『三島由紀夫: 日本の文化的殉教者』というアンドリュー・ランキン氏の記事を訳してみた

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オーストラリアのオンライン・マガジン「Quillette」誌に掲載された三島由紀夫についての記事を訳してみた。執筆したのはイギリス人の日本文学研究家であるアンドリュー・ランキン氏。

 

海外で三島由紀夫がカルト的な人気を誇っているのはご存じの方も多いと思いますが、この記事を読めば、その理由が少しわかるかもしれません。

 

文中、三島の発言/文章からの引用があるのですが、日本語の原典を見つけることができなかったので、一部私なりに翻訳したものがあります。そうした箇所には「原典不明」と訳注をつけています。ご了承ください。

 

quillette.com

 

(翻訳ここから)

三島由紀夫: 日本の文化的殉教者

文: アンドリュー・ランキン (Andrew Rankin)

2019年12月11日

 

先ごろ、日本の人々は、新しい天皇である徳仁の即位を熱烈に祝福した。それを見れば、日本がどれほど皇室制度への自信を取り戻したかわかる。近年の日本において、三島由紀夫(1925–1970)の評価が再び高まっているのも偶然ではない。彼は、そうすることが扇動的だと見なされていた時代に、日本の皇室制度の文化的重要性を最も力強く主張した作家/活動家である。悪名高い侍スタイルの自殺も含め、彼が今でも論争の的になる人物であることは間違いない。しかし、三島は遂に彼にふさわしい真剣な批評的考察の対象となっている。

 

第二次世界大戦で国が破滅的な敗北を味わった後、何年にもわたって、日本のカルチャー・シーンにおける三島の存在感は圧倒的だった。非常に多作であり、ほとんどあらゆるジャンルで数百もの作品を生み出した。『仮面の告白』 (1948)や『金閣寺』(1956)などの小説は、世界的な読者を獲得した最初の日本近代文学作品に数えられる。劇作家としては、古典芸能である能の演目を現代劇に翻案したことや、歌舞伎のためにウィットに富む喜劇を書いたことで成功を収めた。また、映画監督や俳優としての仕事もこなした。

 

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三島は、その作家生活の初期においては、美のみを興味の対象とし、芸術以外の世界には傲慢なほど無関心な耽美派として自分を提示した。しかし、1960年以降、彼は日本の社会政治的な沈滞に目を向けるようになった。戦後の経済復興が著しい成功であることは既に明らかだったが、多くの日本人は文化的な混乱を覚え、それに悩んでいた。アメリカ軍部の法律家が起草した日本の戦後憲法は、軍隊を維持し、交戦するという日本国の権利を永遠に放棄した。侍の国において、戦士となることが違憲とされたのだ。これに伴い、日本の軍隊は “自衛隊” に名前を変え、米国との安全保障条約をめぐる状況は、激しい議論の的となった。

 

一方で、日本の知識人は、”西洋化” が日本の文化的統合性と伝統的様式をどれほど蝕んでいるのかについて議論を戦わせていた。日本の大学キャンパスでは、新しい大衆社会における意味の欠如に不満を唱える学生たちが、長く、時に暴力的な抗議行動を起こしていた。これらに加え、共産主義は日本でも信奉者を増やしており、最も過激な一派は、革命の主導や皇室制度の廃止を訴えていた。

 

三島は、こうした問題の真っただ中に飛び込み、断固とした反動的アジェンダを推進した。戦後憲法の平和主義を嘲笑い、挑戦するかのように武道を習い、軍事訓練に参加した。敵に囲まれた大学のキャンパスを訪れ (当時の状況を考えれば大胆な行動)、学生たちに文化的遺産の重要性を説こうとした。西洋文化の “利己的な個人主義” を批判する一方、英雄的な自己犠牲という “武士道精神” を褒めたたえ、神風特攻隊の “悲劇的な美” を賛美した。自身が監督した短編映画『憂国』(1966)では、天皇の命令に背くよりも自殺することを選択した将校を自ら演じた。多くの観察者には、三島は日本が懸命に忘れようとしている過去を賛美することで、故意に日本を愚弄しているように見えた。不真面目な耽美主義者が、どういうわけか熱心な破壊分子に変身したのだ。

 

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ときに大げさとも思える風変りな仕草で、三島は政治的立場の両翼から距離を置くことに成功した。左派は、日本の軍国主義と天皇を中心としたファシズムを露骨に栄光化するものとして彼に異議を唱えた。しかし、彼は日本文化の継続性の究極的象徴として天皇制の重要性を主張する一方で、戦時および戦後の天皇であった裕仁を大胆にも批判した。ファシスト的全体主義に日本が陥ったこと、そして「ナチスに影響を受けた軍上層部の一部の悪党が、止めることのできない戦争への道を歩み始めることを許した」(訳注: 原典不明)ことについて天皇を批判した。天皇批判はどのようなものであっても冒涜だと見なす極右集団から三島が殺害予告を受け、警察の警護の対象となったのは一度だけではない。

 

1968年、“世界革命” がその絶頂期を迎え、日本のあちこちで暴動が発生していた頃、三島は楯の会という名の民間防衛集団を結成した。彼は会員たちに準軍事組織の制服を着せ (彼自身がデザインした)、報道陣に披露した。彼の説明によれば、この集団の目的は、日本の共産主義者による革命が発生した際に、政府の治安組織を支援することだった。三島は、日本の魂のために壮大な戦いの中で死ぬことを望んでいた。革命が起きないことが明らかになったとき、彼はその計画を殉死へと変更した。

 

