ヤシャ・モンクの記事「イタリア人医師が直面する異例の意思決定」を訳してみた

コロナウイルスに関連して、助かる見込みの高い人に医療リソースを割り当てるべきだというガイドラインをイタリアのある医学団体が発表した。これについて、アメリカの政治学者のヤシャ・モンクが米アトランティック誌に記事を書いていたのでざっと翻訳しました。

www.theatlantic.com

 

(翻訳ここから) 

イタリア人医師が直面する異例の意思決定

患者が増えすぎたため、すべての人に十分なケアを提供することが単純に不可能になった

 

文: ヤシャ・モンク (Yascha Mounk)

2020 年 3 月 11 日

 

2週間前、イタリアにおけるコロナウイルスの確定感染者数は322人だった。この時点では、同国の医師たちは、それぞれの患者に気前よく十分なケアを提供することができた。

 

1週間前、COVID-19という病気を引き起こすウイルスに感染した人の数は2502人となった。この時点でも、同国の医師たちは、急性の呼吸困難に苦しむ患者に人工呼吸器を提供することで、救命措置を施すことができた。

 

今日、イタリアにおけるコロナウイルスの感染者は10149人となった。すべての患者に十分なケアがいきわたらないほどに患者数が増えたのだ。医師と看護師はすべての人を看ることができなくなった。酸素を求める人々に機械を提供することができないのだ。

 

イタリア麻酔・鎮痛・蘇生・集中治療協会 (SIAARTI)は、こうした異例の状況において医師と看護師が従うべき基準についてガイドラインを発表した。この文書の冒頭では、イタリアの医師が直面する道徳的選択が、"大災害時の医療" の現場で必要とされる戦時トリアージの形態に喩えられている。集中治療を必要とするすべての患者にそれを提供するのではなく、"配分的正義、および限られた医療リソースの適切な割り当てに関する最も広く共有された条件" に従うことが必要になるかもしれないと、この文書の筆者たちは言う。

 

彼らがたどり着いた原則は実利主義だ。「最大人数のための利益を最大化するという原則に基づき、治療が成功する可能性の高い患者に集中治療へのアクセスを与えることを割り当ての条件とする必要がある」と彼らは提案する。

 

医師でもある筆者たちは、こうした不可能な選択を実行するための具体的な推奨事項を導き出している。たとえばこうだ。「集中治療へのアクセスに年齢制限を設ける必要が出てくるかもしれない」

 

高齢のため回復の見込みが低い患者や、回復したとしても期待される残り生存年数が少ない患者は放置される。残酷に聞こえるかもしれない。だが、この文書によれば、これに勝るオプションがあるわけでもない。「リソースが枯渇した場合、先着順に治療していたのでは、後から来た患者には集中治療にアクセスさせないという決定を下すことになる」。

 

医師と看護師は、年齢だけでなく、患者の総合的な健康状態も考慮するようにアドバイスされている。「併存疾患の存在を注意深く評価する必要がある」。ウイルスの初期の研究によれば、深刻な既往症を持つ患者は、既往症がない患者に比べて、死に至る可能性がかなり高いというのが理由の1つだ。だが、それだけではない。健康状態が悪い患者を救うには、ただでさえ希少なリソースをより多くつかわなければならないのだ。「健康状態がそれほど悪くない患者は比較的短い治療で済むが、高齢の患者や虚弱な患者はより多くのリソースを必要とする」。

 

こうしたガイドラインは、コロナウイルス以外の理由で集中治療を必要とする患者にも適用される。なぜなら、こうした患者も同じ希少な医療リソースを必要とするからだ。文書には明確にこう書かれている。「これらの条件は、CoVid-19に感染した患者だけでなく、集中治療を受けるすべての患者に適用される」。

 

私は政治と道徳哲学を学問として学んできた。設備の整った教室で、いわゆるトロッコ問題などの抽象的な道徳的ジレンマを何時間も議論してきた。線路に5人の善良な人が括りつけられている。私がレバーを引いて、トロッコの行先を変えれば5人は助かるが、別の善良な1人が死んでしまう。どうすべきか?

 

こうした議論を行う意義の1つは、専門家が現実世界で困難な道徳的判断を下すのを助けることのはずだ。もし、あなたが、絶望的な状況で新しい病気と闘っている働き詰めの看護師で、どんなに頑張っても全員を治療することができないなら、あなたは誰の命を救うべきか?

 

私は、理論を何年も学んできたけれども、勇敢なイタリア人医師たちが公開したこの異例の文書について、道徳的な判断を下す立場にないと認めなければならない。正しいことを勧めているのか、間違ったことを勧めているのか、私にはそれを判断するための手がかりはない。

 

しかし、イタリアが不可能な状況に陥っているとするなら、アメリカがやらなければならないことは明らかだ。不可能なことを行う必要性が出てくる前に、危機を阻むことである。

 

これは、政治的指導者、実業界や民間団体のトップ、そして私たち全員が、2つのことを達成するために、力を合わせる必要があるということだ。その2つとは、この国の集中治療施設を大幅に拡充すること。そして、究極的な社会距離戦略 (訳注: 人と人との距離を開け、接触機会を減らすこと) を実施し始めることだ。

 

すべてをキャンセルしよう。今すぐ。

(翻訳ここまで)

 

ご注意いただきたいのは、ある医学団体がガイドラインを発表したのは事実のようですが、イタリアの医療関係者の多くがこのガイドラインに沿って治療しているかどうかは不明です。また、この医学団体がどのくらい信頼できる団体なのかも私にはわかりません。そのあたり、慎重なご判断をお願いします。

 

この記事を書いたヤシャ・モンク氏は、次の記事もかかれた方です。

tarafuku10working.hatenablog.com

 

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

ダイヤモンドプリンセス号について薄っぺらなレポートをしたBBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズ記者の過去の誤報

ダイヤモンドプリンセス号について扇情的で薄っぺらなレポートをしたBBCのルパート・ウィングフィールド=ヘイズ氏。彼が過去に犯した誤報について書いておきたいと思う。

 

2017年7月、ウィングフィールド=ヘイズは「Sexless in Japan」(セックスレスな日本の若者たち それはなぜ)という動画レポートを公開した。セックスしない傾向にある日本の若者について、少子化とからめてレポートしたものである。

 

英語版

www.youtube.com

日本語版

www.youtube.com

 

このレポートの中で、ウィングフィールド=ヘイズはあからさまなフェイク・ニュースを流している。

 

彼のレポートによれば、日本人の18~34歳までの43%が一度も性体験をもったことがない。しかし、これは明らかな間違い。

f:id:tarafuku10working:20200227225651p:plain


この数字は日本の国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」(2015年)を出典としたと思われるが、以下の表(同調査の報告書の24Pに記載)のように「18~34歳までの未婚の日本人の43%が一度も性体験をもったことがない」が正しい情報である。

 

 

f:id:tarafuku10working:20200227225731p:plain


 

私はこのエラーについて、Twitterで本人にも指摘したし、BBCジャパンのYouTubeアカウントに直接メッセージも送ったが、返事はない。

 

この動画は現在もYouTubeで閲覧可能であり、BBCのメインアカウントで135万回、BBCジャパンのアカウントで63000回再生されている。

 

欧米メディアは日本の性の話題を好んで取り上げるし、特に英国は、リチャード・バートン卿が、性的な描写を誇張、または原典にない性的な描写を追加するなどしてアラビアン・ナイトを創造的に翻訳し、自国民に道徳的優越感を与え、アラブ地域の植民地化に動員した伝統がある国だから、ウィングフィールド=ヘイズも母国の偉大な先輩を見習ったのかもしれない。

 

それから、これもまた別のセックス関連の話だが、2017年4月、ろくでなし子氏の裁判の判決を受けて、ウィングフィールド=ヘイズは事実に基づかないツイートを投稿している。

 

この裁判では、わいせつ物(女性器の模型)を陳列したことと、彼女自身の女性器の3Dデータを配布したことで、ろくでなし子が罪に問われていた。判決は、前者については無罪。3Dデータの配布のみが有罪とされた。

 

ウィングフィールド=ヘイズはこの判決内容が理解できず、わいせつ物陳列も有罪となったと勘違いしたのか、「日本では男性器祭り(かなまら祭りなどを指すと思われる)はOKなのに、女性器祭りは許されない」などと、男女差別の問題として告発調でツイートした。

f:id:tarafuku10working:20200227225803p:plain

 ちなみに、女性器を祀るお祭りはあるし(たとえば、大縣神社豊年祭)、多産、子孫繁栄、豊穣を願うための女性器をかたどった立体の宗教的シンボルは日本にはいくつもある。

 

f:id:tarafuku10working:20200227230712j:plain

 

f:id:tarafuku10working:20200227230403j:plain

上記の画像はTwitter上に他の方が投稿されていたのを拝借しました。

 

この件に関しても、ウィングフィールド=ヘイズは自身の投稿が間違いだったことを認めた形跡はなく、これらのツイートは今でも参照できる。

https://twitter.com/wingcommander1/status/852475419131498497

https://twitter.com/wingcommander1/status/852474954545111040

 

