ジェイク・エーデルスタインの『Tokyo Vice』を事情通がこき下ろす

今年の4月から米国HBO MaxでTVドラマ『Tokyo Vice』(トウキョウ バイス)が放映された。舞台は1999年の東京。主人公は、ヤクザなどが蠢く日本のアンダーグラウンド社会に足を踏み入れたアメリカ人新聞記者だ。主演はアンセル・エルゴートで、渡辺謙や菊地凛子が脇を固める。

 

原作となる同名の回想録を書いたのはジェイク・エーデルスタインだ。来日後に上智大学で日本文学を学び、1992年に欧米人として初めて読売新聞の社員となり、12年間勤務した男である。

 

ドラマ『Tokyo Vice』のレビューはおおむね好評だ。映画評論サイトの Rotten Tomatoes によれば、平均評価点は10点中7.6点。同サイトの評論家コンセンサスにはこう書かれている。「『Tokyo Vice』で最も興味をそそらない要素は主人公である。だが、日本のアンダーワールドの複雑怪奇さとその背景の迫真性により、魅力的なネオ・ノワールに仕上がっている」。

 

さて、ドラマの成功とは裏腹に、原作の『Tokyo Vice』には以前からよくない噂が付きまとっていた。作者のジェイク・エーデルスタインはこの本に書かれていることはすべて実際に起きたことだと主張しているのだが(注)、そんな荒唐無稽な話が本当であるはずがないと疑問視する声があがっていたのだ。インターネットでは彼を揶揄して「ジェイク・ザ・フェイク」(いかさま野郎のジェイク)と呼ぶ人もいる。

 

注: 情報提供者の保護のために名前と国籍は変更したとしている。

 

今年の4月、『Tokyo Vice』の放映開始に合わせて、米国のハリウッド・リポーター誌が彼に取材し、「『Tokyo Vice』の原作を事情通がこき下ろす」という記事を公開した。つまり、ドラマの下敷きとなったエーデルスタインの回想録には真実性が欠けているのではないかというのだ。おもしろい記事だったのでここに要約して紹介したい。

 

執筆したガヴィン・J・ブレア記者は、2009年に日本外国特派員協会で開かれたエーデルスタインの記者会見に出席して同協会の会報誌に記事を書き、2013年には『Tokyo Vice』の映画化の可能性についてハリウッド・リポーター誌に寄稿したこともある(映画化は実現しなかった)。

 

今回翻訳する記事が同誌で最初に公開されたのは2022年4月27日。オンライン版の記事ではその後いくつか追記がなされているようである。

 

www.hollywoodreporter.com

 

(記事の要約ここから)

 

『Tokyo Vice』の原作を事情通がこき下ろす

 

2001年、後藤組の組長であった後藤忠政らは肝臓移植の手術を行うために渡米した。後藤は手術を行った病院に多額の寄付を行ったほか、入国を認めてもらうために連邦捜査局との間で山口組の内部情報を提供するなどの取引を行った。

 

後藤組は暴力団の不文律 (一般人を不必要に傷つけないなど) を無視することで知られる存在だったが、エーデルスタインはリスクを冒して記事を書き、その成功によって日本の闇社会にひるむことなく立ち向かうジャーナリストとしての評価を確立した。

 

読売新聞を退社後、エーデルスタインはデイリー・ビーストやLAタイムズなどに寄稿するフリーランス・ジャーナリストとなり、本も何冊か書いた。もっとも有名なのが2009年に出版された『Tokyo Vice』である。しかし、ノンフィクションとされるこの作品の真実性には長く疑問の目が向けられてきた。

 

エーデルスタインはほんとうに合気道の技を使って巨体の用心棒を倒したのか? ヤクザのスナイパーにつけ狙われたのか? 「私と寝たら情報をわたしてあげる」と女に迫られたのか? 女に札束を投げつけられて性的な奉仕を要求されたのか?

 

2022年4月の上旬、ハリウッド・リポーター誌の記者は六本木ヒルズでエーデルスタインにインタビューした。彼の回想録につきまとう疑問点について確認するためだ。エーデルスタインは魅力的な話し手だったが、2時間にわたる対話の中で話の辻褄が合わなくなることもあった。

 

エーデルスタインは、本の内容について「なんの誇張もしてない。起こったことをすべて起こったとおりに書いた」と主張した (ただし、暴力団の報復を避けるために登場人物の名前や国籍は変えてあるとしている)。

 

ドラマ『Tokyo Vice』のプロデューサーであるジョン・レッシャー (映画『バードマン』でアカデミー賞を受賞) は、エーデルスタインの本の真実性に関してこう語っている。「彼の本はドラマにインスピレーションを与えてくれたに過ぎない。ドラマ独自の設定も数多く追加されている。本の内容が本当かどうかは、エーデルスタイン本人や登場人物に聞くべきだろう。私はその場にいなかったのだ」。

 

本にもドラマにも、洒落たスーツを着こなすフランスびいきの同僚記者が登場するが、これはエーデルスタインと同時に読売新聞浦和支局に配属された辻井南青紀(つじいなおき)がモデルになっている。本では彼のニックネームは「フレンチー」、ドラマでは「タンタン」だ。

 

現在は小説家となり、京都芸術大学で教鞭も執る辻井は、「誰も私のことをフレンチーとは呼ばなかったし、新聞記者はみんな特徴のないスーツを着ていた」と語る。

 

辻井は長時間にわたるビデオ電話と2本のメールでエーデルスタインに対する賞賛の気持ちと好意を強調した。「後藤組について書くのは彼にとって危険なことだった。ほとんどの日本人ジャーナリストは、脅迫を受けたらあきらめていただろう」。

 

しかし、辻井はジャーナリストとして働いた経験があり、現在は小説家であるだけでなく小説について教える立場だ。ジャーナリズムと創作の違いを理解しているのである。

 

「日本はシステムに従って働く国だ。あの本の内容の一部は、書かれたとおりに起こったのではないだろう。まちがいなく誇張はある。だが、そこがジェイクの持ち味だ」。

 

エーデルスタインの回想録の最初の方に、読売新聞で働き始めた年の忘年会で彼と彼の同僚が大立ち回りを演じたという記述がある。その忘年会に出席していた辻井はそんな喧嘩を見た記憶がないという。

 

(記事の公開後、「その年の忘年会には出席してたというのは記憶間違いで、実際は出席しなかった」というメールが辻井から届いた)

 

エーデルスタインは、今回のインタビューでも、こうした喧嘩はしょっちゅう起こっていたと語った。「私たちの忘年会は暴力的だった。読売は軍隊のようだった。体育会のメンタリティを持っている人間がたくさんいた」。

 