1970年11月25日の午後、三島と4人の会員は、東京の中心部にある自衛隊基地で事件を起こした。社交的な訪問を装って総鑑と面会した彼らは、総監を人質に取り、執務室に立てこもった。総鑑を救出しようとする自衛隊の幹部や隊員を、三島は16世紀の日本刀を使って退けた。基地にいる全員を本館前に集めるように要求した後、三島は数分間、彼らに向けて演説した。

 

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演説の中で、三島は、“自分を否定する” 憲法を受動的に受け入れていることについて自衛隊を叱責し、憲法を改正するために彼と共に立ち上がるよう訴えた。“それでも武士か?” と三島は彼らに向かって叫んだ。三島のもう1つの不満は、より曖昧なものだった。日本はその根本原理を見失った。人々は歴史と伝統を見捨ててしまった。天皇はきちんと崇拝されていない。国民全体がその魂を金と物質主義に売り渡してしまった。この先にあるものは精神的むなしさだけだ。だが、返ってきたのは怒号とやじばかりだった。建物の中に戻った三島は、腹を裂き、介添人に首をはねさせるという昔ながらの武士のやり方で自決した。もう1人のメンバー、楯の会の学生長だった男も同様の方法で死んだ。

 

当初は “クーデター未遂” と見なされた三島の行動は、世界中で大きなニュースになった。当惑した日本のリーダーたちは、日本が好戦的なウルトラナショナリズムに退行しているのではないという安心感を与えなければならないと感じた。三島は気が触れたに違いない、と彼らは言った。三島のとっぴな行動は、日本や日本人に関する真実を表すものでは決してない、と。神経を擦り減らすような集中的な分析の後、日本の知識人が到達した結論も同じだった。この後、何年にもわたって、三島の母国において彼の名前は事実上タブーとなった。

 

*     *     *

 

三島について書き始めた学者や批評家の多くは、彼の生い立ちにその説明を求めた。しかし、三島の人格形成期に起きた出来事は、彼が育った時代の基準に照らせば特段珍しいものではなかった。彼は、1925年、武士の血を引くことをささやかな誇りとする公務員の長男として東京に生まれた。病気がちだった三島を12歳まで主に育てたのは、神経質で支配的な祖母だった。敬愛する母とは、けっして衰えることのない強い共生的関係を築いた。1944年、三島は抒情的な短編をまとめた最初の本を出版した。

 

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同じ年、戦死することを確信した彼は、遺言状を書いた。彼は正式に召集令状を受け取ったが、入隊検査で失格となった。屈辱だったが、これが彼の命を救ったのはほぼ間違いない。戦後、三島は東京大学で法律の学位を取得し、大蔵省で短期間勤務した後、フルタイムの作家となった。30代前半で結婚し、2人の子を授かった。何回かの海外旅行を除けば、東京が彼の生活の場だった。

 

円熟期に入った三島が自分のために作り上げた武士のペルソナは、若い頃の彼が欠いていたものに基礎を置いていたことは簡単に見て取れる。病気がちで、繊細で、本好きで、女性の力に息を詰まらせ、虚弱なために天皇の軍隊に入ることができなかった少年は、強健で、支配的で、過剰に男性的で、天皇の軍隊に入るには強すぎる戦士へと自分を変えた。同様に、彼の凄惨な死は、彼がほとんど隠そうともしなかった病的なエロティシズムの達成だったことも明白である。『仮面の告白』は、当時としては前例を見ない残酷なほどの率直さで、ハンサムな男性の肉体を対象としたSM的流血への肉欲を描写した。三島のほとんどの作品は、退廃的な美学に支配されている。その美学によれば、美しいもの(特に美少年)は、破壊の瞬間にこそ最も強烈な美を放つのである。

 

こうした強迫観念は、まったく特異だったわけではなかった。三島と同世代の日本の少年は、死について思いを巡らせ、どのように死ぬのかを考えないわけにはいかなかった。彼らのほとんどは、20歳を過ぎて長くは生きられないことを当然だと思っていた。日本の軍国主義者は、死を美化するというイデオロギーを推進し、戦場で “玉のように砕ける” ことの美徳を称揚した。このイデオロギーを吸収したが、実際には戦争に行かず、日本の敗戦後も生き延びた三島のような少年にとって、戦時は危険や破滅との陶酔的な出会いとして記憶に残った。そして、それは、戦後の平和な時代には、けっして取り戻すことのできない体験なのだ。

 

『金閣寺』の中心にあるのはこうした陶酔である。この小説は、若い僧が戦時中に修行した有名な京都の寺に対して抱く不安定な感情を綴ったものだ。僧の目には、空襲で破壊される可能性のあった戦争の真っただ中でこそ、この寺が最も美しく見えた。あらゆるものの儚さを官能的な形で表出するこの寺は、彼の悲劇的な憧憬の象徴となった。しかし、戦争が終わったとき、寺は無傷で、僧のはらわたは煮えくり返る。これが最終的に、宗教的犠牲にも似た破壊行動へと彼を駆り立てる。

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こうした半宗教的な憧れにも突き動かされ、三島は殉教者になることを常に夢みていた。難しかったのは、崇高な動機を見つけることだ。三島は、外国で生まれたもう1つの全体主義が日本に浸透するのを防ぐ戦いに、その動機を見つけたと考えた。彼は、楯の会の声明文で彼の立場を明らかにした。

 

  1. 共産主義は、日本の伝統、文化、歴史とは相容れないものであり、天皇制に反するものである。
  2. 天皇は、私たちの歴史的/文化的コミュニティおよび民族的アイデンティティの唯一の象徴である。
  3. 共産主義がもたらす脅威を考慮すれば、暴力の使用は正当化される。(訳注: 原典不明。『反革命宣言』に同様の記述があるようだが)

 