今回のダイヤモンドプリンセス(DP)号の件でも、ウィングフィールド=ヘイズのレポートを二度ほどBBCで見たが、1つは岩田健太郎医師を「ホイッスルブロワー(告発者)」と持ち上げて、彼の証言を検証なく垂れ流したもの。もう1つはDP号から乗客を降ろさないのは東京オリンピックを第一に考えているため、などという根拠のない彼の憶測を中心にまとめたものだった(東京オリンピックを第一に考えるなら、中国からの入国者を真っ先に止めるのではないか?)。

 

以上のように、ウィングフィールド=ヘイズはジャーナリストを職業とする者としては驚くほどデータ/事実の扱いが雑である。これが、彼自身の問題なのか、BBCの基準なのか私は知らない。

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

深刻な病に苦しむジョーダン・ピーターソンについて、友人のダグラス・マレーがコラムを書いていたので訳してみた

ジョーダン・ピーターソンの病状を説明するYouTube動画を娘さんのミカエラさんが先日公開しましたが、この件について友人であるダグラス・マレーがメール・オン・サンデー紙のコラムに書いていたので訳してみました。

www.dailymail.co.uk

 

f:id:tarafuku10working:20200224015940p:plain

 

(翻訳ここから)

言論の自由の殉教者: ジョーダン・ピーターソンはポリティカル・コレクトネスに対する反対運動の先頭に立ったことで左派に非難された大学教授だ。その彼が重い病を患っている。彼が支払った高価な代償について、親しい友人であるダグラス・マレーが明らかにする

文: ダグラス・マレー (Douglas Murray)

2020年2月16日

 

先週、心を揺さぶられる動画がYouTubeにアップロードされた。ある女性が、非常にプライベートな出来事をカメラに向かって語った。

 

www.youtube.com

彼女の父親は、'ポリティカル・コレクトネスに反対する教授' として有名になったジョーダン・ピーターソンだ。その彼が、抗不安薬であるベンゾジアゼピンへの深刻な依存により入院し、現在はロシアで集中治療を受けているというのだ。

 

「彼は何度も死にかけた」。既に240万回以上再生された動画の中で彼女は冷静にそう言った。

「西側の医療システムで受けた治療により、彼は死の一歩手前までいった」。

必ずしも自由社会とは言えないロシアに彼がいる理由について、ミカエラ・ピーターソンはこう説明した。「ロシアの医師たちは製薬会社の影響を受けていない」

「彼らは、薬を原因とする症状を治療するために、薬を追加したりはしない。勇気をもって、ベンゾジアゼピン依存の患者を医学的に解毒しようとする」

 

もちろん、ミカエラが言うように、彼に '神経障害' が残る可能性があるというのは、このカナダ人心理学者の家族にとって悲劇である。

しかし、今日の生活に大きな影響を及ぼしている文化戦争に関心がある人ならば、誰もが測り知れない悲しみを感じるはずだ。

 

57歳のピーターソンは、近年において世界で最も話題となった知識人であり、誰よりも激しくポリティカル・コレクトネスの忍者たちと勇敢に闘ってきた。新しく押し付けられた、息の詰まるような教義がはびこる時代において、彼は、あらゆる問題について、人々が真実だと知っていることを言葉にしてきた。

女性と男性は生物学的に違う。人は自分の人生に責任を持つ必要がある。現代の生活は、空虚で意味がないように見えることが多い。

 

しかし、真実の語り手として世間の注目を集めることには、非常に大きな犠牲が伴った。公衆の最大の敵となったことが、彼の現在の状況をもたらしたと言えるかもしれない。

ピーターソンはまず彼の地元であるトロントで人々の注目を集めた。いわゆる '表現の強制'、たとえば、トランスジェンダーの人を、その人が選択した代名詞で呼ぶことを法律で強制することにノーと言ったのだ。 

彼は、批判者が言うような 'トランスジェンダー嫌い' ではない。自由な社会において、どのような発言が許されるか政府が決めることを拒絶しているだけだ。

 

最初の嵐が過ぎ去った後も、ピーターソンが行くところ、論争の炎が燃え上がらないことはないような有様だった。

そして、彼を打ち負かそうとした人々は常に焼き焦がされた。

講義や講演をアップロードした彼自身のYouTube チャンネルの動画は、合計で何千万回も視聴された。

www.youtube.com

一部の左翼メディアは、筋の通ったことを言ったというだけで彼を責め立て、粉砕しようとした。

おそらくその最も有名な例は、彼が2018年にイギリスを訪れたとき、チャンネル4ニュースのキャシー・ニューマンが 30分かけて彼を誘導尋問にかけたインタビューだ。

f:id:tarafuku10working:20200224020155p:plain


トランスジェンダーの権利や男女平等についてピーターソンをやり込めようとしたニューマンは、彼の発言を彼女自身のイデオロギー的アジェンダに沿うように歪めようと試みたが、失敗に終わった。

そのインタビューの動画は瞬く間に拡散され、ピーターソンを破壊しようとする他の試みと同様に、彼の支持者層がさらに広がるのを助けただけだった。

2018年に出版された彼の著書『人生の12のルール(12 Rules For Life)』は、世界的な No 1 ベストセラーになった。 

 


講演ツアーでは、アリーナ級の会場がすぐにソールド・アウトになった。

あらゆる年齢とバックグラウンドの人が彼の話を聞きに来たが、 特に強く共鳴したのは若者だった。

'気持ち良くなることが正義' (訳注)、そして '地球を救うために余暇を使おう' というエトスに支配された社会において、ピーターソンは異なるメッセージを発した。

(訳注: ここでは、物質的な満足感により気持ちよくなることではなく、現実に役に立つかどうかは深く考えずに、理想の社会正義を口にすることで精神的に優位に立つことで気持ちよくなることを指す)

 

そこには、古き良き価値観の復活も含まれていた。背筋を伸ばそう。自分の家の中を整えよう。家の中すらきれいにすることができない人が、社会やこの惑星を良くすることができるわけがない。 

彼は、意味のある人間関係を築くことを人々に説いた。その場の満足ではなく、将来の満足を見据えることを勧めた。

そして、目的のある人生を送るように、すなわち、私たちが生きているこの人生は、単なる底の浅い消費ゲームではないのだと唱えた。

 

私が彼の講演を初めてロンドンで見たとき、場内の雰囲気は衝撃的だった。

ピーターソンは、優れた手腕で、ユダヤ教/キリスト教の伝統の美徳、神話の重要性、過去から現代まで人々の生活に息づく偉大なストーリーの意義について説明した。

それは、宗教的かつ世俗的であり、なじみ深いと同時に過激だった。

 

この頃には、私たちは友人となり、2つの会場で共にステージに登った。 

そこには、共通の友人である哲学者のサム・ハリスもいた。私たち3人は、ダブリンのスリー・アリーナとロンドンのO2アリーナに登壇した。どちらの会場にも約10,000人が集まり、私たちが神、政治、社会について議論するのを聞いた。

f:id:tarafuku10working:20200224020315p:plain


そこにいた聴衆の大多数がピーターソンを見にきていたことは間違いないし、彼はそれにふさわしいと私は思う。

数えきれないほどの敵が現れたのは必然だった。彼のメッセージが気にくわなかった人々だけではない。知識人がこれほどまでのスターの座を獲得したのを見たことがなく、それに嫉妬した人々もいた。

彼はTwitter上で常に暴言を浴びせられ、出版物には攻撃的な批判記事や中傷が絶え間なく掲載された。 

 

そして、昨年の3月には、ケンブリッジ大学が、教職員や学生の抗議を受けて、客員特別研究員の招きを取り消した。

彼らは、世界で最も著名な教授を迎え入れずにすむ理由を探した。そして、ファンの集いに参加したある男と並んでピーターソンが写った写真に震えあがったふりをした。その男が着たTシャツには、「私は誇り高きイスラム嫌い」というスローガンがプリントされていたのだ。

ケンブリッジ大の腰抜けは、ピーターソンはそこに立っているだけで、その男を '不用意に承認した' ことになると言うのだ。

f:id:tarafuku10working:20200224020338p:plain


一方で、彼の周りにいる人々は、彼の超多忙なスケジュールについて心配していた。講演が、毎日、別の都市で、時には別の国で行われた。メディアのインタビューもひっきりなしだった。

昨年の4月、妻のタミーが末期の癌であると診断された。 

この精神的ストレスに対処するため、彼は抗不安薬であるベンゾジアゼピンの服用量を増やし始めた。

彼は、これまで常に、自身の鬱の病歴について率直かつオープンであったし、この恐ろしい苦痛に立ち向かう方法について、人々にアドバイスを提供しようとしてきた。

 

昨年9月、娘のミカエラは、ピーターソンがリハビリ施設に入ったことを発表した。

そして、今週になって、大変なニュースが届いた。

ミカエラ (彼女自身も関節炎と自己免疫疾患に苦しみ、肉だけを食べるという物議を醸す食事療法で治療してきた) は、そのメッセージの中で、ジョーダン・ピーターソンが過去8か月にわたって薬の影響から逃れることに取り組んできたと話した。

