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オバマは原爆投下の映像に拍手したのか?

2014年に行われたノルマンディー上陸作戦70周年記念式典で、オバマ大統領 (当時) が原爆の映像に拍手をしたというのはネット上でよく言われていますが、それは本当なのか。ちょっと気になったので調べてみました。

 

まず、こちらの映像は CS の「TBS News」という番組内の「キャッチ・ザ・ワールド」というコーナーの映像です。JNN (TBS系列) の貞包史明記者が現地に行ってレポートしています。

 

www.youtube.com

 

貞包記者の該当部分のレポート内容を文字起こしします。

2000人による戦争の歴史がパフォーマンスで繰り広げられていたんですが、音楽が止み、原爆の映像が出たときです。

(ここで原爆の映像を映す会場の大モニター、および拍手するオバマ大統領の映像が挿入される)

原爆の映像が出たときに、会場から拍手が湧きました。この拍手には、私、かなり違和感を持ったんですけれども、よく見るとプーチン氏やメルケル氏は拍手をしていません。

 

 

大画面モニターに原爆の映像が映し出されたときにオバマが拍手したのは事実であり、観客席の拍手に貞包記者が主観として違和感を覚えたのも事実でしょう。しかし、オバマは原爆の映像に対して拍手をしたのでしょうか。

 

式典を最初から最後まで記録した約3時間にわたる動画が Youtube の Euronews という媒体のチャンネルにアップされています。

www.youtube.com

 

問題のシーンはこの動画の2時間35分のあたりです。客席にはオバマを含む要人が座っており、正面に大画面モニターがあります。モニターの前では数十人ほどのダンサーがパフォーマンスを繰り広げています。ダンサーが動きを止め、音楽が止んだ瞬間に、原爆のキノコ雲の映像がモニターに映し出され、爆発音がかぶさります (この爆発音は実際の音なのか SE なのかはわかりません)。

 

 

パフォーマンスの流れを見ていきますと、ここは第二次世界大戦が終結したことを表現するシーン。音楽とダンサーの動きがとまったことでもわかるように、中盤の山場が終わって一区切りついた瞬間です。つまり、拍手のタイミングではあったわけです。

 

拍手したときにオバマが何を考えていたかは本人でなければわかりません。しかし、式典の映像を見た私の個人的な印象としては、オバマはあまり深く考えずにパフォーマンスの切れ目だから拍手したという風に感じました。

 

だからといって、私がこの場面に違和感を覚えなかったわけではありません。原爆の映像が観客の拍手を促すキューとして利用されているからです。演出上の小道具として使用されているからです。日本人の演出家ならそんな無神経なことはしないでしょう。欧米人と日本人で原爆の受け止め方が違うのは頭では理解していましたが、こうしてあらためて目の当たりにすると考えさせられるものがあります。

 

しかし、この場面で拍手をしなかった人もいました。貞包記者によればメルケルとプーチンです。メルケルは敗戦国のドイツの首相であることが理由かもしれませんし、たまたま特に理由なく拍手しなかったのかもしれません。プーチンについては拍手しなかったのは意識的でしょう。貞包記者は次のようにレポートしています。

 

よく見ると、プーチン氏やメルケル氏は拍手をしていません。そしてその後、TBSのカメラマンがとらえた映像を見てください。

(ここでプーチン大統領が胸で十字を切る映像が挿入されます)。

プーチン大統領が胸で十字を切ってたんです。原爆を落としたのはアメリカですし、このパフォーマンスがプーチン大統領の計算だったとうがった見方もできるんですが、真実はわかりません。

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あとはおまけなんですけど、思い出話を1つします。もう 20 年くらい前ですが、私の住んでいるアイルランドはバブルですごく景気が良かったのです。私もちょっといい車に乗っていました。ベンツの C です。

 

金曜の夜だったと思うのですが、夜の 12 時ころに仕事を終えて車で帰っていました。ダブリンの街なかのコンビニに寄ってなにかを買ったんですよね。景気がいいのでタクシーがつかまらなくて、若い人たち (学生というより割といい職についている 20 代) がコンビニ前にたむろしていました。

 

当時のアイルランドにはハックニーと呼ばれる料金をとって客を乗せて走る車がありました。タクシーはアイルランドでも屋根にいわゆる行灯がついているので一目でわかりますが、ハックニーは外見では一般車との区別はつきません。ハックニーは必ず電話で予約する必要があり、道端で手をあげている客を乗せるのは違法でした。

 

その頃は、いい車に乗ってるアジア人ってだいたいハックニーだったんですよ。それで、コンビニでたむろしていたお兄ちゃんの一人が私をハックニーとまちがえて、ブラックロック (ダブリン郊外の地名) まで乗せてってくれと頼んできたのです。前述のようにこれは厳密には違法なんですけど、まあ誰もとがめだてする人はいません。

 

私はもちろん「いや、ハックニーじゃないんだけど」と言ったんですが、なんとなくその場の雰囲気で乗せていってあげることになったんです。特に忙しくもなかったし、そんなに遠くでもなかったので。

 

道中、世間話をしてて、私が日本人だと知ると、そのお兄ちゃんは「原爆を落とすなんてアメリカは許せんね」みたいなことを言い出したんですね。その真意はよくわかりません。本心かもしれませんし、日本について知っていることが原爆ぐらいしかなかったのかもしれません。その頃はまだ有名なサッカー選手もほとんどいませんでしたし。車に乗せてもらったのでちょっと私が喜ぶようなことを言っておこうというのはあったと思います。

 

それに対して私はどんな返事をしたのか覚えていません。当時の私は原爆についてそれほど深く考えたこともなく、アメリカに対する怒りみたいなものもありませんでした。生返事をしただけかもしれません。思い出話なのでオチはありません。運賃として5ユーロもらいました。