日本のナショナリズムの中心には、常に天皇制があった。日本最古の文書には、約2700年前に国を造ったとされる初期の天皇たちの神話的な系譜が記されている。おおかたにおいて政治的権力から距離を置いてきた天皇は、日本という国の神聖な導き手として、そして日本人とさまざまな神々とを結ぶ橋渡し役として、長く崇められてきた。三島の不満の1つは、彼の言う “凡庸な相対主義” (訳注: 原典不明、英文は a hell of relativism)が日本に蔓延したことにより、天皇の神聖な側面が失われてしまった、ということだ。最後には “週刊誌的天皇制” しか残らないだろう、と三島は嘆いた。

 

三島は、日本の “アイデンティティ・クライシス” を、資本主義者的価値観の世界化と普遍化という、より広範な傾向と結びつけた。文化は、統一された生命の形を持つ場合のみ花開く、というのが三島の主張である。しかし、日本の文化は、他の文化と同様に、西洋によって蝕まれている。三島の最後の声明文は、悲観に満ちている。

 

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」

 

日本人テロリストは既に世界の注目を浴びていた。1970年代初め、赤軍派と称する好戦的な共産主義者集団が、暴力的な作戦を国際的に展開していた。彼らは、ハイジャック、誘拐、民間人の無差別爆弾攻撃や銃乱射など、現代のテロリズムを象徴付けるような手段を既に用いていた。三島は憤りながら赤軍派を非難し、彼自身の行動をもって、正反対の精神、すなわち、日本や現代の世界から消え去ろうとしていると彼が主張する高貴な精神を示そうとした。赤軍派の残忍なテロリズムに比べると、自衛隊基地における三島の破天荒ともいえる行動は、注意深く自己抑制されていた。楯の会は銃器を使用しなかった。自衛隊幹部が後に証言したところによれば、三島は彼らに対して年代物の日本刀を使うときでさえ、深い傷を負わせないような方法をとったという。

 

三島が晩年に取り組んでいた文学に関する仕事は、『豊饒の海』と題された4部作だ。救済と転生にまつわる美しくも究極的に謎めいた大作である。三島は、彼が死ぬ日に最終巻の原稿が出版社に届くように手配した。彼は、その死が歴史的な重要性を持つ出来事になることを望んだ。そして、その目的は達せられたと言っていいだろう。天皇裕仁は三島の死後、20年以上生き、1989年に世を去った。しかし、一部の日本人評論家は、裕仁の治世の精神は三島と共に消え去ったという感覚が既に存在すると認めてもよいと感じた。三島の芝居がかったマゾヒズムが、戦時の天皇の象徴的な処刑として機能したのであり、日本人が罪の意識を洗い流して過去から立ち直るのを助けたと示唆する者さえいた。

 

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新しい世紀に入って三島の評価は上昇し、彼の作品に対する本格的な関心もこれまで以上に高まってきた。英語圏では最近、彼の作品の翻訳が何冊か出版された。日本では、伝統に対する無頓着、文学的水準の衰退、芸術や文化に対する企業の欲望と行政の無関心など、さまざまな問題に対する三島の警告が、日本の美がどれほど失われたのかに気付いた今日の読者の琴線に強く触れた。

 

しかし、三島の非常に暗い予測にもかかわらず、日本はアイデンティティ・クライシスから立ち直った。決定的なことは、1960年代に吹き上がった急進的な思想は、日本社会全体に浸透するには至らなかったということだ。それ以降、文化的に独自であり民族的に同質であるという日本の主張を反証し、その建国にまつわる現代の神話を脱構築し、過去について日本人に罪悪感をより強く抱かせようとする反ナショナリストの何十年にもわたる取り組みは、たいした結果を残せていない。日本、そして日本人は、強固に自民族中心主義であり、他の東アジアの国と同様に、愛国的な誇りは広く共有される理屈抜きの感情である。

 

日本の天皇制はまったく損なわれておらず、天皇徳仁はその臣民から広く愛されている。日本の政治的リーダーシップは保守派が圧倒している。彼らは、武力で防衛するという国家の権利をはっきりと認めるために、日本国憲法の改正を目指すとしている。共通の文化的遺産に対する意識を高めることで、人々の間に忠誠心の絆を強め、それを広く行きわたらせようと努めている。彼らは、天皇家に対して畏敬の念を持ち、国歌や国旗を尊重することを奨励している。人気の高い彼らのスローガン、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」(訳注: 日本会議のスローガンの1つ)は、愛国心の発露である。三島が現在の日本の状況を見たとしたら、その将来の存続について、それほど悲観的にはならないのではないか。

(翻訳ここまで)

 

アンドリュー・ランキン氏は昨年9月に『Mishima, Aesthetic Terrorist: An Intellectual Portrait』というタイトルの本を出版しています。

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『Seppuku: A History of Samurai Suicide』という切腹の歴史についての研究本も書いています。

 

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また、中上健次の短編集『蛇淫』の英訳もされているようです。

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ジョーダン・ピーターソンが処方薬の依存で入院していた件について

ジョーダン・ピーターソンが薬の依存でリハビリ施設に入ったというニュースが昨秋流れていたが、娘さんのミカエラさんが最新情報を動画にしてアップロードしてくれたので、要約して訳します。

 

www.youtube.com

 

(翻訳ここから)

ピーターソンは、食品に対する深刻な自己免疫反応を体験し、それに伴う不安感に対処するため、数年前から低用量のベンゾジアゼピンを処方され、指示に従って服用していた。去年の4月、彼の奥さんが末期の癌と診断され、薬の処方量を増やした。その後、彼の身体に薬に対する身体的依存と奇異反応が起きていることが明らかになった。奇異反応とは、本来予想される薬の働きと逆の作用が出ること。この反応は珍しいが、前例のないことではない。

 