 

この痛ましいニュースに対する反応がもっと優しいものであればよかったのにと思う。

しかし、思いやりにあふれる人として自分自身を演出する人々は、彼らが善と見なす道理のためには途轍もなく底意地悪くなれるというのが、この毒々しい時代の特徴だ。

元気だった頃のピーターソンにその正体を暴かれた社会正義活動家たちは今、彼が抗議できないのをいいことに、毒を吐いている。

 

インディペンデント紙のウェブサイトは、'いたるところからトランスジェンダー嫌いという非難' を浴びた 'オルタナ右翼の傀儡' だと彼を非難した。

ガーディアン紙のジャーナリストであるスザンヌ・ムーアは愉快そうにこうツイートした。「編集者の皆さん、ジョーダン・ピーターソンがロシアに身を潜めています。チェーンソーで私にやさしくヤラせて(訳注)。私にこの記事をかかせてね。よろしく!」

 

(訳注: “Fuck me gently with a chainsaw” は1998年の映画『ヘザース/ベロニカの熱い日』(ウイノナ・ライダー主演)からの引用。映画の中では、「いいかげんにして」または「冗談はやめて」ぐらいの意味で使われている)

www.youtube.com

彼と同じくカナダの学者であるアミール・アタランは、'Karma' (報い) というハッシュタグを付けてTwitterでこうつぶやいた。「騙されやすい若い男たちのための神託であり、マッチョなタフネスの説教師であり、'スノーフレーク' (訳注) を威圧的にいじめてきたジョーダン・ピーターソンが、強力な薬の中毒者となり、彼の脳は '神経障害' に蝕まれた」

「彼にふさわしいのは、彼が他人に示したのと同じくらいの思いやりだ」

 

 (訳注: Snowflake - 本来の意味は “雪片”。すぐに溶けてしまう脆いものということから、自分の気に入らない言動を見聞きしたときにすぐに大げさに反応してしまうような過敏な左派の人を揶揄して使う言葉)

 

これらは、彼に向けられた下水のような罵倒の中で目についた、ほんのいくつかの例に過ぎない。

ならば、この私が彼を支援する言葉を1つか2つ贈ろうではないか。

 

私はこれまで、何人かの非凡な人物に出会った。当然のことながら、彼らにはファンがいる。

小説家のマーティン・エイミスは、「ファンはすぐにわかる。なぜなら、ヒーローに会ったときに震えているからだ」と書いている。

 

ジョーダン・ピーターソンの場合は、そうではなかった。皆さんが話として聞いているだろうことを、私は実際にこの目で見た。彼と街の通りを歩いているときに。または本のサイン会で彼の隣に座っているときに。

ファンが彼と話せる時間はほんの20~30秒間だ。その中で、ファンが話すのは、どれだけ彼の仕事や作品を愛しているのか、ということではなかった。

彼らは、ピーターソンが彼らの人生をどのように変えたかについて話すのだった。

偉大な作家であっても、人生の中でこうしたことが数回でも起これば幸運だろう。ところが、ピーターソンには、これが一晩に何度も起こった。

 

あるイベントの後で彼のもとにやってきた20代の男のことを私は忘れない。

ピーターソンが本にサインをしている間、ファンの男はこう話した。彼は1年半前には安アパートの一室で、ゲームに耽り、マリワナをひっきりなしに吸っていた。

それが今、彼は結婚し、定職に就き、彼の妻は最初の子供を身籠っている。 

これはすべてピーターソンのお陰なのだと彼は言った。同じような話を私は何度も聞いた。

 

真摯で成熟した社会は、こうした現象から教訓を得ることができるだろう。

彼をはねつけ、嘲笑い、ボロを出させようとはしないだろう。その代わり、多くの人がお手軽なウソを語りたがる一方で、難しいが必要な真実を語ろうとする人は少ない社会に暮らしていることを認めるだろう。

現代の虚飾とテクノロジの下には、目的意識の重大な欠如、すなわち混沌が潜んでいることにも気づくだろう。それは、特に若い人々にとって、身のすくむほど恐ろしいことであり、ほとんど誰もその対処方法を語ろうとしてこなかった。ピーターソンはこの混沌に処方箋を与えようとしたのだ。

壮大なプランを描くのではなく、実現可能な小さな手順を示すことで。そして、そのすべては、率直に言って見事でインスピレーションに富んだ知識と好奇心に裏打ちされている。

 

彼は自分が聖人だと唱えたことはない。彼がすべての答えを知っていると仄めかしたこともない。

しかし、彼は、どこに答えがないかを知っていた。この薄っぺらで刺々しい時代の表面だけを見ていたのではわからない、深い意味と目的のある人生を過ごせることを知っていた。

 

ジョーダン・ピーターソンは並外れた人物だ。

しかし、彼もまた弱さと脆さを抱えた人間に過ぎない。

ピーターソンは快方に向かっていると彼の娘は言った。何百万もの人々に代わって私が言おう。「友よ、早く良くなることを祈る。世界は君を必要としている」

(翻訳ここまで)

 

 

ダグラス・マレーの著書: 『西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』東洋経済新報社、2018/12/14発売

 

ジョーダン・ピーターソンの著書: 『生き抜くための12のルール 人生というカオスのための解毒剤』朝日新聞出版社、2020年7月7日発売

 

おまけ:

ドキュメンタリー映画の『The Rise of Jordan Peterson』の中のワン・シーン。街なかで撮影中に、長髪、バンダナ、革ジャンというカウンター・カルチャー系のステレオタイプのような若者がピーターソンに話しかけてきた。製作陣は、この男はアンティファに違いない、ピーターソンに攻撃を仕掛けてくるぞ、と身構えたのだが、その若者は実はピーターソンの大ファンで、彼の動画に精神的に助けてもらったことについて感謝の言葉を言いにきたのだった、という話。

f:id:tarafuku10working:20200224020615p:plain


このエピソードを語る監督とプロデューサーのインタビュー (4:49 くらいから)

quillette.com

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

『三島由紀夫: 日本の文化的殉教者』というアンドリュー・ランキン氏の記事を訳してみた

f:id:tarafuku10working:20200209110631p:plain

 

オーストラリアのオンライン・マガジン「Quillette」誌に掲載された三島由紀夫についての記事を訳してみた。執筆したのはイギリス人の日本文学研究家であるアンドリュー・ランキン氏。

 

海外で三島由紀夫がカルト的な人気を誇っているのはご存じの方も多いと思いますが、この記事を読めば、その理由が少しわかるかもしれません。

 

文中、三島の発言/文章からの引用があるのですが、日本語の原典を見つけることができなかったので、一部私なりに翻訳したものがあります。そうした箇所には「原典不明」と訳注をつけています。ご了承ください。

 

quillette.com

 

(翻訳ここから)

三島由紀夫: 日本の文化的殉教者

文: アンドリュー・ランキン (Andrew Rankin)

2019年12月11日

 

先ごろ、日本の人々は、新しい天皇である徳仁の即位を熱烈に祝福した。それを見れば、日本がどれほど皇室制度への自信を取り戻したかわかる。近年の日本において、三島由紀夫(1925–1970)の評価が再び高まっているのも偶然ではない。彼は、そうすることが扇動的だと見なされていた時代に、日本の皇室制度の文化的重要性を最も力強く主張した作家/活動家である。悪名高い侍スタイルの自殺も含め、彼が今でも論争の的になる人物であることは間違いない。しかし、三島は遂に彼にふさわしい真剣な批評的考察の対象となっている。

 

第二次世界大戦で国が破滅的な敗北を味わった後、何年にもわたって、日本のカルチャー・シーンにおける三島の存在感は圧倒的だった。非常に多作であり、ほとんどあらゆるジャンルで数百もの作品を生み出した。『仮面の告白』 (1948)や『金閣寺』(1956)などの小説は、世界的な読者を獲得した最初の日本近代文学作品に数えられる。劇作家としては、古典芸能である能の演目を現代劇に翻案したことや、歌舞伎のためにウィットに富む喜劇を書いたことで成功を収めた。また、映画監督や俳優としての仕事もこなした。

 

f:id:tarafuku10working:20200209105509j:plain


三島は、その作家生活の初期においては、美のみを興味の対象とし、芸術以外の世界には傲慢なほど無関心な耽美派として自分を提示した。しかし、1960年以降、彼は日本の社会政治的な沈滞に目を向けるようになった。戦後の経済復興が著しい成功であることは既に明らかだったが、多くの日本人は文化的な混乱を覚え、それに悩んでいた。アメリカ軍部の法律家が起草した日本の戦後憲法は、軍隊を維持し、交戦するという日本国の権利を永遠に放棄した。侍の国において、戦士となることが違憲とされたのだ。これに伴い、日本の軍隊は “自衛隊” に名前を変え、米国との安全保障条約をめぐる状況は、激しい議論の的となった。

 

一方で、日本の知識人は、”西洋化” が日本の文化的統合性と伝統的様式をどれほど蝕んでいるのかについて議論を戦わせていた。日本の大学キャンパスでは、新しい大衆社会における意味の欠如に不満を唱える学生たちが、長く、時に暴力的な抗議行動を起こしていた。これらに加え、共産主義は日本でも信奉者を増やしており、最も過激な一派は、革命の主導や皇室制度の廃止を訴えていた。