また、記者一年生のエーデルスタインは、上司の許可を得て殺人容疑者の友人のイラン人に扮し、おとり取材を行ったという。

 

「読売の記者がおとり取材を許されるなどということは絶対にない。そんなことを上司に頼みもしないだろう」と辻井は言う。「日本では警察すらおとり捜査を行わない。最近少し法律が変わったけれども、おとり捜査は非合法で、そんな方法で証拠を集めることはできない。読売はそうしたことには非常に厳しかった」。

 

(記事の公開後、「ジェイクがおとり取材を行ったかどうかについて真実性を否定したわけではない」というメールが辻井から届いた)

 

エーデルスタインは、おとり取材の話は本当だという。「情報を得るにあたってルールなどなかった。情報を買う以外はなんでも許された」。しかし、その後の質問にはこう答えている。「行動規範やジャーナリズム精神について書かれた小冊子があって、読売はそれをバカみたいに真剣にとらえていた」。

 

『Tokyo Vice』の本の冒頭に、後藤組の仕事人が面とむかってエーデルスタインを脅迫するシーンがある。「記事を消せ。さもなくばお前が消されるだろう。おそらくお前の家族や友人も」。

 

このときエーデルスタインのそばには刑事がいたのである(ドラマでは渡辺謙が演じている)。刑事の面前でヤクザがそんなことを言うだろうか。この疑問について彼はこう答える。「ちょっと違う言い方だったかもしれない。『記事が消えるか、何か別のものが消えるか。お前にも家族がいるだろう? 』みたいな」。

 

彼の回想録によれば、2008年5月から5年間、彼は警視庁の保護下にあったという。後藤組の襲撃から身を守るためだ。しかし、この期間中、彼が命を狙われているにしては派手な暮らしをしていたことを多くの人が目撃している。

 

2009年11月、CBSの『60ミニッツ』という番組でエーデルスタインはインタビューを受けた。「生き延びるために何をしたのか」という質問に彼はこう答えている。「部屋のシャッターを下ろしたままにしておく必要がある。どこかの建物からスナイパーが狙っているかもしれないからね」。

 

ヤクザが使う凶器は一般的に刃物かピストルだ。ヤクザがスナイパーを雇ったという話は聞いたことがない。この事実をハリウッド・リポーター誌の記者に突きつけられたエーデルスタインは、最初はスナイパーの話をした事実を否定した。しかし、すぐに冗談を言っただけだと話を変えた。「こんな話を真剣に受け取る人がいるなんて思わなかったよ」。

 

エーデルスタインは、匿名の情報源から得たとする一風変わった話をニュース記事によく引用する。これについては東京在住の外国人記者などさまざまな人が首をかしげてきた。引用されるのは、ヤクザ、警察、政治家、公務員、一般人などの発言だ。ハリウッド・リポーター誌の記者は、エーデルスタインがLAタイムズ、アジア・タイムズ、デイリー・テレグラフ、フォーブス、アトランティック、そしてアジア・パシフィック・ジャーナルに書いた記事の中から、こうした引用が含まれるものを25本選び、彼に質問を投げかけた。

 

インタビューの最後に、エーデルスタインは記者を自宅に招待する。3日後に来てくれれば、匿名の情報源の存在を検証できるように、取材メモやその他の資料を用意しておくというのだ。しかし、翌日、彼からメールが届く。準備に時間がかかるので日程を2週間後にずらしてほしい。そして、弁護士が作った機密保持契約に署名してほしい、という。最終的に、自宅訪問の約束は当日、直前になってキャンセルされた。

 

(4月20日、ハリウッド・リポーター誌の親会社の上級役員にエーデルスタインからメッセージが届いた。「日本では、警官や公務員が記者に機密情報を漏らすと公務員法に違反することになる。私の良心として、情報源をシェアすることはできない」)

 

エーデルスタインの情報源からはときどき思いもよらない言葉が飛び出してくる。たとえば、デイリー・ビーストで2014年3月に公開された記事には、上納金を納めなければならないのに脅迫するときに暴力団の名前を使えないとこぼすヤクザが出てくる。「マクドナルドの店舗を運営するのに、ゴールデンアーチ (マクドナルドのロゴ) を使えないなんてことがあるかね」。同様のセリフは、2015年のジャパン・タイムズの記事にも、2017年4月のワシントン・ポストの記事にも出てくる。見たところ、異なる2人のヤクザが同じ表現を使っているようなのである。

 

エーデルスタインのヤクザ関連の功績や人脈についての疑念は、早くも2010年に出てきている。ナショナル・ジオグラフィックが『東京の犯罪の親玉たち』(Crime Lords of Tokyo) というドキュメンタリーのために彼をコンサルタント兼フィクサーとして雇ったときのことだ。ディレクター兼プロデューサーのフィリップ・デイは、エーデルスタイン自身や、『Tokyo Vice』に繰り返し登場する個性豊かな人々に会えることを楽しみにしていた。

 

しかし、制作チームは、東京に着く前からエーデルスタインについて疑念を抱き始めていた。彼が電話をかけてきて、「町でヤクザに電話帳で殴られた」と言うのだ。「その口ぶりからして、彼が本当のことを言っているとは到底思えなかった」とデイは述懐する。

 

プロデューサーのカルダー・グリーンウッドはエーデルスタインの第一印象についてこう話す。「彼の服装や物腰はだらしなくてがさつだった。カリスマ性などまったくなかった。現実のエーデルスタインは本に描かれたヒーローとはかけ離れた存在だった」。

 

仕事に直結することについて言えば、ナショナル・ジオグラフィックの制作チームは、彼らが期待しているヤクザの人脈などエーデルスタインは実は持っていないのではないかと疑うようになる。

 

デイによれば、エーデルスタインの戦略はこうだった。まず、ヤクザの周辺人物の何人かに会ってインタビューする。そこから、最終的に年老いた元ヤクザにつなげてもらうのだ。この元ヤクザという男は、一時期エーデルスタインの運転手として働いていた男だという(エーデルスタインによれば用心の役割も担っていた)。しかし、この男が足を洗ったのはかなり前のことであり、制作チームが番組の中心に据える「犯罪世界のインサイダー」には程遠かった。

 

制作チームとエーデルスタインの間にひびが入り始める。エーデルスタインは3週間の撮影スケジュールの半ばで突然、娘の誕生日があるから米国に行かないといけないと言い出す。「願ってもないことだったよ」とデイは言う。制作チームはすぐに別のフィクサーを雇って撮影を続けた。

 

新しいフィクサーの助けを得て、制作チームは3人の現役ヤクザ (2人の兄弟と1人の大物ヤクザ) との接触に成功する。元ヤクザの僧侶やヤクザに誘拐されたことのある女性の話を聞くこともできた。