この8か月間、彼はこの薬により耐え難い不快感に苛まれ、薬の服用をやめようとすることで不快感はさらに増した。この原因は、身体的依存に由来する離脱症状である。彼は極端な静座不能に悩まされた。静座不能とは、パニック症状に近い焦燥感が際限なく続き、じっと座っていられない症状である。これにより、このため、彼は自殺を考えることさえあった。

 

テーパリング(服用量の漸減)やマイクロテーパリングなど、北米の病院での治療に何度か失敗した後、緊急医療ベンゾジアゼピン解毒療法を求めなくてはならなくなった。この治療はロシアでのみ行われている。これは、非常に過酷なもので、以前の病院で罹患したと思われる深刻な肺炎もあって、事態は悪化した。彼はひどい体調のままICUで4週間過ごす必要があったが、非常に有能で勇敢な医師達の助けもあり、生き延びた。

 

ロシアで治療するという意思決定は、ほかに良い選択肢がないという絶望的な状況の中で行われた。回復するかどうかはっきりとわからなかったことは、とても困難で恐ろしい体験だった。現在、快方に向かっているが、様々な生理学的損傷を元に戻す必要がある。体調は徐々に回復しており、薬を飲む必要はなくなった。ユーモアのセンスも戻り、この数か月間で初めて笑うことができた。だが、全快に至るには、まだ長い道のりがある。危ういところで命をとりとめることができたようだ。

 

いくつかのことを明確にしておきたい。家族も医師も、これが精神的依存だったとは考えていない。ベンゾジアゼピンの身体的依存は、脳の変化により、数週間で発生する可能性がある。診断の難しい奇異反応により、それはさらに悪化し、危険性が非常に高まる可能性もある。彼が完全に回復することを私たちは望み、医師にも回復するだろうと言われたが、これには時間がかかる。非常に幸運なことに、彼はまだ生きており、そのことには大いに感謝している。

 

次は、彼自身から状況について説明できると思います。ご支援ありがとうございます。(翻訳ここまで)

 

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イギリスの政治学者、マシュー・グッドウィンの「2020年の政治はどうなるか?」という記事を訳してみた

イギリスの政治学者、マシュー・グッドウィンの記事「2020年の政治はどうなるか?」を訳してみた。イギリスのUnherdというオンライン・マガジンに掲載された記事です。

 

昨年、国民的(ナショナル)ポピュリズムはますますその地盤を強固なものにしましたが、それを受けて、グッドウィンが2020年の政治を展望します。

 

unherd.com

 

(翻訳ここから)

2020年の政治はどうなるか?

ドナルド・トランプが勝ち、国民的ポピュリズムは勢いを増し、環境運動は成長する

2020年1月10日

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マシュー・グッドウィン (Matthew Goodwin)

 

政治マニアにとって、2019年は当たり年だった。ヨーロッパでは15件もの国会選挙が行われた。大統領/首相選挙も7件あったし、ドイツやオランダなどでは重要な州レベルの選挙が争われた。欧州議会選挙も開かれ、もちろん、英国ではブレグジットという名の叙事詩が継続中だ。

 

こうした選挙を通じて、私たちは現在の政治状況について多くを学んだ。国民的ポピュリズム(注1)は政治勢力として地盤を固めた。環境保護運動は徐々に力を増しつつある。社会民主主義の窮状は改善の兆しを見せず、欧州の政治制度は引き続き断片化する。さらに、ブレグジットが実現することは今では決定事項となった。

 

(注1: National Populismとは、マシュー・グッドウィンの著書『National Populism: The Revolt Against Liberal Democracy』(P. Eatwellとの共著)では、「国民の文化と利益を優先すると共に、冷ややかで腐敗していることも多いエリートに無視され、軽蔑すらされていると感じる人々に声を与える」ムーブメントと定義されている。右派ポピュリズムに近い意味の言葉であると思われる)

 

こうした状況を背景に、いくつか他のことも学習することができた。世界中の何百万人もの有権者にとって、文化的不安は経済的不安と同様に引き続き意味を持つ。英国の保守党やオーストリアの国民党などの中道右派政党は、左翼政党に比べ、新しい時代の政治により効果的に適応し始めた。左派は、断片化している支持者に示す回答を持っていないように見える。

 

これらを念頭に置いたうえで、2020年がどのような年になるのか、いくつか予想を立てていきたい。

 

英国から始めよう。ボリス・ジョンソンと保守党は、長い蜜月を楽しむだろう。保守党が1987年以来の大差で多数派となったことを受け、ジョンソン首相は間違いなくEU離脱法を成立させる。これにより、ブレグジットが正式なものになるのはもちろんだが、それだけではない。ジョンソンは2016年の国民投票の結果を実現し、2019年の「ブレグジットを終わらせる(Get Brexit Done)」という彼自身の約束を果たしたという手柄を手に入れることになるのだ。さらに、彼のすべての前任者を悩ませた欧州の問題について、真に勝利した唯一の保守党リーダーとなることができる。

 

今年、2010年から2015年までデビッド・キャメロンを首相として支えた層とはまったく異なる有権者を、ジョンソンと保守党がどのようにまとめようとしているのか、その計画が明らかになるだろう。

 

ジョンソンの支持者は、年配で、ワーキング・クラスで、教育レベルが高くなく、大部分が白人で、社会的に保守的だ。このため、移民制度の改革、犯罪、インフラ支出、(ロンドン以外の)地方へのその他の投資などについて、大規模かつ大胆な提案があると、私は予測する。首都以外の場所で、さまざまな動きや発言があるだろう。

 

