記事翻訳『トランプの政治集会に参加した私は、民主党が2020年の準備ができていないことを悟った』
『トランプの政治集会に参加した私は、民主党が2020年の準備ができていないことを悟った』という記事を訳してみました。記事を書いたのは、ニューハンプシャー州に住むカーリン・ボリセンコという女性。心理学の博士号を持っていて、ふだんは、労働環境などについて企業にアドバイスする仕事をしているそうです。
20年にわたる民主党支持者で、趣味の編み物に没頭していた彼女が、なぜトランプの政治集会に参加し、なぜ考えを変えたのか。彼女は、この記事を書くまで特に政治的な言論活動をしていたわけではなかったのですが、それはどうしても言葉にしなければならない体験だったようです。
記事を掲載したのは、ミディアム (Medium) というオンライン・プラットフォーム。Twitter や Blogger の共同設立者であるエヴァン・ウィリアムズが主宰するプラットフォームです。
記事が公開されたのは2020年2月11日。共和党の候補者が誰になるのか、激しい争いが繰り広げられていた頃の話になります。
(翻訳ここから)
トランプの政治集会に参加した私は、民主党が2020年の準備ができていないことを悟った。
私は20年間民主党を支持してきた。しかし、この体験 (トランプの政治集会に参加するという体験) は、私の党がこの国の一般的な人々からいかにかけ離れているのかを気付かせてくれた。
文: カーリン・ボリセンコ (Karlyn Borysenko)
2020年2月11日
左派の私たちは鏡をじっくりと覗き込み、何が起きているのか正直に会話する必要があると思う。
ドナルド・トランプの政治集会に参加することになるだろうと3年前の私に誰かが言ったとしたら、私は笑い飛ばしただろう。そんなことなど起こりっこないと。3か月前ならどうだろう? 私の反応はおそらく同じだったはずだ。そんな私がなぜ、ニューハンプシャー州マンチェスターで、11,000人を超えるトランプ・サポーターに囲まれていたのか? 信じられないかもしれないが、すべては編み物から始まった。
編み物の世界は特に政治的だと思われてはいないかもしれない。しかし、それは間違いだ。編み物の愛好家の多くは、社会正義のコミュニティで活動している。そして、私たちの文化において編み物愛好家が果たしてきた革命的な役割について語りたがる。私がそれに気付いたのは1年ほど前だ。特にインスタグラムでその傾向は強かった。私が編み物をするのは、現実世界のあれやこれやを忘れてリラックスするためであって、現実世界にさらに深く関わるためではない。しかし、編み物コミュニティのオンライン社会正義戦士の一群が、彼らのイデオロギーに沿わない人々を追い掛け回し始めるのを無視することは不可能だった。インスタグラム上の編み物界の有名人たちは、一見なんでもないような言葉を発したために、何百人もの人々に叩かれ、もみくちゃにされた。ある男性は、あまりにこっぴどく叩かれたため、ノイローゼに陥り、自殺しないようにと病院に担ぎ込まれた。こうしたヘイトについて納得できないことはたくさんある。そして、政治的に私と同じ傾向を持つ人々が吐き出す辛辣な言葉を目にしたことで、私の頭の中に警報が鳴り響いた。
私は、トランプに投票する人はすべてレイシストだと考えるような民主党支持者の1人だった。彼らはひどい人々だと (そして、嘆かわしい人々だとすら) 考えていた。どんなに些細なコメントであったとしても、トランプ支持を表明する人をフレンド解除し、ブロックすることで、自分の空間から彼らの声を取り除くことに腐心した。私は MSNBC をよく視聴していた。そして、トランプはひどいことしかしないし、異性愛の白人男性以外の人をすべて憎んでいるし、欠点を補う長所などひとつも持っていないと信じ込んでいた。
しかし、この小規模でニッチな編み物コミュニティにおいて、左派からの大量の憎悪を目の当たりにした私は、すべてを疑い始めていた。意見の異なる人の声を聞くことで、エコー・チェンバーを打ち破るための積極的な努力を開始した。彼らの考え方を理解したかった。彼らは意見を同じくしないすべての人に対する憎しみで満ちあふれている。それが再確認でるはずだ、と信じていた。
だが、私は間違っていた。左派以外の声を聞けば聞くほど、彼らは悪い人々ではないことがわかった。彼らはレイシストでもナチスでも白人至上主義者でもなかった。社会的な問題や経済的な問題についての意見の違いはある。しかし、意見が違うからといって、彼らが本質的に邪悪だということにはならない。そして、彼らは議論を通じて意見を主張した。私が味方だと思っている人々が、がなり立て、わめき散らすことで意見を通そうとするのとは違っていた。