 

米国から戻ってきたエーデルスタインは、番組の進捗状況に喜ぶどころか、激怒したという。デイはこう言う。「次に何が起こったかというと、ナショナル・ジオグラフィック経由で聞いたのだが、エーデルスタインはフォックス (当時のナショナル・ジオグラフィックの親会社) に連絡して、私たちがインタビューしたヤクザの兄弟が夜中にやってきて彼を殺すと脅したと言ったらしい 。私は一瞬たりともそんな話を信じなかったね。一瞬たりともだ。たわ言を言うなと私は彼に言った。彼はそれを面白く思わなかったようだね」。

 

それがきっかけとなって (とデイは考えている)、エーデルスタインはコロンビア特別区でナショナル・ジオグラフィックを訴えた。

 

訴状によれば、番組が放送されれば、エーデルスタインと番組に登場した人々の命が危険にさらされるという。また、番組がインタビューしたヤクザが出演の同意を取り消したという。エーデルスタインは、番組のスタッフとして働くことには同意したが、ヤクザの構成員や現在ヤクザとつきあいのある人物はインタビューできないことにプロデューサーとの間で合意していたと主張した。

 

翌月、訴訟の決着がつき、確定力のある決定として退けられた。すなわち、エーデルスタインはこの件について再び訴えることはできないということだ。番組は2014年に放映された。

 

「エーデルスタインはあの運転手については知っていたかもしれない。だが、他のヤクザは誰一人知らなかったと私は思う」とデイは言う。「あの本に書かれたことの半分は実際に起きたことではないだろう。彼の想像力の産物だ。フィクションだよ」

 

公正を期すために、エーデルスタインが命を狙われていたという主張を支持する人がいることも記事では触れられている。彼の知人で米国海兵隊の元大佐であり、モルガン・スタンレー日本支社のセキュリティ・アドバイザーを何年も務めたグラント・ニューシャムは、「後藤が彼を殺さなかったのは驚きだ。逃げおおせると思ったら後藤は実際にやっていただろうね」。

 

記事の公開後、デイのコメントについてエーデルスタインは彼のブログでこう反応している。「デイ氏は情報源を秘匿するという合意を破った。そのせいで訴訟が起きた」。

 

彼の弁護士はこう付け加えている。「ナショナル・ジオグラフィックの信用のために申し上げるが、訴訟が起こされ、交渉がデイ氏の手を離れた後、両者が納得できる大筋の合意に至るまで番組のプレミアを延期するなど、ナショナル・ジオグラフィックは責任ある態度で物事を処理した」

 

エーデルスタインも『Tokyo Vice』の中でこう書いている。「私に秘密を打ち明けてくれた人々を特に犯罪組織の報復から守るために出来事を改変したのだが、その理由を説明するのには非常に苦労した」。

 

(記事の要約ここまで)

 

最後に、このハリウッド・リポーター誌の記事が公開されたときの日本在住外国人のツイートをいくつかご紹介して、このブログ記事を締めくくることにしたい。

 

Wataru氏

彼らのヒーローであるエーデルスタインを批判したことで私は友人を失った。こうした形で彼が暴かれるのを見るのはとても素晴らしい。

 

Electric Railfan氏

『Tokyo Vice』とその著者ジェイク・エーデルスタインのフィクションのいくつかを露 (あらわ) にするという点で、記者はいい仕事をした。本に描かれていることの多くがほぼ間違いなく実際に起きたことではないことを考えれば、どこから始めればいいか決めるのは難しかったはずだ。

 

Dr. SkyNet, 2°氏

私は2010年代の前半に彼と東京で何度もあった。彼は自己宣伝に熱心な鼻もちならない40代の変わり者で、いつも大学生ぐらいの子たちとつるんでいるようだった。日本人は彼にとてもうんざりしていた。振り返ってみれば、彼は社会正義戦士の原型だったと思う。

 

Oliver Jia氏 (上のDr. SkyNet, 2°氏のツイートへのレスとして)

あなたの 言っていることは正しいと思う。そして、彼のでまかせの話を喜んで読んでいるのもおそらく大学生の子たちだろう。

 

以上

 

『ザ・ルンペンブルジョワジー』

米国のジャーナリストであるレイトン・ウッドハウス氏のSubstackから「ザ・ルンペンブルジョワジー」という記事を訳してみた。IT企業をはじめとして、アメリカ社会はなぜこれほどまでにウォーク(左傾)化してしまったのか。今回のTwitter社の大量レイオフにもつながる話です。

 

「ルンペンブルジョワジー」とは、ここでは生産性は低いが高給と社会的尊敬を得られる職についている大卒社会人ぐらいの意味。労働市場での競争で明確に有利となるスキルを持たない主に人文系の卒業生が各産業に入り込み、大学で吹き込まれた道徳的資本を頼みの綱にしてキャリアを築こうとする。その過程で社会がWoke化していったとする議論。

 

イーロン・マスクが今回レイオフしたのは、こうしたルンペンブルジョワジーの階級に属する人々だったのかもしれません。

 

leightonwoodhouse.substack.com

 

(翻訳ここから)

 

ザ・ルンペンブルジョワジー

 

文: レイトン・ウッドハウス (Leighton Woodhouse)

公開: 2022年8月11日

 

ノルウェー映画の『わたしは最悪。』にこんなシーンがある。主要登場人物の1人である漫画家がテレビでインタビューを受けている。彼の初期の作品についてだ。インタビューはすぐに尋問に変わる。今は中年となった彼を数十年前に有名にした漫画は、典型的な90年代スタイルのアンダーグラウンド・ポップ・カルチャーの特徴を備えていた。すなわち、淫らで下品で猥雑でいかがわしく、意図的に不快感をかきたてるものだった。それと同時に痛烈で感情に正直でもある。漫画家が若かった頃、それは不満を抱いた芸術家や知識人などの左派には本物で因習破壊的だともてはやされ、宗教的な保守派には退廃的で下劣で文化的に腐食的だと忌み嫌われたジャンルだった。しかし、このインタビューでは、左派はこれらすべてについて彼を厳しく責め立てる。女性を粗雑に性的な対象物として扱っているのではないか。読者の中には近親相姦やレイプの被害者もいることを理解できないのか。彼よりも弱い人々をあざ笑うために男性の特権を使用するな。左派はそう叱りつけた。

 

同じような批判に何年も対応してきた彼は、疲れ果て、感情を爆発させる。こうして指弾されることにはいつまでたっても納得がいかない。アーティストとしての彼の拠り所は以前からまったく変わっていないのに、ドン・ドレーパー(注1)の場合と同じように、彼の周りで世界が大きく変わってしまったのだ。