また、この世代の保守党は、圧倒的多数派であることを梃(てこ)にして、英国の教育セクターやメディアの大部分に浸透した “ソフトレフト” のバイアスに対抗するため、これまで以上に巻き返しに力を入れたいと考えているだろう。文化に関する長期的な戦争に負けているのなら、ブレグジットの戦いに勝ったところで何の意味もないのだ。

 

一方、残留派が再加入派へと姿を変えることは避けられない。しかし、この運動は維持するのが難しいだけでなく、失速してしまうのも時間の問題と言える。若いZ世代(注3)の関心は気候変動に向いているため、ベビーブーム世代が残留を望む気持ちを有効な政治的プロジェクトに変えるのには苦労するだろう。筋金入りの残留派はポッドキャストやツイッターで運動を続けるだろうが、これは主流派とはなりえない。自分が “ヨーロッパ人” であると態度を表明するイギリス人は増えるだろうが、これは意味のある政治的変化につながることはない。

 

(注3: Generation Z は、定義によっても異なるが、だいたい1990年代後半から00年代生まれの人)

 

議席数が1935年以降で最低となった労働党だが、今年は再編成に苦労するだろう。コービン主義は、欧州の社会民主主義が直面するより広範な危機に対する回答にも、米国において民主党の次の一手は何なのかという質問に対する回答にもならないことがわかった。また、経済的ポピュリズム(注4)は、多くの人が考えているほど人気が高いわけではない。経済では左に傾くが、文化とアイデンティティでは右に寄る中道右派のリーダーとマッチアップしたとき、経済的ポピュリズムは毎回のように敗れるだろう。これもまた、11月に大統領選挙を迎える米国に対する1つのメッセージを含んでいる。

 

(注4: Economic Populism : ここでは、経済的エリートに対する「大衆」という概念を強調する政治スタンスを指していると思われる。「ウォール街を占拠せよ」ムーブメントなどが典型。左派ポピュリズムとほぼ同義か?)

 

労働党について言えば、慌ただしく突入した党首選、敗北に対する内省の欠如、党首候補たちの印象に残らないオープニング・スピーチ、支持者内の根深い構造的問題など、これらすべてが指し示すのは、迅速な復調ではない。労働党は、荒野を長くのろのろと彷徨うことになりそうだ。この難しい年において、2020年春の地方選挙も例外とはならないだろう。

 

2020年を見渡すと、ポピュリズムに関していえば、すべての目は米国に集まる。そして、最終的には、おそらくドナルド・トランプが再選されるだろうと私は考える。

 

トランプに不利な要素がいくつもあることは間違いない。選挙人を獲得するための道は険しく、過去と比較してみると、支持率も低調だ。選挙の年に限れば、彼の支持率は1976年のジェラルド・フォード以来最も低い(フォードはジミー・カーターに敗れた)。

 

しかし、トランプにとってポジティブな要素もたくさんある。福音派、熱心な共和党支持者、労働者階級といった有力な支持基盤において、トランプの支持率は非常に高い。そして、少なくとも私の見るところでは、民主党はそもそもトランプがなぜ当選したかを把握しているようにも、彼の支持層を切り崩すために何を言えばいいかを理解しているようにも見えない。マイノリティ集団と熱心な左派活動家を動員するだけでは十分でないのだ。

 

そして、ナラティブだ。トランプには、有権者に語るべきストーリーがたくさんある。あなたは彼の話の内容が好きになれないかもしれない。しかし、アメリカの経済、中国への強硬姿勢、国境を守る取り組み、テロやギャングの暴力の取り締まりなど、彼には語るべきストーリーがたくさんある。それとは対照的に、民主党のナラティブな何なのか? 私にはよくわからない。それに加え、皆さんもご存じのように、2015年にもトランプに強い逆風が吹いていたが、それでも彼は勝ったのだ。

 

欧州の国民的ポピュリスト政党にとって、欧州議会で過去最高の議席数を獲得した昨年は最高の年となったが、この道場荒しのような政治集団の快進撃はまだまだ続くだろう。2019年の英国では、ナイジェル・ファラージはブレグジット党を介して主要政党にプレッシャーをかけ続けた。ブレグジット党が訴えていたオーストラリアのような移民ポイント・システム(注5)の導入と地域間格差解消のための取り組みは、ボリス・ジョンソンの保守党に採用されることになるだろう。

 

(注5: 移民に関するポイント・システムとは、教育レベル、資産、言語能力、能力に合った仕事の有無などをポイント化し、一定の基準を満たした者に移民を許可するシステム。オーストラリアやカナダで採用。イギリスでも採用されているとされるが、あまりうまく運用されていない様子)

 

他の国に目を移すと、新しい政党が頭角を現した。オランダの州選挙では民主主義フォーラム(注6)が躍進し、さらに重要なことに、スペインではVox (注7)が国政レベルで結果を出した。イタリアでは、マッテオ・サルヴィーニと同盟(注8)は、政権の座を降りたものの、欧州議会では同党始まって以来の議席数を獲得し、世論調査でも他党に対して健全なリードを保っている。ベルギーではフラームス・ベランフ(注9)がこれまでで最高の得票率を記録し、ドイツのための選択肢(注10)はザクセン、ブランデンブルク、チューリンゲンの州選挙で躍進した。ポーランドでは、法と正義(注11)が同党始まって以来最高の得票率を獲得した。

 

(注6: 民主主義フォーラムはオランダの政党。「保守」、「右派ポピュリスト」、「欧州懐疑派」などと形容される。2016年発足。2017年、国会第二院に2人当選。2019年の州選挙では最も多数の議員を当選させた政党となった)

(注7: Vox はスペインの政党。「右翼」、「右派ポピュリスト」、「極右」などと形容される。2013年創立。2019年の総選挙で10.26%の得票率を記録し、24人が当選。初めて国政に進出した)