 

三島は、こうした問題の真っただ中に飛び込み、断固とした反動的アジェンダを推進した。戦後憲法の平和主義を嘲笑い、挑戦するかのように武道を習い、軍事訓練に参加した。敵に囲まれた大学のキャンパスを訪れ (当時の状況を考えれば大胆な行動)、学生たちに文化的遺産の重要性を説こうとした。西洋文化の “利己的な個人主義” を批判する一方、英雄的な自己犠牲という “武士道精神” を褒めたたえ、神風特攻隊の “悲劇的な美” を賛美した。自身が監督した短編映画『憂国』(1966)では、天皇の命令に背くよりも自殺することを選択した将校を自ら演じた。多くの観察者には、三島は日本が懸命に忘れようとしている過去を賛美することで、故意に日本を愚弄しているように見えた。不真面目な耽美主義者が、どういうわけか熱心な破壊分子に変身したのだ。

 

f:id:tarafuku10working:20200209105537j:plain
ときに大げさとも思える風変りな仕草で、三島は政治的立場の両翼から距離を置くことに成功した。左派は、日本の軍国主義と天皇を中心としたファシズムを露骨に栄光化するものとして彼に異議を唱えた。しかし、彼は日本文化の継続性の究極的象徴として天皇制の重要性を主張する一方で、戦時および戦後の天皇であった裕仁を大胆にも批判した。ファシスト的全体主義に日本が陥ったこと、そして「ナチスに影響を受けた軍上層部の一部の悪党が、止めることのできない戦争への道を歩み始めることを許した」(訳注: 原典不明)ことについて天皇を批判した。天皇批判はどのようなものであっても冒涜だと見なす極右集団から三島が殺害予告を受け、警察の警護の対象となったのは一度だけではない。

 

1968年、“世界革命” がその絶頂期を迎え、日本のあちこちで暴動が発生していた頃、三島は楯の会という名の民間防衛集団を結成した。彼は会員たちに準軍事組織の制服を着せ (彼自身がデザインした)、報道陣に披露した。彼の説明によれば、この集団の目的は、日本の共産主義者による革命が発生した際に、政府の治安組織を支援することだった。三島は、日本の魂のために壮大な戦いの中で死ぬことを望んでいた。革命が起きないことが明らかになったとき、彼はその計画を殉死へと変更した。

 

1970年11月25日の午後、三島と4人の会員は、東京の中心部にある自衛隊基地で事件を起こした。社交的な訪問を装って総鑑と面会した彼らは、総監を人質に取り、執務室に立てこもった。総鑑を救出しようとする自衛隊の幹部や隊員を、三島は16世紀の日本刀を使って退けた。基地にいる全員を本館前に集めるように要求した後、三島は数分間、彼らに向けて演説した。

 

f:id:tarafuku10working:20200209105603p:plain


演説の中で、三島は、“自分を否定する” 憲法を受動的に受け入れていることについて自衛隊を叱責し、憲法を改正するために彼と共に立ち上がるよう訴えた。“それでも武士か?” と三島は彼らに向かって叫んだ。三島のもう1つの不満は、より曖昧なものだった。日本はその根本原理を見失った。人々は歴史と伝統を見捨ててしまった。天皇はきちんと崇拝されていない。国民全体がその魂を金と物質主義に売り渡してしまった。この先にあるものは精神的むなしさだけだ。だが、返ってきたのは怒号とやじばかりだった。建物の中に戻った三島は、腹を裂き、介添人に首をはねさせるという昔ながらの武士のやり方で自決した。もう1人のメンバー、楯の会の学生長だった男も同様の方法で死んだ。

 

当初は “クーデター未遂” と見なされた三島の行動は、世界中で大きなニュースになった。当惑した日本のリーダーたちは、日本が好戦的なウルトラナショナリズムに退行しているのではないという安心感を与えなければならないと感じた。三島は気が触れたに違いない、と彼らは言った。三島のとっぴな行動は、日本や日本人に関する真実を表すものでは決してない、と。神経を擦り減らすような集中的な分析の後、日本の知識人が到達した結論も同じだった。この後、何年にもわたって、三島の母国において彼の名前は事実上タブーとなった。

 

*     *     *

 

三島について書き始めた学者や批評家の多くは、彼の生い立ちにその説明を求めた。しかし、三島の人格形成期に起きた出来事は、彼が育った時代の基準に照らせば特段珍しいものではなかった。彼は、1925年、武士の血を引くことをささやかな誇りとする公務員の長男として東京に生まれた。病気がちだった三島を12歳まで主に育てたのは、神経質で支配的な祖母だった。敬愛する母とは、けっして衰えることのない強い共生的関係を築いた。1944年、三島は抒情的な短編をまとめた最初の本を出版した。

 

f:id:tarafuku10working:20200209105641g:plain


同じ年、戦死することを確信した彼は、遺言状を書いた。彼は正式に召集令状を受け取ったが、入隊検査で失格となった。屈辱だったが、これが彼の命を救ったのはほぼ間違いない。戦後、三島は東京大学で法律の学位を取得し、大蔵省で短期間勤務した後、フルタイムの作家となった。30代前半で結婚し、2人の子を授かった。何回かの海外旅行を除けば、東京が彼の生活の場だった。

 

円熟期に入った三島が自分のために作り上げた武士のペルソナは、若い頃の彼が欠いていたものに基礎を置いていたことは簡単に見て取れる。病気がちで、繊細で、本好きで、女性の力に息を詰まらせ、虚弱なために天皇の軍隊に入ることができなかった少年は、強健で、支配的で、過剰に男性的で、天皇の軍隊に入るには強すぎる戦士へと自分を変えた。同様に、彼の凄惨な死は、彼がほとんど隠そうともしなかった病的なエロティシズムの達成だったことも明白である。『仮面の告白』は、当時としては前例を見ない残酷なほどの率直さで、ハンサムな男性の肉体を対象としたSM的流血への肉欲を描写した。三島のほとんどの作品は、退廃的な美学に支配されている。その美学によれば、美しいもの(特に美少年)は、破壊の瞬間にこそ最も強烈な美を放つのである。

 

こうした強迫観念は、まったく特異だったわけではなかった。三島と同世代の日本の少年は、死について思いを巡らせ、どのように死ぬのかを考えないわけにはいかなかった。彼らのほとんどは、20歳を過ぎて長くは生きられないことを当然だと思っていた。日本の軍国主義者は、死を美化するというイデオロギーを推進し、戦場で “玉のように砕ける” ことの美徳を称揚した。このイデオロギーを吸収したが、実際には戦争に行かず、日本の敗戦後も生き延びた三島のような少年にとって、戦時は危険や破滅との陶酔的な出会いとして記憶に残った。そして、それは、戦後の平和な時代には、けっして取り戻すことのできない体験なのだ。

 

『金閣寺』の中心にあるのはこうした陶酔である。この小説は、若い僧が戦時中に修行した有名な京都の寺に対して抱く不安定な感情を綴ったものだ。僧の目には、空襲で破壊される可能性のあった戦争の真っただ中でこそ、この寺が最も美しく見えた。あらゆるものの儚さを官能的な形で表出するこの寺は、彼の悲劇的な憧憬の象徴となった。しかし、戦争が終わったとき、寺は無傷で、僧のはらわたは煮えくり返る。これが最終的に、宗教的犠牲にも似た破壊行動へと彼を駆り立てる。

f:id:tarafuku10working:20200209105710j:plain

 

こうした半宗教的な憧れにも突き動かされ、三島は殉教者になることを常に夢みていた。難しかったのは、崇高な動機を見つけることだ。三島は、外国で生まれたもう1つの全体主義が日本に浸透するのを防ぐ戦いに、その動機を見つけたと考えた。彼は、楯の会の声明文で彼の立場を明らかにした。

 

  1. 共産主義は、日本の伝統、文化、歴史とは相容れないものであり、天皇制に反するものである。
  2. 天皇は、私たちの歴史的/文化的コミュニティおよび民族的アイデンティティの唯一の象徴である。
  3. 共産主義がもたらす脅威を考慮すれば、暴力の使用は正当化される。(訳注: 原典不明。『反革命宣言』に同様の記述があるようだが)

 

日本のナショナリズムの中心には、常に天皇制があった。日本最古の文書には、約2700年前に国を造ったとされる初期の天皇たちの神話的な系譜が記されている。おおかたにおいて政治的権力から距離を置いてきた天皇は、日本という国の神聖な導き手として、そして日本人とさまざまな神々とを結ぶ橋渡し役として、長く崇められてきた。三島の不満の1つは、彼の言う “凡庸な相対主義” (訳注: 原典不明、英文は a hell of relativism)が日本に蔓延したことにより、天皇の神聖な側面が失われてしまった、ということだ。最後には “週刊誌的天皇制” しか残らないだろう、と三島は嘆いた。

 