 

注1: 米国のテレビドラマ『マッドメン』の主人公。

 

もちろん、こうしたテーマを取り上げた映画はこれが初めてではない。しかし、『わたしは最悪。』は文化的な左派と右派の立ち位置が入れ替わったことを効果的に描き出した。以前ならキリスト教的な家族の価値観を守るためにと鉄の熊手をかかげてロバート・メイプルソープ(注2)や『小便キリスト』(注3)やツー・ライヴ・クルー(注4)や『最後の誘惑』(注5)を追いかけ回していた検閲官は、社会正義の名のもとにデイヴ・シャペル(注6)やドクター・スース(注7)についてオンライン上で激高する輩(やから)どもとなった。対立の内容自体は何も変わっていない。登場人物がごちゃまぜになり、台本がアップデートされただけだ。

 

注2: 米国の写真家。官能的な写真で有名。

注3: 小便を入れたツボにプラスチックの十字架を入れたアンドレス・セラーノのアート作品。

注4: 性的に過激な歌詞で知られる米国のヒップホップグループ。

注5: キリストの人生を描いたマーティン・スコセッシの映画。背教的だと議論を巻き起こした。

注6: 米国の黒人コメディアン。LGBTコミュニティやキャンセル・カルチャーに関するジョークが非難の的となった。

注7: 米国の絵本作家(1991年没)。近年、スースの作品にはアジア人や黒人の描き方が不適切だとする批判が相次いでいる。

 

どうしてこうなったのか?

 

先週、私は政治的行動主義について書いた。その中で、政治的行動主義のプロフェッショナル化が非営利活動家の組織にどのように権益を生み出したかについて説明した。その権益は、活動家が支援の対象だと主張している人々とはまったく関係のないものであり、こうした人々と直接的に競合する権益である場合すらある。このダイナミクスこそが、政治と政府の機能不全を悪化させ、私たちが抱える最も厄介な社会問題の解決をほぼ不可能にしたのである。

 

前回の文章では、政治的行動主義がそもそもどのようにして成長著しい産業になったのかということには触れなかった。ハリウッドからワシントンDCまで、専門職管理職階級(注8)が生息するあらゆる業界のインセンティブ構造を歪めたのは、このプロセス、すなわち要求を創り出すプロたちによって構成される巨大なテクノクラシーの成長と発達である。その結果、バリ・ワイス(注9)の言葉を借りれば、世界は「気が触れてしまった」のだ。

 

注8: Professional–managerial class (PMC)。資本主義における社会階級の1つで、上級管理職のポジションで生産プロセスをコントロールする。プロレタリアでもブルジョワでもない新しい階級を指す言葉として1970年代に生まれた。2010年代以降の米国では、リベラルで裕福な民主党支持者を指して使われることが多い。「専門職管理職階級」が日本語として定訳かどうかはわかりません。

注9: 米国のジャーナリスト。左に偏りすぎた社風のバランスをとる試みの一環として2017年にNYタイムズ紙に雇われたが、左派記者からのいじめにあったとして辞職。現在はポッドキャストのホストとSubstackニュースレター「コモンセンス」の主幹を務める。

 

1990年代から大卒者の割合は着実に上昇している。過去15年の間だけでも25歳以上で学士号を持つアメリカ人の割合は5%近く上昇した (パンデミック以降は減少しつつあるが、これが長期的な傾向になるかどうかはまだわからない。いずれにせよ、高等教育部門の中でコロナの影響が最も少ないのは4年制私立大学というエリート層である)

 

表面上は、大学進学を選択するアメリカ人が増える理由は単純明快だ。従来、大卒者は高卒者に比べてより多くの金を稼ぎ、就職可能性も高かった。20世紀の終わりに高賃金の製造現場の仕事が消失したことで、その傾向はますます顕著になった。

 

だが、その現実は一方では見かけほど単純ではなく、他方では以前ほど明快ではなくなった。金銭の面で言えば、集団としては大卒者が非大卒者よりも生涯賃金が高いのは事実である。しかし、これら2つの集団は重なり合う部分も多いので、高校卒業資格で社会人になった人が、学士号を持つ人よりも稼ぐというのはおおいにありうる。就職可能性について言えば、大学を卒業していた方が簡単に職を得ることができたというのは何十年にもわたって事実だった。しかし、この優位性は2018年に逆転した。この年以来、大学卒業生の失業率は、労働者全体の失業率よりも高い過去12か月間連続してそうなのである。

 

大学の学位の価値は下がった。4年制大学の卒業生が労働市場にあふれかえっているからだ。高卒者よりも低い給料で働く学士号取得者は、ソーシャル・ワーカーや教師など、大学卒業証書を必要とするけれども低賃金の分野で働いているか、小売り、オフィス事務、カスタマー・サービスなど、そもそも大学教育を必要としない職業に就いていることが多い。前者の場合は、大卒の求職者が多いことに加え、公的な財源も激減していることから、資格は必要だが労働市場でほとんど、またはまったく交渉力を持たないさまざまな専門職を生み出した。後者の場合は、大卒者にふさわしい仕事を求めて競争が熾烈化することにより、競争力に乏しい大卒者は、4年制大学に入学した時点ではおそらく思いも寄らなかった仕事に追いやられる。一般的に、こうした買い手市場においては、大学の学位が持っていた従来の優位性が削ぎ落とされ、かつては失業から守ってくれていた高学歴というカードを手に入れた者たちも、2018年以降はしつこい失業の問題に悩まされるようになった。

 

したがって、ここ20~30年、これまでになく多くの大卒者が生まれているのだが、彼らのキャリアの見通しは以前ほど明るくない。この苦しい状況により、新卒の求職者はある種の適応を余儀なくされた。その適応の仕方こそが、彼らが入り込んだ産業の変容を促したのである。

 

こうした高い教育を受けた若い社会人が、大学の学位が可能にしてくれると彼らが信じていたアッパー・ミドル・クラスのライフスタイルを熱望するのはもっともなことだ。しかし、大卒者のうちSTEM (科学・技術・工学・数学)分野の学位を取得したものは3分の1に満たないので、大卒者でも市場性が明確に高いスキル・セットを持たないものが多い。比較文学や政治学の授業では、新しい製品を構築・設計する方法や、新しい事業戦略を計画・実装する方法を教えてくれなかった。だが、彼らがふんだんに持っているのは文化的資本である。もっと具体的に言えば、大学で吹き込まれたサブカテゴリの道徳的資本である。

 