(注8: 同盟はイタリアの政党。かつては北部同盟と呼ばれていたが、2018年に改称。2018年の総選挙後に5つ星運動との連立政権に参加したが、2019年9月に離脱。5月の欧州議会選挙では、議席を24増やして28とした)

(注9: フラームス・ベランフはベルギーの政党。党名を直訳すると「フラームス」の利益。オランダ語系のフラマン語を話すフランデレン知識を基盤とする。「右派ポピュリスト」、「フランドル・ナショナリスト」と形容される。2019年の国政選挙では、議席が15増えて18に)

(注10: ドイツのための選択肢はドイツの政党。「右翼」、「極右」などと形容される。2014年設立。2017年の国政選挙でいきなり第3党となる。2019年の地方選挙でも躍進)

(注11: 法と正義はポーランドの政党。2001年創立。国民保守主義、キリスト教民主主義、右派ポピュリスト。2019年の総選挙で43.6%の得票率を記録した)

 

国民的ポピュリズムは、勢いを弱めるどころか、その地盤をさらに固めた。20年代の始まりにあたって、特に欧州の政治システムが断片化していく中で、永続的な勢力となりそうである。

 

2020年に注目すべき最後の点は、政治的同盟の変化である。ボリス・ジョンソンは、これまでとは異なる看板を掲げた保守主義を導入または再生しようとしているという点で興味深い。この保守主義において、彼の党は、取り残されたワーキング・クラスの人々とある種の同盟を結んだのだ。しかし、これ以外にも目を離せない新しい同盟が存在する。

 

オーストリアの最近の選挙では、緑の党が過去最高の結果を出したが、その後、中道右派の国民党と連立政権を組んだ。そして、興味深いことに、新しい環境税を導入する一方で、移民と統合に関してかなり強硬な立場を取ることにも同意した。すなわち、不法移民を取り締まるための手段や、14歳未満のヘッドスカーフの禁止、罪を犯していないが治安へのリスクと見なされた個人の予防拘留の導入を含む “政治的イスラム” を制限するための手段に賛成したのである。

 

こうした事実すべてが指し示すのは、環境保護運動の勢いが過去に比べて少しばかり上向きになっているとはいえ、フワッとしたナイスな社会リベラリズムのブランドが戻ってくるとは限らないということだ。実際にはその逆で、文化とアイデンティティという非常に重要な問題については、国民的ポピュリズムだけでなく、一般大衆のムードに応える形で、欧州の大部分はさらに右へと向かうだろう。2020年にこの傾向が転機を迎える理由はほとんど見当たらない。

(翻訳おわり)

 

マシュー・グッドウィンの本は日本ではまだ出ていないようですので、英語の本ですがご紹介。『National Populism: The Revolt Against Liberal Democracy』(Roger Eatwell との共著)。2018年に出版。

 

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コラム「なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか」を訳してみた

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2018年8月に米アトランティック誌に掲載された「なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか」を訳してみた。書いたのはケイトリン・フラナガンという女性コラムニスト。

 

民主党の牙城ともいえるLAのリベラルな中産階級家庭で育った白人の男子学生たちに、ピーターソンがどのように受容されていったのか。そのあたりが面白かったので、ちょっと古い記事ですが、訳してみました。

www.theatlantic.com

(翻訳ここから)

なぜ左派はそれほどまでにジョーダン・ピーターソンを恐れるのか

このカナダ人の心理学教授が大きな注目を集めるのは、左派が衰退しており、非常に脆弱であることの証拠である。

2018年8月9日

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ケイトリン・フラナガン(Caitlin Flanagan)

 

2年前のこと。私が1階に下りると、ティーンエイジャーの息子の1人が、風変りなYouTube動画をテレビで見ていた。

 

「それは何?」と私はたずねた。

 

彼は真剣な顔をして振り返り、「トロント大学の心理学の教授が、カナダの法律について話しているんだ」と説明した。

 

「そうなの?」と私が言ったときには、彼は既に視線を画面に戻していた。彼はインターネットの一番奥にたどりついたのだろう、と私は思った。その先にはもう何もない場所だ。

 

その夜、息子は動画について私に説明しようとした。しかし、私の耳には雑音にしか聞こえなかった。私はもっと面白いことを話したいと思っていた。だが、そんなことはどうでもいい。彼の友人の多くが同じように動画を見て、仲間同士で会話していたのだ。彼らは皆、青く染まった (注1) ロサンゼルスのリベラルな家庭で育った進歩的な民主党支持者であり、そうした若者たちに期待されるあらゆる社会的な振舞いを身に着けていた。

 

(注1: 青は民主党のシンボルカラー)

 

少年たちは高校を卒業し、大学に進んだ。そして、アメリカの大学キャンパスを牛耳っている、ある種の規制された話法 (注2) の洗礼を受けた。彼らは波風を立てなかった。文化の盗用やヘイト・スピーチに怒り狂っている学生たちと事を構えたりもしなかった。それどころか、そうした学生たちの多くと強い友情の絆を築いた。勉学に励み、小論文を書いた。そして、寮の自室で、アウェイの試合に行くバスの中で、ジムで体を鍛えながら、このジョーダン・ピーターソンという男のポッドキャストや講義に耳を澄ませ始めた。

 

(注2: ポリティカル・コレクトネスを強く意識した話し方)

 

若者たちはヒラリーに投票した。トランプが当選したと聞いて、驚いて家に電話をかけてきた。議会で民主党を多数派にするにはどうすればいいか議論した。そして、彼らはピーターソンを聞き、サム・ハリス、デイヴ・ルービン、ジョー・ローガンを聞いた(注3, 4, 5)。こうした講義や議論はときに長たらしく、トピックが難解であることも多かったが、おそらくこれは彼らが人生で初めて聞いたアイデンティティ・ポリティクス (注6) への地に足のついた反論だった。