三島は、日本の “アイデンティティ・クライシス” を、資本主義者的価値観の世界化と普遍化という、より広範な傾向と結びつけた。文化は、統一された生命の形を持つ場合のみ花開く、というのが三島の主張である。しかし、日本の文化は、他の文化と同様に、西洋によって蝕まれている。三島の最後の声明文は、悲観に満ちている。

 

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」

 

日本人テロリストは既に世界の注目を浴びていた。1970年代初め、赤軍派と称する好戦的な共産主義者集団が、暴力的な作戦を国際的に展開していた。彼らは、ハイジャック、誘拐、民間人の無差別爆弾攻撃や銃乱射など、現代のテロリズムを象徴付けるような手段を既に用いていた。三島は憤りながら赤軍派を非難し、彼自身の行動をもって、正反対の精神、すなわち、日本や現代の世界から消え去ろうとしていると彼が主張する高貴な精神を示そうとした。赤軍派の残忍なテロリズムに比べると、自衛隊基地における三島の破天荒ともいえる行動は、注意深く自己抑制されていた。楯の会は銃器を使用しなかった。自衛隊幹部が後に証言したところによれば、三島は彼らに対して年代物の日本刀を使うときでさえ、深い傷を負わせないような方法をとったという。

 

三島が晩年に取り組んでいた文学に関する仕事は、『豊饒の海』と題された4部作だ。救済と転生にまつわる美しくも究極的に謎めいた大作である。三島は、彼が死ぬ日に最終巻の原稿が出版社に届くように手配した。彼は、その死が歴史的な重要性を持つ出来事になることを望んだ。そして、その目的は達せられたと言っていいだろう。天皇裕仁は三島の死後、20年以上生き、1989年に世を去った。しかし、一部の日本人評論家は、裕仁の治世の精神は三島と共に消え去ったという感覚が既に存在すると認めてもよいと感じた。三島の芝居がかったマゾヒズムが、戦時の天皇の象徴的な処刑として機能したのであり、日本人が罪の意識を洗い流して過去から立ち直るのを助けたと示唆する者さえいた。

 

f:id:tarafuku10working:20200209105815j:plain

 

新しい世紀に入って三島の評価は上昇し、彼の作品に対する本格的な関心もこれまで以上に高まってきた。英語圏では最近、彼の作品の翻訳が何冊か出版された。日本では、伝統に対する無頓着、文学的水準の衰退、芸術や文化に対する企業の欲望と行政の無関心など、さまざまな問題に対する三島の警告が、日本の美がどれほど失われたのかに気付いた今日の読者の琴線に強く触れた。

 

しかし、三島の非常に暗い予測にもかかわらず、日本はアイデンティティ・クライシスから立ち直った。決定的なことは、1960年代に吹き上がった急進的な思想は、日本社会全体に浸透するには至らなかったということだ。それ以降、文化的に独自であり民族的に同質であるという日本の主張を反証し、その建国にまつわる現代の神話を脱構築し、過去について日本人に罪悪感をより強く抱かせようとする反ナショナリストの何十年にもわたる取り組みは、たいした結果を残せていない。日本、そして日本人は、強固に自民族中心主義であり、他の東アジアの国と同様に、愛国的な誇りは広く共有される理屈抜きの感情である。

 

日本の天皇制はまったく損なわれておらず、天皇徳仁はその臣民から広く愛されている。日本の政治的リーダーシップは保守派が圧倒している。彼らは、武力で防衛するという国家の権利をはっきりと認めるために、日本国憲法の改正を目指すとしている。共通の文化的遺産に対する意識を高めることで、人々の間に忠誠心の絆を強め、それを広く行きわたらせようと努めている。彼らは、天皇家に対して畏敬の念を持ち、国歌や国旗を尊重することを奨励している。人気の高い彼らのスローガン、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」(訳注: 日本会議のスローガンの1つ)は、愛国心の発露である。三島が現在の日本の状況を見たとしたら、その将来の存続について、それほど悲観的にはならないのではないか。

(翻訳ここまで)

 

アンドリュー・ランキン氏は昨年9月に『Mishima, Aesthetic Terrorist: An Intellectual Portrait』というタイトルの本を出版しています。

f:id:tarafuku10working:20200209110315j:plain


『Seppuku: A History of Samurai Suicide』という切腹の歴史についての研究本も書いています。

 

f:id:tarafuku10working:20200209110340j:plain

 

また、中上健次の短編集『蛇淫』の英訳もされているようです。

f:id:tarafuku10working:20200209110356j:plain

 

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

ジョーダン・ピーターソンが処方薬の依存で入院していた件について

ジョーダン・ピーターソンが薬の依存でリハビリ施設に入ったというニュースが昨秋流れていたが、娘さんのミカエラさんが最新情報を動画にしてアップロードしてくれたので、要約して訳します。

 

www.youtube.com

 

(翻訳ここから)

ピーターソンは、食品に対する深刻な自己免疫反応を体験し、それに伴う不安感に対処するため、数年前から低用量のベンゾジアゼピンを処方され、指示に従って服用していた。去年の4月、彼の奥さんが末期の癌と診断され、薬の処方量を増やした。その後、彼の身体に薬に対する身体的依存と奇異反応が起きていることが明らかになった。奇異反応とは、本来予想される薬の働きと逆の作用が出ること。この反応は珍しいが、前例のないことではない。

 

この8か月間、彼はこの薬により耐え難い不快感に苛まれ、薬の服用をやめようとすることで不快感はさらに増した。この原因は、身体的依存に由来する離脱症状である。彼は極端な静座不能に悩まされた。静座不能とは、パニック症状に近い焦燥感が際限なく続き、じっと座っていられない症状である。これにより、このため、彼は自殺を考えることさえあった。

 

テーパリング(服用量の漸減)やマイクロテーパリングなど、北米の病院での治療に何度か失敗した後、緊急医療ベンゾジアゼピン解毒療法を求めなくてはならなくなった。この治療はロシアでのみ行われている。これは、非常に過酷なもので、以前の病院で罹患したと思われる深刻な肺炎もあって、事態は悪化した。彼はひどい体調のままICUで4週間過ごす必要があったが、非常に有能で勇敢な医師達の助けもあり、生き延びた。

 

ロシアで治療するという意思決定は、ほかに良い選択肢がないという絶望的な状況の中で行われた。回復するかどうかはっきりとわからなかったことは、とても困難で恐ろしい体験だった。現在、快方に向かっているが、様々な生理学的損傷を元に戻す必要がある。体調は徐々に回復しており、薬を飲む必要はなくなった。ユーモアのセンスも戻り、この数か月間で初めて笑うことができた。だが、全快に至るには、まだ長い道のりがある。危ういところで命をとりとめることができたようだ。

 

いくつかのことを明確にしておきたい。家族も医師も、これが精神的依存だったとは考えていない。ベンゾジアゼピンの身体的依存は、脳の変化により、数週間で発生する可能性がある。診断の難しい奇異反応により、それはさらに悪化し、危険性が非常に高まる可能性もある。彼が完全に回復することを私たちは望み、医師にも回復するだろうと言われたが、これには時間がかかる。非常に幸運なことに、彼はまだ生きており、そのことには大いに感謝している。

 

次は、彼自身から状況について説明できると思います。ご支援ありがとうございます。(翻訳ここまで)

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

イギリスの政治学者、マシュー・グッドウィンの「2020年の政治はどうなるか?」という記事を訳してみた

イギリスの政治学者、マシュー・グッドウィンの記事「2020年の政治はどうなるか?」を訳してみた。イギリスのUnherdというオンライン・マガジンに掲載された記事です。

 

昨年、国民的(ナショナル)ポピュリズムはますますその地盤を強固なものにしましたが、それを受けて、グッドウィンが2020年の政治を展望します。

 

unherd.com

 

(翻訳ここから)

2020年の政治はどうなるか?