90年代後半のドットコム・ブームの時期、およびパンデミック前のITブームの時期という2回の長い期間にわたって、こうした新卒の求職者の多くはデジタル経済の世界で高収入のキャリアを見つけることができた。プログラマーだけではない。人文学や社会科学を専攻した学生にも、マーケティング、人材管理、コミュニケーションなどの分野で大量の職が用意されていた。かつては理想主義的でリバタリアン的だったテクノロジー産業は、こうして押し寄せた新規採用者たちの道徳的資本を体現するようになった。一言でいえば、ウォーク(Woke)になったのである。私が属するメディア業界など、より小規模なその他の産業も、こうした余剰のホワイト・カラー労働力を吸収するのに一役買い、その過程で急激に破壊が進んだのである。

 

だが、非営利団体のセクターほど、こうした労働市場の余剰を拾い漁った産業はおそらくほかにないだろう。テクノロジー企業やメディアとは異なり、進歩的NGOの世界では、こうした求職者が4年間の大学生活で蓄積した道徳的資本に対する実際の有機的な需要がある。マイクロアグレッション(注: 無意識の差別的言動)を嗅ぎわけられるようきめ細かく調整された感受性。多くの人には意味不明な社会正義語法の文法や語彙を操るネイティブ・レベルの流ちょうさ。おおげさではなくあらゆるものについてレイシズムの構造を見い出す鋭敏な能力。これらがあれば、後はこうした人材のための消費者市場を文字通り何もないところから創り出すことができる。どうやって? 解決すべき新しい社会問題を発明すればいいのだ。

 

いったん非営利団体の職を得れば、彼らはその高みから残りの世界の苦悩を診断することができる。企業Aの採用業務における人種的公正さの欠如に白人優越主義が影響していることを感じ取り、産業Bの顧客基盤におけるジェンダーの不均衡に女性蔑視とトランス嫌悪が存在することを認識する。必要であれば、「ヴォイス・ヒアラー(注10)から「MAP(注11)まで、新しいマイノリティ・コミュニティの輪郭を描くのはお安い御用だ。そしてそのそれぞれが抑圧者から身を守るために新しい非営利団体を切望している。社会的疎外からの防御は、無限に融通の利く便利なツールとなった。なぜなら、新しい脅威を発見し、新しい悪漢を名指しし、その上で監査、トレーニング、コンサルティングの名目で不届き者に是正サービスを売りつけるには、大学で教わった想像力以上のものを必要としないからだ。

 

注10: 幻聴がきこえる人を指す新しい婉曲表現。

注11: minor-attracted personの略。子供や未成年者に性的な関心を抱く人を指す新しい婉曲表現。

 

彼らのビジネス・モデルはシンプルだ。すなわち、強請(ゆす)りである。非営利世界の道徳専門家は、彼らのサービスにお金を支払う余裕のある公共団体や民間組織の状況を見渡し、なんらかの構造的抑圧に急性的に感染していると診断し、公に治癒と贖罪の道を歩めるように一連のサービスを提供する。マルコム・シユーネ (注12)指摘したように、ウォークネスのイデオロギーは政治的なみかじめ料取り立て屋のように機能する。実行部隊をあらゆる産業や企業に忍び込ませ、創造者と創造物の間を取り持つ仲介役を担わせるのだ。あなたは自分の会社を経営することができる。脚本を書くことができる。法案を起草することができる。製品を市場に出すことができる。ただし、道徳的インテリのイデオロギー的基準が満たされていることを確認するために外部から番人を迎え入れなければならない。もちろん、高い料金を支払ってだ。現実的な経済的価値があることが明らかなスキルを持たない層にとって、この寄生的な職務は人もうらやむような政治的・社会的権力の源となるのである。

 

注12: Malcom Kyeyune。スウェーデンの文筆家。本人はマルクス主義者だと考えているが、ポピュリズムに肯定的なためメディアから保守派と評されることも多い。

 

こうして「多様性/公平/包摂(DEI: (Diversity/Equity/Inclusion))」コンサルティングの仕事は、世界的な数十億ドル規模の産業へとガン細胞のように増殖していく。この産業は、雇用適正の低い大学卒業生にとっての救命ボートになっただけではなく、現実の経済に何が起ころうとも大卒資格を持つ階層を永遠に支えることのできる雇用創出マシンとなった。

 

DEI信用詐欺は、最初からほとんど抵抗に遭うことはなかった。なぜなら、アメリカの実業界が既に気づいているように、こうしたコンサルタント兼活動家が悪事の償いとしてターゲットに突きつける要求は、たいして厄介なものではないからである。嫌な顔をされることすら少なかった。一般的に企業は次のようなことをすればいい。まず、法外な値段でDEIコンサルティング会社を雇う。そして、気の毒な社員向けに人種的な気配りや無意識の偏見に関する必修トレーニングを運営させ、人種をはじめとするあらゆるインターセクショナルなアイデンティティにかかわる分野で社員が顧客や同僚とどのように関係するかを監督するために新しい手順やポリシーを作らせるのだ。言い換えれば、企業はその道徳的間違いに対して支払うお金で、社員を統制してコントロールするための新しいツールを手に入れたのである。これは、コンサルタントだけでなく経営者にもほぼ同じようにおいしい申し合わせである。そして、割を食うのはいつものように社員なのだ。

 

全体として、ルンペンブルジョワジーが資本家と結んだ契約は、大卒者の雇用を維持し、エリートの一部がその大志の実現を拒否されたときに発生しやすい政治的不安定を未然に防ぐために、アメリカの実業界に課された小規模な税金のようなものである。おまけとして、こうした企業は大卒の社員には高潔に見え、さらに一部の企業についていえば、大卒者が大部分を占める顧客層にも高潔だと受け止めてもらえる。エリート層全般にとってなかなか悪くない取引なのだ。唯一の欠点は、世界全体が気のふれた場所になっていくことである。

(翻訳ここまで)

 

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大手メディアはどのように虚偽の人種差別事件を報道するにいたったか

 

バリ・ワイスが主宰している「コモンセンス」というアメリカのオンライン・マガジンに興味深い記事が掲載されていたのでご紹介します。記事を書いたのはジェシー・シンガル記者。

 

www.commonsense.news

 

2022年8月、米国デューク大の女子バレーボール・チームがブリガム・ヤング大(BYU)に遠征して試合を行った。そこで、スターティング・メンバーの中で唯一の黒人だったレイチェル・リチャードソン選手がBYU応援団から人種差別の罵声を執拗に浴びせられたという。

 

試合後に彼女はこの件を自分のゴッドマザー(名付け親)に話した。たまたま法曹界の要人だったこのゴッドマザーがTwitterに投稿。たちまち18.5万件の"いいね"が集まり、多くの人が事件を知ることなった。リチャードソンの父親が娘にかわってさまざまなメディアのインタビューに応じ、NYタイムズ、ワシントンポスト、CNN、スポーツイラストレーテッド誌などが記事にした。