私は ウォーク・アウェイ (#WalkAway) ムーブメントを発見 (おそらく再発見) し始めた。#WalkAway については聞いたことがあった。MSNBC が、それはフェイクでロシアのボットだと言っていたからだ。かつては民主党支持者だったが、左派の振舞いに我慢ができずに民主党を離れた人々に実際に会ってみることにした。私は、さまざまなマイノリティ・コミュニティのために彼らが開いたタウンホール・ミーティングを視聴した (YouTube ですべてを見ることができる)。また、さまざまな肌の色、バックグラウンド、指向、 体験を持つ人々の分別ある理性的な議論に耳を傾けた。そのコミュニティの Facebook グループに参加し、毎日のように新しい人が現れては、民主党から離れた理由を語るのを聞いた。それはフェイクではなかったし、彼らはロシアのボットでもなかった。それは新鮮な体験だった。そのグループ内には、普遍的な合意などというものは存在しなかった。トランプを支持する人もいたし、支持しない人もいた。彼らは、罵声を浴びせるでも逆上するでもなく、互いを糾弾して排除しようとするでもなく、意見を交わし、シェアしていた。
(注: WalkAway キャンペーンは、もともとはゲイ・ライツの活動家だったブランドン・ストラカが 2018 年に始めたソーシャル・メディア・キャンペーン。社会の分断を拡大するような姿勢を取り続ける民主党から離脱 (WalkAway) することを呼び掛ける運動。ストラカの声明動画の翻訳はこちらから↓)
私はあらゆることを疑い始めた。真実ではないストーリーを私はどれほど信じ込まされてきたのか? 敵陣営に関する私の認識が間違っていたとしたらどうだろうか? 国の半分があからさまにレイシストなどということがありうるのか? 「トランプ錯乱症候群」(注: トランプのやることなすことすべてに反対する人々を指す言葉。揶揄として使用される) は実際に存在し、過去 3 年間、私はこの病を患っていたのだろうか?
そして、最大の疑問はこれだ。トランプと彼の支持者を困らせるためだけにこの国が失敗すればいいと考えるほど、私はトランプを憎んでいたのか?
ニューハンプシャー州の予備選挙に話を戻そう。あらゆる政治家が、有権者にアピールするために州内を駆け回っていた。私はほとんどすべての民主党支持者を実際にこの目で見た。そして、彼らのメッセージはほぼ間違いなく悲観的で陰鬱なものだったということを知った。ドナルド・トランプとの明白な意見の違いに焦点を合わせるだけでなく、この国がいかにひどい人種差別がはびこる場所だということを強調するのだ。
もちろん、人種について言えば、私たちが社会として検討しなければならない切実な問題を抱えていることは間違いない。私は、性別やバックグラウンドにかかわらず、あらゆる人が平等な機会を得るべきだと信じている。そして、ある人が別の誰かよりも本質的に価値がある、または価値がないという考えには反対である。2017年にバージニア州シャーロッツビルで行われた抗議集会では、本物のレイシスト、本物のナチス、本物の白人至上主義者が悲劇を引き起こした。しかし、こうしたレッテルは、ほとんどのトランプ支持者には当てはまらないことを私は理解し始めた。
それでもまだ、トランプの集会に参加すると考えることすら嫌だった。私は、トランプの態度がこの国で最高の公職に就く人物にふさわしいとは思わない。彼のツイートは大嫌いだ。彼の政策の多くに強く反対する。しかし、それでも、私は自分の目で確かめたかった。
正直に言えば、私は不安だった。そこで、慣れ親しんだ場所から始めることにした。集会から数ブロック離れた場所で MSNBC がライブで番組を中継していたので、まずそこを訪れたのだ。私は、トランプ帽に似た赤い帽子を被ることにした。しかし、トランプ帽とは小さな違いが 1 つだけあった。「Make Speech Free Again」(言論の自由を取り戻そう) と書いてあるのだ。それは、キャンセル・カルチャーに対する私のささやかな抵抗だった。笑い話にでもなればと、私はそれを被ったまま、MSNBC のキャスターのアリ・メルバーと写真まで撮った。