ドナルド・トランプが勝ち、国民的ポピュリズムは勢いを増し、環境運動は成長する

2020年1月10日

f:id:tarafuku10working:20200123073925p:plain

マシュー・グッドウィン (Matthew Goodwin)

 

政治マニアにとって、2019年は当たり年だった。ヨーロッパでは15件もの国会選挙が行われた。大統領/首相選挙も7件あったし、ドイツやオランダなどでは重要な州レベルの選挙が争われた。欧州議会選挙も開かれ、もちろん、英国ではブレグジットという名の叙事詩が継続中だ。

 

こうした選挙を通じて、私たちは現在の政治状況について多くを学んだ。国民的ポピュリズム(注1)は政治勢力として地盤を固めた。環境保護運動は徐々に力を増しつつある。社会民主主義の窮状は改善の兆しを見せず、欧州の政治制度は引き続き断片化する。さらに、ブレグジットが実現することは今では決定事項となった。

 

(注1: National Populismとは、マシュー・グッドウィンの著書『National Populism: The Revolt Against Liberal Democracy』(P. Eatwellとの共著)では、「国民の文化と利益を優先すると共に、冷ややかで腐敗していることも多いエリートに無視され、軽蔑すらされていると感じる人々に声を与える」ムーブメントと定義されている。右派ポピュリズムに近い意味の言葉であると思われる)

 

こうした状況を背景に、いくつか他のことも学習することができた。世界中の何百万人もの有権者にとって、文化的不安は経済的不安と同様に引き続き意味を持つ。英国の保守党やオーストリアの国民党などの中道右派政党は、左翼政党に比べ、新しい時代の政治により効果的に適応し始めた。左派は、断片化している支持者に示す回答を持っていないように見える。

 

これらを念頭に置いたうえで、2020年がどのような年になるのか、いくつか予想を立てていきたい。

 

英国から始めよう。ボリス・ジョンソンと保守党は、長い蜜月を楽しむだろう。保守党が1987年以来の大差で多数派となったことを受け、ジョンソン首相は間違いなくEU離脱法を成立させる。これにより、ブレグジットが正式なものになるのはもちろんだが、それだけではない。ジョンソンは2016年の国民投票の結果を実現し、2019年の「ブレグジットを終わらせる(Get Brexit Done)」という彼自身の約束を果たしたという手柄を手に入れることになるのだ。さらに、彼のすべての前任者を悩ませた欧州の問題について、真に勝利した唯一の保守党リーダーとなることができる。

 

今年、2010年から2015年までデビッド・キャメロンを首相として支えた層とはまったく異なる有権者を、ジョンソンと保守党がどのようにまとめようとしているのか、その計画が明らかになるだろう。

 

ジョンソンの支持者は、年配で、ワーキング・クラスで、教育レベルが高くなく、大部分が白人で、社会的に保守的だ。このため、移民制度の改革、犯罪、インフラ支出、(ロンドン以外の)地方へのその他の投資などについて、大規模かつ大胆な提案があると、私は予測する。首都以外の場所で、さまざまな動きや発言があるだろう。

 

また、この世代の保守党は、圧倒的多数派であることを梃(てこ)にして、英国の教育セクターやメディアの大部分に浸透した “ソフトレフト” のバイアスに対抗するため、これまで以上に巻き返しに力を入れたいと考えているだろう。文化に関する長期的な戦争に負けているのなら、ブレグジットの戦いに勝ったところで何の意味もないのだ。

 

一方、残留派が再加入派へと姿を変えることは避けられない。しかし、この運動は維持するのが難しいだけでなく、失速してしまうのも時間の問題と言える。若いZ世代(注3)の関心は気候変動に向いているため、ベビーブーム世代が残留を望む気持ちを有効な政治的プロジェクトに変えるのには苦労するだろう。筋金入りの残留派はポッドキャストやツイッターで運動を続けるだろうが、これは主流派とはなりえない。自分が “ヨーロッパ人” であると態度を表明するイギリス人は増えるだろうが、これは意味のある政治的変化につながることはない。

 

(注3: Generation Z は、定義によっても異なるが、だいたい1990年代後半から00年代生まれの人)

 

議席数が1935年以降で最低となった労働党だが、今年は再編成に苦労するだろう。コービン主義は、欧州の社会民主主義が直面するより広範な危機に対する回答にも、米国において民主党の次の一手は何なのかという質問に対する回答にもならないことがわかった。また、経済的ポピュリズム(注4)は、多くの人が考えているほど人気が高いわけではない。経済では左に傾くが、文化とアイデンティティでは右に寄る中道右派のリーダーとマッチアップしたとき、経済的ポピュリズムは毎回のように敗れるだろう。これもまた、11月に大統領選挙を迎える米国に対する1つのメッセージを含んでいる。

 

(注4: Economic Populism : ここでは、経済的エリートに対する「大衆」という概念を強調する政治スタンスを指していると思われる。「ウォール街を占拠せよ」ムーブメントなどが典型。左派ポピュリズムとほぼ同義か?)

 

労働党について言えば、慌ただしく突入した党首選、敗北に対する内省の欠如、党首候補たちの印象に残らないオープニング・スピーチ、支持者内の根深い構造的問題など、これらすべてが指し示すのは、迅速な復調ではない。労働党は、荒野を長くのろのろと彷徨うことになりそうだ。この難しい年において、2020年春の地方選挙も例外とはならないだろう。

 

2020年を見渡すと、ポピュリズムに関していえば、すべての目は米国に集まる。そして、最終的には、おそらくドナルド・トランプが再選されるだろうと私は考える。

 

トランプに不利な要素がいくつもあることは間違いない。選挙人を獲得するための道は険しく、過去と比較してみると、支持率も低調だ。選挙の年に限れば、彼の支持率は1976年のジェラルド・フォード以来最も低い(フォードはジミー・カーターに敗れた)。

 

しかし、トランプにとってポジティブな要素もたくさんある。福音派、熱心な共和党支持者、労働者階級といった有力な支持基盤において、トランプの支持率は非常に高い。そして、少なくとも私の見るところでは、民主党はそもそもトランプがなぜ当選したかを把握しているようにも、彼の支持層を切り崩すために何を言えばいいかを理解しているようにも見えない。マイノリティ集団と熱心な左派活動家を動員するだけでは十分でないのだ。

 

そして、ナラティブだ。トランプには、有権者に語るべきストーリーがたくさんある。あなたは彼の話の内容が好きになれないかもしれない。しかし、アメリカの経済、中国への強硬姿勢、国境を守る取り組み、テロやギャングの暴力の取り締まりなど、彼には語るべきストーリーがたくさんある。それとは対照的に、民主党のナラティブな何なのか? 私にはよくわからない。それに加え、皆さんもご存じのように、2015年にもトランプに強い逆風が吹いていたが、それでも彼は勝ったのだ。

 

欧州の国民的ポピュリスト政党にとって、欧州議会で過去最高の議席数を獲得した昨年は最高の年となったが、この道場荒しのような政治集団の快進撃はまだまだ続くだろう。2019年の英国では、ナイジェル・ファラージはブレグジット党を介して主要政党にプレッシャーをかけ続けた。ブレグジット党が訴えていたオーストラリアのような移民ポイント・システム(注5)の導入と地域間格差解消のための取り組みは、ボリス・ジョンソンの保守党に採用されることになるだろう。

 

(注5: 移民に関するポイント・システムとは、教育レベル、資産、言語能力、能力に合った仕事の有無などをポイント化し、一定の基準を満たした者に移民を許可するシステム。オーストラリアやカナダで採用。イギリスでも採用されているとされるが、あまりうまく運用されていない様子)

 

他の国に目を移すと、新しい政党が頭角を現した。オランダの州選挙では民主主義フォーラム(注6)が躍進し、さらに重要なことに、スペインではVox (注7)が国政レベルで結果を出した。イタリアでは、マッテオ・サルヴィーニと同盟(注8)は、政権の座を降りたものの、欧州議会では同党始まって以来の議席数を獲得し、世論調査でも他党に対して健全なリードを保っている。ベルギーではフラームス・ベランフ(注9)がこれまでで最高の得票率を記録し、ドイツのための選択肢(注10)はザクセン、ブランデンブルク、チューリンゲンの州選挙で躍進した。ポーランドでは、法と正義(注11)が同党始まって以来最高の得票率を獲得した。

 

(注6: 民主主義フォーラムはオランダの政党。「保守」、「右派ポピュリスト」、「欧州懐疑派」などと形容される。2016年発足。2017年、国会第二院に2人当選。2019年の州選挙では最も多数の議員を当選させた政党となった)

(注7: Vox はスペインの政党。「右翼」、「右派ポピュリスト」、「極右」などと形容される。2013年創立。2019年の総選挙で10.26%の得票率を記録し、24人が当選。初めて国政に進出した)

(注8: 同盟はイタリアの政党。かつては北部同盟と呼ばれていたが、2018年に改称。2018年の総選挙後に5つ星運動との連立政権に参加したが、2019年9月に離脱。5月の欧州議会選挙では、議席を24増やして28とした)

(注9: フラームス・ベランフはベルギーの政党。党名を直訳すると「フラームス」の利益。オランダ語系のフラマン語を話すフランデレン知識を基盤とする。「右派ポピュリスト」、「フランドル・ナショナリスト」と形容される。2019年の国政選挙では、議席が15増えて18に)

(注10: ドイツのための選択肢はドイツの政党。「右翼」、「極右」などと形容される。2014年設立。2017年の国政選挙でいきなり第3党となる。2019年の地方選挙でも躍進)

(注11: 法と正義はポーランドの政党。2001年創立。国民保守主義、キリスト教民主主義、右派ポピュリスト。2019年の総選挙で43.6%の得票率を記録した)

 

国民的ポピュリズムは、勢いを弱めるどころか、その地盤をさらに固めた。20年代の始まりにあたって、特に欧州の政治システムが断片化していく中で、永続的な勢力となりそうである。

 

2020年に注目すべき最後の点は、政治的同盟の変化である。ボリス・ジョンソンは、これまでとは異なる看板を掲げた保守主義を導入または再生しようとしているという点で興味深い。この保守主義において、彼の党は、取り残されたワーキング・クラスの人々とある種の同盟を結んだのだ。しかし、これ以外にも目を離せない新しい同盟が存在する。

 