 

BYUも素早く対応した。事件を遺憾とする声明を出したほか、罵声を浴びせたとする男 (BYUの学生ではない) を特定し、大学スポーツ競技場への一切の出入りを禁止した。また、南カロライナ大はBYUとのバスケの試合をキャンセルし、BYUで行われる予定だったデューク大とライダー大の女子バレーの試合は会場が変更された。

 

とんでもない人種差別の事件なのだが、さて、ここでの問題は何か、レイチェル・リチャードソンが人種差別の罵声を浴びせられたという事実はなかったのである。観客の多くが手にしていたスマートフォンにも、公式記録用のビデオにも罵声は1つもとらえられていなかったのだ。

 

リチャードソンの黒人のチームメートを含め、選手からも観客からも罵声を聞いたという証言は出てこなかった。NYタイムズなどの大手メディアの記者たちは、リチャードソンと彼女のゴッドマザーや父親の話をそのまま信じ込み、裏もとらずに記事にしてしまったのだ。

 

まともなジャーナリズムを実践したのは、たとえば地方紙のソルトレーク・トリビューンだ。同紙は出入り禁止になった男はほんとうに罵声を浴びせていたのかと疑問を呈した。そして、そのような事実は監視カメラには映っておらず、罵声を聞いたと証言する者も全く名乗り出ていないという回答を警察から引き出した。

 

BYUの学生新聞であるクーガー・クロニクル紙は、体育会事務局の関係者や当日現場にいた何人もの観客に取材したが、罵声の証拠はまったく見つからなかった。また、出入り禁止になった男は精神薄弱者で、大騒ぎする人々をなだめるために罰せられたのだという体育会事務局関係者の話も掲載した。

 

先週の金曜になって、BYUは新しい声明を発表した。あの夜の試合について、数多くの動画を確認し、50人を超える観客に話を聞くなど、徹底的な調査をしたが、人種差別的な罵声は1つも確認できなかったというのだ。無実の罪に問われた男に対する処分も取り消された。

 

しかし、NYタイムズの往生際は悪かった。最新の記事では「リチャードソンの話と調査結果がなぜ矛盾するのかについてBYUは直接的に答えていない」と、この事件は未解決だと主張している。そして、この記事は、BYUがモルモン教の大学であり、黒人生徒は1%に満たないという、事件とは直接関係のない話で締めくくられている。

 

社会正義を推進するためには客観的な報道や事実に基づく報道など二の次であるという大手左派メディアは、ジャシー・スモレットの犯罪的詐欺話を信じ込んだり、コビントン高校の生徒を不当に追及して多額の賠償金を支払わされたわけだが、今回も懲りずに醜態をさらしてしまった。

 

リチャードソンがなぜ罵声を浴びせられ続けたと思い込んだかについては、この記事には書かれていない。BYUのチームに Nik または Nikki と呼ばれる選手がいて、この選手に対する応援の声をいわゆる N ワードと聞き間違えたのではないかという説が出ている。

 

 

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戦時の娼家で1人の女性が相手にした兵士の数 - 他国の例

水木しげるの漫画『従軍慰安婦』には次のような描写がある。場所は第二次世界大戦時のココボ (ラバウルの近く)。「日本のピーの前には100人くらい。ナワピー(沖縄出身)は90人くらい、朝鮮ピーは80人くらいだった」「これを1人の女性で処理するのだ」(中略)「1人30分とみてもとても今日中にできるとは思われない、軽く1週間くらいかかるはずだ」。ピーとはいわゆる慰安婦を指す。

 

水木の別の漫画『総員 玉砕せよ!』では、同じココボでの話として次のような描写がある。営業終了まであと5分だというのにピー屋の前に70人ほどの兵士が並んでいる。5時になって閉店を告げられた兵士たちはもう少し営業してくれと懇願するのだが、女たちが「女郎の歌」を歌いだし、兵士も声をあわせて合唱する。翌日、「きのうはどうだった?」と仲間に聞かれた兵士は「2、3人はできたかしんねえけど、なにしろ5分間しかねえのに70人もならんでんだ。ほとんど『女郎の歌』でお別れさ」と答える。

 

水木の描写には並んでいた兵士の人数しか記載されておらず、女性が実際に1日何人を相手にしていたのかは書かれていない。ただ、現在の、そして平時の感覚からすれば、尋常な数ではないことは容易に想像がつく。

 

水木の漫画以外にも、いわゆる慰安婦が1日に何十人もの兵士の相手をしたという話がセンセーショナルに語られることがある。しかし、これは日本軍だけに限った話だったのだろうか。20世紀前半という時代、そして戦時という状況において、他の国の状況はどうだったのだろうか。いくつか調べてみた。

 

1945年8月27日、最初の占領軍向け性的慰安施設「小町園」が東京の大森海岸で開業した。神崎清の『売春』(1974年刊) によれば、小町園の「開業当時の大混乱を数字で示せば、女一人につき一日最低15人から最高60人までのアメリカ兵を相手にした」という。(p138)

 

マグヌス・ヒルシェフェルトの『戦争と性』では、第一次大戦時、べチューンという町の戦争娼家について、ある大尉 (明記されていないがおそらくドイツの大尉) の報告が紹介されている。「150人の男たちが (中略) この家の三人の娼婦の一人と寝るために、長蛇の列を作って待っていた」「商売のできる間は、女一人が一週間にほとんど一大隊全員を相手にしていた」。大隊の構成人数は一般的に300 人から 1,000 人である。 (2014年版155p)

 

同じく『戦争と性』より。ミタウという町の軍用娼家のある娼婦は、「午後4時から夜の9時までの間に32名の兵隊を客にとってい」た。また、同じ娼家で歩哨に立っていたある衛生兵によれば、彼の勤務中、6名の娼婦がとった1日の客数は、それぞれ最低で、12、10、10、10、7、6名だったという。これも第一次大戦時の話である。(P162)

 

続いて、メアリー・ルイーズ・ロバーツの『兵士とセックス』より。ある売春廃止論者によれば、第二次世界大戦のパリ解放後、非合法のアメリカ歩兵用売春宿では「1人の女性が50から60人の相手をさせられた」という。別の廃止論者はその数を60から80だと見積もる。「最盛期には、アメリカ兵の列が階段を降りてドアの外に出て、さらに角をまわったところまで続いていた」。(p181)

 

以上、私がこれらの例をここにまとめたのは、whataboutism (そっちこそどうなんだ主義) がやりたかったわけではなく、戦争時の日本の状況を20世紀前半という時代、そして戦時というコンテキストで他国と比較することにも意味があると思ったからである。