おもしろいのは、その帽子は人によってどのようにでも解釈できることだ。左派の人々といるときに被れば、それは右派に対して意見していると解釈される。右派の人々といるときに被れば、それは左派に対して意見していると解釈される。それは、私たち自身の視点やバイアスが世界の見方にどれほど影響を与えるかを、あらためて思い出させてくれた。
私は、収録の現場でおしゃべりする中で、トランプの集会に行ってみようと思っていると軽い調子で口にした。彼らは何よりもまず、私の身の安全を心から心配してくれた。見知らぬ人が、彼らを避けるようにとあれほど熱心に説得してくれたのは初めてだった。ある女性は、トランプ支持者は最低の人々だと言った。別の男性は、過去にトランプの集会に行ったとき、いかつい体をした大男たちの嫌がらせの的になったと言った。別の女性は、ペッパー・スプレーを持たせてくれようとした。私は大丈夫だし、不安になったらすぐに逃げだすからと、彼らを安心させた。
彼らが知らなかったことは、実は彼ら以外にも危険について忠告してくれた人がいたことだ。私は右寄りのオンラインの友人にも話を聞いていた。彼らも私が集会に行くことを本気で心配してくれた。ただし、他の参加者を恐れたからではない。左派が参加者を暴力的に攻撃することを恐れていたのだ。その前日、フロリダの共和党登録テントに車が突っ込むという事件があった。似たようなことが起こるのではないか、また、アンティファがボストンからバスで人を送り込むのではないかと、真剣に警戒されていたのだ。左寄りの人々に対してそうしたように、右寄りの友人にも私は大丈夫だと言って安心させた。そもそも、ニューハンプシャーではアンティファはほとんど存在感がないのだ。
しかし、不安をまったく感じなかったと言えば嘘になる。周りにいるすべての人があなたの身の安全を心配しているなら、彼らにも一理あると考えないわけにはいかない。しかし、だからこそ、私はこの目で確かめたくなった。どちらも相手を同じような目で見ていることが、はっきりと確認できたからだ。どちらも相手のことを恐れ、相手が何をするか不安に思っていた。少しの間でも、彼らが相手のレンズで世界を眺めることができたらどうなるだろうと考えざるをえなかった。自分たちが思うほど世界が見えていなかったことに、はっきりと気付くのではないか。
開場の 1 時間半前に私はアリーナに着いた。それは、すなわち、トランプが登壇する 4 時間前ということだ。ドアが開くのを待つ列は、既に 1 マイル (1.6km) にも達していた。待つ間、私は周りの人と会話した。事前に聞かされていた悪い話とはまったく逆に、彼らはとても感じのいい人たちだった。からかわれも、脅されもしなかった。一瞬たりとも身の危険を感じることはなかった。彼らは、どこにでもいる普通の人々だ。退役軍人もいたし、教師もいたし、自営業の人もいた。この集会に参加するという興奮を味わうために、あらゆる場所から集まってきている。彼らは上機嫌で、ワクワクしているのがわかる。私は、会話の中で、自分は民主党支持者だと口を滑らせもした。彼らの反応は、「よく来たね。ようこそ」だった。
会場の中は、ゴキゲンなムードに満ち溢れていた。それは政治集会というよりもロック・コンサートだった。人々は心の底から楽しんでいた。ラウドスピーカーから流れる音楽に合わせて踊っている人もいた。それは、私が参加してきたどの政治集会とも大きく異なっていた。2008年のバラク・オバマのときですら、これほどのエネルギーは感じなかった。
その 2 日前、民主党のすべての候補者が登壇したイベントに私は参加していた。会場も同じだった。しかし、雰囲気は対照的だった。まず、トランプの集会では、会場は上から下まで埋め尽くされていた。民主党の集会はそうではなかった。主だった民主党候補が全員出席し、無料チケットを配布していたにもかかわらずだ。トランプの集会では、すべての人々が 1 つの目標に向かって団結していた。民主党の集会では、聴衆は気にくわない候補者にブーイングし、互いに怒鳴り合っていた。トランプの集会では、未来を見る目はまぎれもなく楽観的だった。民主党の集会にあったのは、悲観と陰鬱さだった。トランプの集会には、アメリカ人であることを心の底から誇りに思う気持ちがあった。民主党の集会では、この国は上から下までレイシストなのだと強調していた。