オーストリアの最近の選挙では、緑の党が過去最高の結果を出したが、その後、中道右派の国民党と連立政権を組んだ。そして、興味深いことに、新しい環境税を導入する一方で、移民と統合に関してかなり強硬な立場を取ることにも同意した。すなわち、不法移民を取り締まるための手段や、14歳未満のヘッドスカーフの禁止、罪を犯していないが治安へのリスクと見なされた個人の予防拘留の導入を含む “政治的イスラム” を制限するための手段に賛成したのである。

 

こうした事実すべてが指し示すのは、環境保護運動の勢いが過去に比べて少しばかり上向きになっているとはいえ、フワッとしたナイスな社会リベラリズムのブランドが戻ってくるとは限らないということだ。実際にはその逆で、文化とアイデンティティという非常に重要な問題については、国民的ポピュリズムだけでなく、一般大衆のムードに応える形で、欧州の大部分はさらに右へと向かうだろう。2020年にこの傾向が転機を迎える理由はほとんど見当たらない。

(翻訳おわり)

 

マシュー・グッドウィンの本は日本ではまだ出ていないようですので、英語の本ですがご紹介。『National Populism: The Revolt Against Liberal Democracy』(Roger Eatwell との共著)。2018年に出版。

 

f:id:tarafuku10working:20200123073835j:plain

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ

コラム「なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか」を訳してみた

f:id:tarafuku10working:20200115104002p:plain

2018年8月に米アトランティック誌に掲載された「なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか」を訳してみた。書いたのはケイトリン・フラナガンという女性コラムニスト。

 

民主党の牙城ともいえるLAのリベラルな中産階級家庭で育った白人の男子学生たちに、ピーターソンがどのように受容されていったのか。そのあたりが面白かったので、ちょっと古い記事ですが、訳してみました。

www.theatlantic.com

(翻訳ここから)

なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか

このカナダ人の心理学教授が大きな注目を集めるのは、左派が衰退しており、非常に脆弱であることの証拠である。

2018年8月9日

f:id:tarafuku10working:20200115103912p:plain

ケイトリン・フラナガン(Caitlin Flanagan)

 

2年前のこと。私が1階に下りると、ティーンエイジャーの息子の1人が、風変りなYouTube動画をテレビで見ていた。

 

「それは何?」と私はたずねた。

 

彼は真剣な顔をして振り返り、「トロント大学の心理学の教授が、カナダの法律について話しているんだ」と説明した。

 

「そうなの?」と私が言ったときには、彼は既に視線を画面に戻していた。彼はインターネットの一番奥にたどりついたのだろう、と私は思った。その先にはもう何もない場所だ。

 

その夜、息子は動画について私に説明しようとした。しかし、私の耳には雑音にしか聞こえなかった。私はもっと面白いことを話したいと思っていた。だが、そんなことはどうでもいい。彼の友人の多くが同じように動画を見て、仲間同士で会話していたのだ。彼らは皆、青く染まった (注1) ロサンゼルスのリベラルな家庭で育った進歩的な民主党支持者であり、そうした若者たちに期待されるあらゆる社会的な振舞いを身に着けていた。

 

(注1: 青は民主党のシンボルカラー)

 

少年たちは高校を卒業し、大学に進んだ。そして、アメリカの大学キャンパスを牛耳っている、ある種の規制された話法 (注2) の洗礼を受けた。彼らは波風を立てなかった。文化の盗用やヘイト・スピーチに怒り狂っている学生たちと事を構えたりもしなかった。それどころか、そうした学生たちの多くと強い友情の絆を築いた。勉学に励み、小論文を書いた。そして、寮の自室で、アウェイの試合に行くバスの中で、ジムで体を鍛えながら、このジョーダン・ピーターソンという男のポッドキャストや講義に耳を澄ませ始めた。

 

(注2: ポリティカル・コレクトネスを強く意識した話し方)

 

若者たちはヒラリーに投票した。トランプが当選したと聞いて、驚いて家に電話をかけてきた。議会で民主党を多数派にするにはどうすればいいか議論した。そして、彼らはピーターソンを聞き、サム・ハリス、デイヴ・ルービン、ジョー・ローガンを聞いた(注3, 4, 5)。こうした講義や議論はときに長たらしく、トピックが難解であることも多かったが、おそらくこれは彼らが人生で初めて聞いたアイデンティティ・ポリティクス (注6) への地に足のついた反論だった。

 

(注3: サム・ハリスは作家/哲学者/脳科学者。無神論者であり、宗教批判、特にイスラム教の批判で知られる)

(注4: デイヴ・ルービンは、コメディアン/トークショー・ホスト。自身がホストを務める「ザ・ルービン・レポート」では、ピーターソンを始め、進歩主義左派を批判する言論人を招いて会話することが多い。自身の政治的信条は、クラシカル・リベラルであるとしている)

(注5: ジョー・ローガンは、コメディアン/総合格闘技コメンテーター/トークショー・ホスト。ポッドキャスト番組「ザ・ジョー・ローガン・エクスペリエンス」では、ダイレクトな語り口でゲストから話を引き出す)

 

f:id:tarafuku10working:20200115104029p:plain

 (注6:アイデンティティ・ポリティクスは、性別、人種、性的指向など、特に社会的に抑圧されているとされる特定のアイデンティティに基づいて集団の利益を代弁して行う政治活動。保守派からは、マルクス主義の階級闘争をアイデンティティ闘争に置き換えたに過ぎないと批判されることが多い)

 

これは些細なことに見えるかもしれないが、実はそうではない。アイデンティティ・ポリティクスの枷 (かせ) を外すことで、宗教、歴史、神話など、あらゆる種類のことをこれまでと違った方法で議論することが可能になった。イデオロギーの介在なしに、アイデアを直接体験することができるのだ。自分では気付いていなかったかもしれないが、彼らは、公式の教育を施している人々の鼻先で、課外授業に熱心に耳を澄ませる膨大な数のアメリカの大学生に合流していたのだ。

 

これらはすべて静かに起こった。監視され、怒号を浴びせられ、関係当局に通報されるキャンパスのフリー・スピーチ・ゾーン (注7) でではなく、衛星からイヤーバッドに注ぎ込まれる形で起きた。そのため、左派はこれが彼らにとって大きな問題であることに気付くのが遅れた。ちょうど、合唱団をやめたことに親が気付く頃には子供たちがすっかり急進化していた1960年代のように。そして、これはけっして大学生だけの話ではなかった。

 

(注7: 大学のキャンパス内で、政治的抗議運動などをしてもよいと定められたエリア)

 

この国のいたるところで、あらゆる種類の人がこうしたポッドキャストを聞いていた。驚くほど多彩なゲストを迎え、多岐にわたるトピックについて語り合うジョー・ローガンの型破りな番組は、しばしばピーターソンのアイデアの震源地となった。本人が登場して語ることもあれば、彼と緩くつながる思想家が話をすることもあった。ローガンのポッドキャストは、毎月数百万回もダウンロードされている。何が起きていたにせよ、それは、伝統的な文化の番人が把握する能力を超えた規模とスピードで起きた。何が起きているのか左派が遂に気付いたとき、彼らにできたことは、太平洋からスプーンで水を汲み出すことだけだった。

 

警報が鳴ったのは、発売当初から堂々たるベストセラーとなった「生き抜くための12のルール (12 Rules for Life)」をピーターソンが世に出したときだ。なぜなら、左派は本を文化の推進力と認識しているからだ。本の出版を契機として、敵意のある人物紹介記事や論説がたくさん書かれた。しかし、この本をイデオロギー的に攻撃することは難しかった。なぜなら、これは政治性の少ない自己啓発本であり、文学的であると同時に有益で、そしてなにより、商業的に成功しているのだ。こうしたすべてが批評家たちを苛立たせた。「あんなのは単なる常識に過ぎない」。彼らは眉を吊り上げながら口々にそう言った。このこと自体が何かを物語っている。常識に過ぎないものに、なぜそんなに腹を立てるのか?