 

会場当初の小町園の様子

 

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チェルシー・センディ・シーダーが消し去りたい米軍の過去

 

チェルシー・センディ・シーダー (Chelsea Szendi Schieder) は、ラムザイヤー論文の撤回を要求している歴史家グループの1人である。米国コロンビア大学で日本現代史の博士号を取得している。現在は青山学院大学の准教授である。

 

シーダーは、「The History the Japanese Government Is Trying to Erase」(日本政府が消そうとしている歴史) という記事をザ・ネイション誌に寄稿した (2021年5月26日公開)。日本政府や右翼が第二次世界大戦時の歴史を変えようとしていると主張する記事である。

 

この記事の中でシーダーは、青学の自分の生徒たちが慰安婦について教えられていないことを嘆いてみせる。戦時の国家が何をしたか教えないと、ミソジニー(女性差別)やレイシズム(人種差別)がはびこることになるというのである。

 

では、翻ってアメリカはどうなのか。約10,000人の女性が第二次世界大戦直後の沖縄で米兵にレイプされた。ノルマンジー上陸後のフランスでも数多くの女性が米兵にレイプされた。これらの事実はアメリカの高校で教えられているのだろうか。そうは思わない。

 

高校生どころか、コロンビア大学で博士号まで受けたシーダーすらこうした事実には頬かむりをしたままだ。記事の中でシーダーは連合軍の中にあったミソジニーに言及している。しかし、日本軍の「慰安婦」制度の全容の解明が遅れているのは連合軍のミソジニーによるものだとするだけで、米軍を始めとする連合軍が積極的に犯したレイプ等の性犯罪には一切触れていない。

 

日本の「慰安婦」制度を非難するにあたって、シーダーが記事中で触れる内容には説得力が欠けるものも多い。

 

  1.  いわゆるスマラン慰安所事件の犠牲者を一般の「慰安婦」と混同しているか、読者に混同させようとしている。スマラン慰安所事件は軍の命令に背いた明らかな犯罪である。詳細は、こちらに記した。

  2. 慰安婦の数を 5万人から20万人と書いているが、20万人というのは「挺身隊」が基本的に工場勤務に送り出された女性を指す言葉であるのに、それを「慰安婦」と勘違いしたことで出てきた数字である。これは間違いであることが証明されて久しいのだが、シーダーはいまだにこの数字を持ち出している。

  3. 裁判で「慰安婦」関連記事を捏造したと認定された元朝日新聞記者の植村隆を、極端な例を持ち出すことによってハラスメントの純粋な被害者のように描写する。記事を捏造したことには触れられているが、植村に対立する人間の発言として引用されているだけなので、記事の捏造がほんとうに認定されたことなのかどうか読者には分からない仕掛けになっている。

 

シーダーは、こうしたあやふやな「事実」を書き連ね、さらにストローマン論法を駆使することで、戦時の日本軍や現在の日本政府、そしてラムザイヤーを支援する人々を悪魔化しようとする。

 

***   ***   ***   ***   ***

 

第二次世界大戦時の沖縄やノルマンジーで米軍兵士がひどい性犯罪の加害者だったことは既に上に書いた。そのことで、私が Whataboutism (そっちこそどうなんだ論法) を使っていると思われる方もいるかもしれない。だがそれは違う。

 

ノルマンジー上陸後の米軍兵士による現地女性への性犯罪において、強姦犯に占める黒人の割合は非常に高かった。その理由の1つは、米軍上層部が責任逃れのため「レイプは米軍の問題ではなく、黒人の問題だ」というイメージ操作を行う意図があったからだ。

 

1940年代の話だから軍にも被害者の側にも偏見はあった。名ばかりの裁判では、黒人が被告の場合は被害者のフランス人女性の証言が信用されたし、白人が被告の場合は被告の証言の方が信用された。「黒人は性欲が強い」という当時はびこっていたステレオタイプのイメージも利用された。

 

強姦犯は有罪になると、公開で絞首刑になった。処刑の場所は、犯罪が行われた地域。住民の心をなだめるためだ。メアリー・ルイーズ・ロバーツの『兵士とセックス』に記載されたある事例を次に紹介する。

 

憲兵が被害者の前に12人の黒人兵士を並ばせ、ただちに確認するよう迫った。女性がようやく1人の兵士を指さすと、兵士は即刻、彼女の庭で絞首刑に処せられた。「そんなことするなんてひどすきます!」。恐怖におののいた彼女は叫んだ。

 

私は別にアメリカはレイシストの国だと主張したいためにこれを書いているわけではない。70年以上前の話だし、今の基準で過去のことを断罪するつもりもない。しかし、今でもこのような偏見に満ちた、そして自分ではそれに気付いていないかもしれない人間はどこの国にも存在する。米国も例外ではない。

 

たとえば、ザ・ネイションに上記の記事を寄稿したシーダーである。「日本人は残酷だ」というステレオタイプを増幅し、それを利用しつつ、戦時における女性の性被害という普遍的な問題を、日本人の問題だと矮小化し、自国の汚点を覆い隠す。強姦は米軍ではなく黒人の問題だとした米軍首脳部の精神をいまだに受け継いでいるのがシーダーではないのか。異論を唱える人に「ネトウヨ」などとレッテルを貼る彼女こそ、他人に罪をなすりつけることで自国の黒い歴史を消し去ろうとする偏狭な心の持ち主なのではないか。

 

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魚拓: The History the Japanese Government Is Trying to Erase

 

エイミー・スタンリーのエッセイ『On Contract』の問題点

ラムザイヤー論文の撤回を要求している歴史家グループの1人、エイミー・スタンリーが書いたエッセイ『On Contract』の問題点を指摘したい。

 

このエッセイにおいてスタンリーは、インドネシアで起きたスマラン慰安所事件(注)のような拉致強姦が韓国でも日本軍によって広く行われていたのだと、確たる証拠もあげずに読者に信じ込ませようとしている。

 

注: 1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からジャワ島のスマランにあった慰安所に強制連行し強制売春させ強姦した事件。戦後、国際軍事裁判所において当該軍人や軍属に有罪が宣告され、数名は死刑に処された。

 

しかし、スマラン慰安所事件の前後の状況をちゃんと見れば、現地女性を拉致して”慰安婦”にする意図が日本の軍部に組織としてはなかったことが逆に明確になるのだ。

 

(1) 吉見義明の『従軍慰安婦』には、軍司令部は慰安所では自由意志のものだけ雇うようにとはっきり注意したという証言が引用されている。吉見は「(問題を起こした)南方軍幹部候補生隊はこの指示を無視した」と書いている。