 

(注3: サム・ハリスは作家/哲学者/脳科学者。無神論者であり、宗教批判、特にイスラム教の批判で知られる)

(注4: デイヴ・ルービンは、コメディアン/トークショー・ホスト。自身がホストを務める「ザ・ルービン・レポート」では、ピーターソンを始め、進歩主義左派を批判する言論人を招いて会話することが多い。自身の政治的信条は、クラシカル・リベラルであるとしている)

(注5: ジョー・ローガンは、コメディアン/総合格闘技コメンテーター/トークショー・ホスト。ポッドキャスト番組「ザ・ジョー・ローガン・エクスペリエンス」では、ダイレクトな語り口でゲストから話を引き出す)

 

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 (注6:アイデンティティ・ポリティクスは、性別、人種、性的指向など、特に社会的に抑圧されているとされる特定のアイデンティティに基づいて集団の利益を代弁して行う政治活動。保守派からは、マルクス主義の階級闘争をアイデンティティ闘争に置き換えたに過ぎないと批判されることが多い)

 

これは些細なことに見えるかもしれないが、実はそうではない。アイデンティティ・ポリティクスの枷 (かせ) を外すことで、宗教、歴史、神話など、あらゆる種類のことをこれまでと違った方法で議論することが可能になった。イデオロギーの介在なしに、アイデアを直接体験することができるのだ。自分では気付いていなかったかもしれないが、彼らは、公式の教育を施している人々の鼻先で、課外授業に熱心に耳を澄ませる膨大な数のアメリカの大学生に合流していたのだ。

 

これらはすべて静かに起こった。監視され、怒号を浴びせられ、関係当局に通報されるキャンパスのフリー・スピーチ・ゾーン (注7) でではなく、衛星からイヤーバッドに注ぎ込まれる形で起きた。そのため、左派はこれが彼らにとって大きな問題であることに気付くのが遅れた。ちょうど、合唱団をやめたことに親が気付く頃には子供たちがすっかり急進化していた1960年代のように。そして、これはけっして大学生だけの話ではなかった。

 

(注7: 大学のキャンパス内で、政治的抗議運動などをしてもよいと定められたエリア)

 

この国のいたるところで、あらゆる種類の人がこうしたポッドキャストを聞いていた。驚くほど多彩なゲストを迎え、多岐にわたるトピックについて語り合うジョー・ローガンの型破りな番組は、しばしばピーターソンのアイデアの震源地となった。本人が登場して語ることもあれば、彼と緩くつながる思想家が話をすることもあった。ローガンのポッドキャストは、毎月数百万回もダウンロードされている。何が起きていたにせよ、それは、伝統的な文化の番人が把握する能力を超えた規模とスピードで起きた。何が起きているのか左派が遂に気付いたとき、彼らにできたことは、太平洋からスプーンで水を汲み出すことだけだった。

 

警報が鳴ったのは、発売当初から堂々たるベストセラーとなった「生き抜くための12のルール (12 Rules for Life)」をピーターソンが世に出したときだ。なぜなら、左派は本を文化の推進力と認識しているからだ。本の出版を契機として、敵意のある人物紹介記事や論説がたくさん書かれた。しかし、この本をイデオロギー的に攻撃することは難しかった。なぜなら、これは政治性の少ない自己啓発本であり、文学的であると同時に有益で、そしてなにより、商業的に成功しているのだ。こうしたすべてが批評家たちを苛立たせた。「あんなのは単なる常識に過ぎない」。彼らは眉を吊り上げながら口々にそう言った。このこと自体が何かを物語っている。常識に過ぎないものに、なぜそんなに腹を立てるのか?

批評家たちは、この本がベストセラーであることを知っていた。しかし、その影響力を把握できなかった。なぜなら、彼らはこの本を読んでいないからだ。カナダで最初に出版されたとき、ニューヨーク・タイムズのリストに掲載されなかったからだ。しかし、Amazonではしばしばノンフィクションの分野で最も売れている本となっていた。そして、おそらくもっと重要なことは、オーディオブックが大量に売れていたということだ。ピーターソンのポッドキャストや動画と同様に、オーディオブックを聞く人は日々の生活に忙しい。洗濯物を畳み、商品を運ぶ長距離トラックを運転し、オフィスから帰宅するときに渋滞に巻き込まれ、ジムでフィットネスの維持に励んでいる。この本は、彼らの多くがそれまで表現できなかった、心の奥底に潜む感情に言葉を与えたのだ。

 

自己啓発をテーマとしたベストセラーの著者が、定評のある朝の番組に出演していないというのは考えにくいことである。「トゥデイ」、「グッド・モーニング・アメリカ」、「CBS・ディス・モーニング」といった番組は、その放送時間のほとんどすべてを自己啓発の話題に費やしている。しかし、番組プロデューサーは彼を番組に呼ばなかった。ピーターソンはスタジオに行かなかった。ライフスタイル業界の有名人に交じって、日常生活のシンプルな工夫がもたらす心理学的なメリットについて、知見を披露したりはしなかったのだ。快進撃はここで終わるはずだった。しかし、その頃には、ピーターソンは本のプロモーションであちこちを飛び回っていた。従来のプロモーション・ツアーと唯一異なる点は、毎回のように2,500人をゆうに超える聴衆が彼の話を聞きに詰めかけていたということだ。それに加え、彼のポッドキャストや動画は、何百万人もの視聴者を抱えている(ピーターソンのYouTubeチャンネルの動画は、合わせて数千万回再生されている)。どうやらこの本には「トゥデイ」の後押しは必要なかったようなのだ。

 