批評家たちは、この本がベストセラーであることを知っていた。しかし、その影響力を把握できなかった。なぜなら、彼らはこの本を読んでいないからだ。カナダで最初に出版されたとき、ニューヨーク・タイムズのリストに掲載されなかったからだ。しかし、Amazonではしばしばノンフィクションの分野で最も売れている本となっていた。そして、おそらくもっと重要なことは、オーディオブックが大量に売れていたということだ。ピーターソンのポッドキャストや動画と同様に、オーディオブックを聞く人は日々の生活に忙しい。洗濯物を畳み、商品を運ぶ長距離トラックを運転し、オフィスから帰宅するときに渋滞に巻き込まれ、ジムでフィットネスの維持に励んでいる。この本は、彼らの多くがそれまで表現できなかった、心の奥底に潜む感情に言葉を与えたのだ。

 

自己啓発をテーマとしたベストセラーの著者が、定評のある朝の番組に出演していないというのは考えにくいことである。「トゥデイ」、「グッド・モーニング・アメリカ」、「CBS・ディス・モーニング」といった番組は、その放送時間のほとんどすべてを自己啓発の話題に費やしている。しかし、番組プロデューサーは彼を番組に呼ばなかった。ピーターソンはスタジオに行かなかった。ライフスタイル業界の有名人に交じって、日常生活のシンプルな工夫がもたらす心理学的なメリットについて、知見を披露したりはしなかったのだ。快進撃はここで終わるはずだった。しかし、その頃には、ピーターソンは本のプロモーションであちこちを飛び回っていた。従来のプロモーション・ツアーと唯一異なる点は、毎回のように2,500人をゆうに超える聴衆が彼の話を聞きに詰めかけていたということだ。それに加え、彼のポッドキャストや動画は、何百万人もの視聴者を抱えている(ピーターソンのYouTubeチャンネルの動画は、合わせて数千万回再生されている)。どうやらこの本には「トゥデイ」の後押しは必要なかったようなのだ。

 

左派には、彼を失脚させなければならない明白で差し迫った必要性があった。彼や、いわゆる “インテレクチュアル・ダーク・ウェブ(IDW)” (注8) のメンバーが提供しているのは、アイデンティティ・ポリティクスに対するクリプトナイト (注9) なのだ。信用を台無しにするような思想を彼に関連付けようとする熱心な動きがあった。たとえば、彼は「強制的一夫一妻制」なるものを支持しているというのだ。これは、一部の文化に存在する、結婚を促す社会的圧力を指す人類学上の概念である。彼がこの言葉を用いたのは、幅広いトピックについて話したニューヨーク・タイムズ紙記者とのインタビューにおいてである。その結果、彼は政府が結婚に介入すべきだと信じているという嘘が、何度も何度も繰り返された。また、トランスジェンダーに対して、彼らのジェンダー・アイデンティティに沿った代名詞を使うのをピーターソンが拒否したというのも間違いである。彼が拒否したのは、特定の話し方をしなければならないと要求する法律に従うことである (注10)

 

(注8: IDW は、ピーターソン、ハリス、ローガン、ルービン、ベン・シャピーロなど、大学やメディアを支配するアイデンティティ・ポリティクスやポリティカル・コレクトネスに反対する特定の言論人の集団を指す言葉)

(注9 : スーパーマンの弱点として知られる架空の物質)

(注10: ピーターソンが大きな議論を巻き起こしたのは、2016年、彼の住むカナダのオンタリオ州で、「トランスジェンダーの人が望むジェンダー代名詞(he, she など既存のものだけでなく、新しく作ったものも含む)を使わなければ人権侵害になる」という法律の制定に、言論の自由の観点から反対するビデオを公開したとき。注意していただきたいのは、ピーターソンはトランスジェンダーの権利についてどうこう言いたかったわけではなく、人が何を言うかを強制する条項を法律に組み込むことに反対していたのだということ。冒頭で筆者の息子氏が見ているのも、おそらくこれに関するビデオ)

 

個々の読者がジョーダン・ピーターソンを嫌う理由はたくさんある。彼がユングの支持者であることが気に入らない人もいるだろう。彼自身が認めているように、彼は非常に真面目な人間だから、もっと楽しい話をすればいいのに、と思う人もいるかもしれない。あなたにとって、彼は退屈かもしれない。アイデンティティ・ポリティクスにもアイデンティティ・ポリティクスへの反論にも興味がない人もいるだろう。さまざまな論点について、彼に異議を唱える正当な理由はたくさんあるし、多くの人が実際にそうしている。しかし、ジョーダン・ピーターソンに対する左派の執拗で非合理な憎悪については、説得力のある理由はない。では、いったい何がそうさせるのか?

 

それは、現在、文化や芸術の分野では左派がますます優勢になっているように見えるかもしれないが、実際には衰退期に入っており、非常に脆弱だからだ。左派が恐れているのはピーターソンではなく、彼が推し進めるアイデアだ。それは、どのような種類のアイデンティティ・ポリティクスともまったく相いれない。ネイション誌で詩を担当する編集者たちが、素人臭いが超絶的に意識の高い詩を雑誌に掲載した。しかし、彼らを待っていたのは、ポリティカル・コレクトネスの落とし穴だった。編集者たち(そのうちの1人はハーバード大の英語学科の正教授だった)は、喜劇的なほどの過剰な感傷と職を失う不安な気持ちを滲ませた書簡を共同で書き、批判者たちの許しを請うた。当の詩人も、謝罪とも、ヘイル・メアリー・パス (注11) とも、遺書ともとれる声明を発表した。そして、これらすべてが、より大きな正義に向かう道のりで起きた残念だが小さな出来事として聖なる館に受け入れられたとき、何かが死んでいった。(注12)

 

(注11: アメフトで試合終了間際に投げるいちかばちかのロングパス)

(注12: ネイション誌は米国で150年以上の歴史を誇る左派系の雑誌。アンダース・カールソン=ウィーという白人男性詩人が発表した詩が、黒人英語を使っているということで文化の盗用だと非難され、また一部の言葉遣いが身障者差別だと非難された)

 

ニューヨーク・タイムズ紙の発行人は、大統領との会談について冷静な声明を発表した。その中で、彼はトランプの “非常に問題のある反マスコミのレトリック” の問題についてトランプに指南したと書いた。その3日後、同紙は、あるライターを雇用したと発表した (注13)。そのライターは、白人、共和党支持者、警察官、大統領への憎悪と、特定の女性ライターやジャーナリストが “存在” を止めるべき必要性についてツイートした過去があった。そして、この新規採用者が現場記者ではなく、編集委員会の一員として同紙が世界に向けて発する意見の形成に一役買う立場であれば、腐敗したシステムに代わるアイデアのパラレル文化が出現するのは不思議ではない。バラク・オバマは、南アフリカで行った講演において、白人の男性というだけで “意見を言う資格” がないというのなら、その文化は袋小路に入り込んでいると言った。アイデンティティ・ポリティクスの桂冠詩人である彼が、その信奉者に手の内が見えているぞと仄めかすようなメッセージを出すことに決め、そして、そのSOSさえ無視されるとき、終末時計の針はまた進む。

 

(注13: サラ・ジャング(Sarah Jeong)という若いジャーナリスト。2013 – 2014 年頃に、白人に対する人種差別的なツイートをしていた苗字は日本語では "ジョング" または "チョン" と表記される場合あり)

 

死を目前にした喘鳴が聞こえる中、登場したのがピーターソンを筆頭とする思想家の一群だ。彼らは、世界を理解するための代替手段を提供した。そうしたものに飢えていた非常に多くの人々に対してだ。彼の支持者は数多く、多様性にも富む。だが、かなりの数のファンは白人の男性である。このため、彼らは赤いピルを飲んだ軍団 (注14) なのだと左派は自動的に思い込んでしまう。しかし、真実は逆だ。オルタナ右翼 (注15) は左派と同じくらいの熱心さでアイデンティティ・ポリティクスを崇める。それは、オルタナ右翼の Web サイトである「カウンターカレント」に、「ジョーダン・ピーターソンのアイデンティティ・ポリティクスの拒絶は、白人文化の破壊を許す」という小論文が最近掲載されたことでもわかる。

 

(注14: Red pilled army – 赤いピルを選べば不愉快な知識と残酷な真実を知ることになるが、青いピルを選べば無知なまま安楽に暮らせる。どちらを選ぶか、という映画『マトリックス』のシーンから。赤いピルを飲む、という言い方は、リベラル左派だった人がリベラル左派批判に転じることを指す場合が多い。筆者は、ここではRed pilled armyを明らかに悪い意味で用いているが、一般的には特に悪い意味を持つわけではない)

f:id:tarafuku10working:20200115104451j:plain

(注15: オルタナ右翼またはオルト・ライトは、現在ではほぼ白人優越主義と同義。ピーターソンやIWDのメンバーは、彼らのことを激しく非難しているか、少なくとも距離を置いている)

 

ネイション誌の詩に関する騒動、ニューヨーク・タイムズ紙の採用、そしてオバマの救難信号を生んだような種類の哲学への反発が、ドナルド・トランプの当選にまったく関係なかったと考える人がいれば、その人は夢を見ている。また、こうした狂乱を拒絶するのは共和党支持者だけだと考えるのも、同様に妄想に憑りつかれている。今のホワイトハウスを嫌うのと同じくらい、文化の大部分を牛耳るアイデンティティ・ポリティクスが、ますますいびつな形でいたるところに顔を出すのを嫌う人は、アメリカ中にたくさんいる。こうした人々は、イデオロギーを求めているのではない。アイデアを求めているのだ。そして、多くの人は、善いものと悪いものを見分ける力を蓄えてきている。彼らを罵るなら、民主党はその危険性を覚悟すべきだ。彼らを当然の味方として期待するなら、共和党は幻想の中にいる。

 

ピーターソンの新しい本の中で最も危険な “常識” は、おそらく最初に置かれたものだろう。パワフルな既存の秩序と闘うことに関心があるすべての人に、彼は欠くことのできない一片の知恵を授けた。「胸を張り、」とルールNo. 1は始まる。「まっすぐ立ちなさい」。

(翻訳ここまで)

 

時事ニュース 人気ブログランキング - ニュースブログ