのキャリアを開始し、2001年からファイナンシャル・タイムズ、2014年からワシントン・ポストで記者を務める。2000年からニュージーランドのドミニオン・ポストで編集者。2022年にワシントン・ポストに戻って現在は同紙のアジア/太平洋担当記者。