 

(2) 強制的に連れていかれた女性たちがいた売春宿は約2か月後に突然閉鎖される。被害者の1人で後に手記を発表したヤン・ルフ・オヘルネ (ジャン・ラフ・オハーンとの表記もあり)はその理由を詳しく書いてないが、マルゲリート・ハーマーの『折られた花』には、「強制連行された少女の母親が、日本軍高級将校に通報する機会を得た。その将校はただちに行動を開始し、その結果、各地の抑留所から連行された少女たちのいる売春宿は即刻閉鎖との命令が東京から届いた」という女性側の証言が記載されている(p39)。軍上層部はスマランで起きたことは軍規違反だと明確に認識していたということである。

 

(3) オヘルネが”慰安所”から解放されて一般の収容所に移った後、収容されている女性を強姦しようとした日本兵がいた(未遂)(*下の付録参照)。その兵隊は翌朝の朝礼で上官にピストル自殺を強制された(実際に自殺)。これは、目撃した(させられた)オヘルネが手記に書いている。ここでも軍上層部が規律の維持に躍起になっていたことがわかる。

 

(4) 上の注にも書いたが、スマラン慰安所事件に関与した軍人や軍属は、戦後、国際軍事裁判所において有罪が宣告された。

 

スタンリーの『On Contract』では、上記の1、3、4には触れられていない。2には触れているが、日本側がそれ (軍上層部に報告が届き次第、売春宿は即刻閉鎖されたこと) を主張しているという書き方をしているので、読者にはそれが本当に起きたことかどうかはわからない仕掛けになっている。

 

スタンリーが本当にスマラン慰安所事件のことをよく知らずにこのエッセイを書いたのか、それともわざと不都合な情報を隠して読者に誤解させようとしたのか、それはわからない。しかし、どちらにせよ、学者としては不誠実で無責任な振舞いである。

 

ちなみに、スタンリーがオヘルネの話を持ち出した理由の1つは、白人系の被害者の話をすることで、アメリカの世論が盛り上がることを期待していたからだろう。これには前例があるからだ。

 

朴裕河の『帝国の慰安婦』から韓国Oh My Newsの記事を孫引きする。

 

オヘルン(ヤン)おばあさんが去る2月15日、米下院聴聞会に出て第二次世界大戦当時の惨状を生々しく証言すると、これまでたいした関心を示さなかったアメリカのマスコミが、日本軍慰安婦問題に注目し始めた。(韓国オーマイニュース 2008.07.03)

 

これは2007年米国下院の慰安婦決議案に関してのオヘルネの証言のこと。朴裕河はこれについて、「白人女性が日本軍に売春を強いられたことが、彼ら自身の屈辱的な体験を思い起させたとしても不思議ではない」と指摘している。

 

 

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*付録:  強姦未遂によって裁判もなく自殺させられるというのは確かにひどいことなのだが、当時こうしたことが行われていたのは日本軍だけではないということを示すために、メアリー・ルイーズ・ロバーツの『兵士とセックス』からノルマンジー上陸作戦後のフランスで米軍が行った行為について引用したい。文中の「憲兵」「黒人兵士」は共に米軍の兵士、女性は強姦被害者のフランス人である。

 

憲兵が被害者の前に12人の黒人兵士を並ばせ、ただちに確認するよう迫った。女性がようやく1人の兵士を指さすと、兵士は即刻、彼女の庭で絞首刑に処せられた。「そんなことするなんてひどすきます!」。恐怖におののいた彼女は叫んだ。(p319)

 

 

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"On Contract" の魚拓

Amy Stanley inherits the mindset of the US commanders who portrayed the rape as a black men's problem

Many French women were raped by U.S. soldiers in Normandy after the D-Day. A disproportionately high number of black soldiers were convicted of sexual assault. One of the reasons was that the U.S. military’s leadership tried to evade criticism by portraying the rape as a problem, not of the U.S. military, but of black men.

 

It was 1940’s. Both the U.S. military and victims had prejudice. In a makeshift court, victims’ testimony was considered as reliable when the suspect was black while defendants’ was regarded as reliable when he was white. The stereotyped image that black men had strong libido was widely embraced at that time and used to put the blame on blacks.

 

Convicted rapists were hanged in public in the vicinity of the crime to appease local people’s anger and anxiety. Here is an extract from Mary Louise Roberts’ What Soldiers Do(*). “The military police paraded a dozen black soldiers in front of the accuser, demanding immediate identification. When she finally pointed a finger at one soldier, he was promptly hanged by rope there in her garden. Horrified, the woman screamed, ‘the crime is not worth that!‘.”

 

I am not trying to say that the U.S. is a racist country. It was more than 70 years ago and I won’t judge anybody’s past by the moral standards of 2020’s. However, even now, no country is free from individuals who still have such prejudice and aren’t even aware of it. The U.S. is no exception.

 

How about Amy Stanley, one of those scholars who call for the retraction of the Ramseyer Paper ‘Contracting for Sex in the Pacific War’? In order to counter his paper, she wrote an essay titled ‘On Contract’. In this essay, she described a crime committed by Japanese soldiers in Semarang, Indonesia where they kidnapped local women and forcibly put them in brothels. The criminals were tried by the Dutch after the war, and some were executed. It was a crime against orders, but she tried to convince her readers that it was of the nature of the Japanese military and the same thing happened in Korea without presenting hard evidence.

 

No country is innocent of the sexual abuse of women during war. For example, estimated 10,000 women were raped by U.S. soldiers in Okinawa after the WWII(**). Stanley trivializes the wartime rape as a Japanese problem by leveraging the stereotype that the Japanese are cruel, and papers over her own country’s blemishes. It is Amy Stanley who has inherited from the U.S. commanders in Normandy the mindset that the rape is not the U.S. military’s problem but black men’s.

 

Sources

* Mary Louise Roberts “What Soldiers Do” (toward the end of Chapter 8)

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** 

1, 3 Dead Marines and a Secret of Wartime Okinawa - The New York Times

 

2. A testimony from a woman in Okinawa. “Ano Hoshi no Motoni” (Under That Star) compiled by Soka Gakkai Women Peace Committee 『あの星の下に』創価学会婦人平和委員会編

Another scary thing for us was American soldiers who walked around in our village as if they owned it. Day or night, they took women away on their shoulders to rape. Soldiers didn’t care if women were widows who had nobody to protect them, defenseless girls, old frail women, or married women. Even when we went looking for food during day, we were always afraid of a sign of somebody else’s presence. We slept in attics or under floors so that they couldn’t find us. (…) American soldiers barged into the camp every night and snatched women on their shoulders.

 

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