トランプは常に最良のシナリオを提示しようとする。彼は嘘もつく。それは証明可能だ。しかし、この集会の強みは、事実や数字にあるのではない。自分たちの味方をしてくれる人がいる。自分たちのために戦ってくれる人がいる。そう感じて集まってきている人々。それがこの集会の強みだ。「そりゃあ、彼らは楽しんでいるのだろう。カルト集団なのだから」と言う人もいる。しかし、それは違うと私は思う。現実には、私と話をした人の多くは、なんらかの点でトランプに同意していない。必ずしもトランプの態度が好きなわけでもない。あんなにツイートしなくてもいいのにと思っている。カルトの崇拝者はリーダーに疑問を投げかけたりしない。私が話をした人は疑問を持っている。しかし、彼らの目には、良い面が悪い面をはるかに上回っているのだ。トランプは完璧だから愛されているのではない。欠点にもかかわらず愛されているのだ。トランプなら後ろ盾になってくれると彼らが信じているからだ。
集会が終わった。中に入れなかったためにアリーナの外で巨大スクリーンを見ていた何千人もの人々の横を通り過ぎながら、11 月の選挙でトランプが負けることはないと私は確信していた。そんなことはありえない。民主党が候補者に誰を指名しようが、トランプに打ちのめされるだろう。私の言うことを信じられないなら、彼の政治集会に参加して、自分の目で確かめてみるといい。心配しなくていい。彼らが襲ってくることはないから。
私は今日、ニューハンプシャー州の予備選挙で、ピート・ブティジェッジに投票した。ピートはこの国にとって素晴らしい働きができると心の底から思う。そして、将来的にチャンスを得ることもおそらくあるだろう。しかし、私は明日、投票者登録を民主党から無党派へと変更する。過去 20 年間支持してきた党を離れ、しばらくの間、中間地点から見守ることにする。どちらの党にも、私の居心地を悪くさせる極端な人々がいる。しかし、どちらの側であっても、ほとんどの人は善良でまともな人々であると私は基本的に信じている。どちらも、この国に最良のことを願っているが、そこに至るまでの方法について意見が大きく異なるだけだ。しかし、両者がお互いを人間だと認め始めるまで、分断に橋が架かることはないだろう。これ以上の分断に力を貸すことを私は拒む。投票先が異なるからといって、会ったこともない人を憎むことを私は拒む。この国を癒すつもりがあるなら、歩み去るのではなく、歩み寄る姿勢を見せ始めなければならない。
この 11 月、民主党支持者は手痛い一撃をくらうことになるだろう。選挙結果に大きな衝撃を受けるだろう。なぜなら、彼らは世の中の現実を反映していないエコー・チェンバーの中で暮らしているからだ。それが警鐘になればいいと思う。鏡の中を見つめ、どうしてこんなことになってしまったのか自問自答するきっかけになればいいと思う。そうすれば、彼らは人の話を聞き始めるかもしれない。その可能性はどちらかといえば低いと思うがが、希望を持つことは悪くない。
(翻訳ここまで)
この記事がかなり話題となったこともあり、ボリセンコは先日、PragerU の動画に登場して、同様の趣旨のことを 5 分間ほどにまとめてしゃべりました。私が彼女の名前を知ったのも、そのときが初めてです。その動画を翻訳して Twitter にあげたところ、かなりの反応をいただきましたので、今回、この記事も訳そうと思いました。
PragerU の動画とその翻訳の書き起こしはこちらからどうぞ (スレッドになっていますので、クリックしてお読みください)。
動画『私の心を変えた政治集会』を訳してみた。カーリン・ボリセンコは、トランプの集会に行くくらいなら死んだ方がましだと思っていた。そんな彼女がなぜ、ニューハンプシャーのアリーナで11,000人のトランプ支持者に囲まれていたのか? そして、その経験から何を学んだのか?https://t.co/zcKoHJa0du pic.twitter.com/STfdWNaxRP
— tarafuku10 (@tarafuku10) 2020年8月5日
編み物コミュニティと左派的な政治活動の組み合わせは、奇妙な組み合わせに思われるかもしれませんが、あの世界もかなり強烈なイデオロギーに支配されているようです。編み物というのは時間的な余裕がないとできない趣味ですし、教育レベルの高い中産階級以上の方々が多いと思われますので、左派/リベラル的政治傾向と親和性が高いのかもしれません。編み物クラスタ内の政治的軋轢/キャンセル・カルチャーについては、昨年、Quillette誌に3本ほど記事が出ています。
ボリシェンコは、2020年8月5日公開のポッドキャスト「Triggernometry」にも登場して、1時間にわたってインタビューを受けています。その動画へのリンクも貼っておきます。