左派には、彼を失脚させなければならない明白で差し迫った必要性があった。彼や、いわゆる “インテレクチュアル・ダーク・ウェブ(IDW)” (注8) のメンバーが提供しているのは、アイデンティティ・ポリティクスに対するクリプトナイト (注9) なのだ。信用を台無しにするような思想を彼に関連付けようとする熱心な動きがあった。たとえば、彼は「強制的一夫一妻制」なるものを支持しているというのだ。これは、一部の文化に存在する、結婚を促す社会的圧力を指す人類学上の概念である。彼がこの言葉を用いたのは、幅広いトピックについて話したニューヨーク・タイムズ紙記者とのインタビューにおいてである。その結果、彼は政府が結婚に介入すべきだと信じているという嘘が、何度も何度も繰り返された。また、トランスジェンダーに対して、彼らのジェンダー・アイデンティティに沿った代名詞を使うのをピーターソンが拒否したというのも間違いである。彼が拒否したのは、特定の話し方をしなければならないと要求する法律に従うことである (注10)

 

(注8: IDW は、ピーターソン、ハリス、ローガン、ルービン、ベン・シャピーロなど、大学やメディアを支配するアイデンティティ・ポリティクスやポリティカル・コレクトネスに反対する特定の言論人の集団を指す言葉)

(注9 : スーパーマンの弱点として知られる架空の物質)

(注10: ピーターソンが大きな議論を巻き起こしたのは、2016年、彼の住むカナダのオンタリオ州で、「トランスジェンダーの人が望むジェンダー代名詞(he, she など既存のものだけでなく、新しく作ったものも含む)を使わなければ人権侵害になる」という法律の制定に、言論の自由の観点から反対するビデオを公開したとき。注意していただきたいのは、ピーターソンはトランスジェンダーの権利についてどうこう言いたかったわけではなく、人が何を言うかを強制する条項を法律に組み込むことに反対していたのだということ。冒頭で筆者の息子氏が見ているのも、おそらくこれに関するビデオ)

 

個々の読者がジョーダン・ピーターソンを嫌う理由はたくさんある。彼がユングの支持者であることが気に入らない人もいるだろう。彼自身が認めているように、彼は非常に真面目な人間だから、もっと楽しい話をすればいいのに、と思う人もいるかもしれない。あなたにとって、彼は退屈かもしれない。アイデンティティ・ポリティクスにもアイデンティティ・ポリティクスへの反論にも興味がない人もいるだろう。さまざまな論点について、彼に異議を唱える正当な理由はたくさんあるし、多くの人が実際にそうしている。しかし、ジョーダン・ピーターソンに対する左派の執拗で非合理な憎悪については、説得力のある理由はない。では、いったい何がそうさせるのか?

 

それは、現在、文化や芸術の分野では左派がますます優勢になっているように見えるかもしれないが、実際には衰退期に入っており、非常に脆弱だからだ。左派が恐れているのはピーターソンではなく、彼が推し進めるアイデアだ。それは、どのような種類のアイデンティティ・ポリティクスともまったく相いれない。ネイション誌で詩を担当する編集者たちが、素人臭いが超絶的に意識の高い詩を雑誌に掲載した。しかし、彼らを待っていたのは、ポリティカル・コレクトネスの落とし穴だった。編集者たち(そのうちの1人はハーバード大の英語学科の正教授だった)は、喜劇的なほどの過剰な感傷と職を失う不安な気持ちを滲ませた書簡を共同で書き、批判者たちの許しを請うた。当の詩人も、謝罪とも、ヘイル・メアリー・パス (注11) とも、遺書ともとれる声明を発表した。そして、これらすべてが、より大きな正義に向かう道のりで起きた残念だが小さな出来事として聖なる館に受け入れられたとき、何かが死んでいった。(注12)

 

(注11: アメフトで試合終了間際に投げるいちかばちかのロングパス)

(注12: ネイション誌は米国で150年以上の歴史を誇る左派系の雑誌。アンダース・カールソン=ウィーという白人男性詩人が発表した詩が、黒人英語を使っているということで文化の盗用だと非難され、また一部の言葉遣いが身障者差別だと非難された)

 

ニューヨーク・タイムズ紙の発行人は、大統領との会談について冷静な声明を発表した。その中で、彼はトランプの “非常に問題のある反マスコミのレトリック” の問題についてトランプに指南したと書いた。その3日後、同紙は、あるライターを雇用したと発表した (注13)。そのライターは、白人、共和党支持者、警察官、大統領への憎悪と、特定の女性ライターやジャーナリストが “存在” を止めるべき必要性についてツイートした過去があった。そして、この新規採用者が現場記者ではなく、編集委員会の一員として同紙が世界に向けて発する意見の形成に一役買う立場であれば、腐敗したシステムに代わるアイデアのパラレル文化が出現するのは不思議ではない。バラク・オバマは、南アフリカで行った講演において、白人の男性というだけで “意見を言う資格” がないというのなら、その文化は袋小路に入り込んでいると言った。アイデンティティ・ポリティクスの桂冠詩人である彼が、その信奉者に手の内が見えているぞと仄めかすようなメッセージを出すことに決め、そして、そのSOSさえ無視されるとき、終末時計の針はまた進む。

 

(注13: サラ・ジャング(Sarah Jeong)という若いジャーナリスト。2013 – 2014 年頃に、白人に対する人種差別的なツイートをしていた苗字は日本語では "ジョング" または "チョン" と表記される場合あり)

 

死を目前にした喘鳴が聞こえる中、登場したのがピーターソンを筆頭とする思想家の一群だ。彼らは、世界を理解するための代替手段を提供した。そうしたものに飢えていた非常に多くの人々に対してだ。彼の支持者は数多く、多様性にも富む。だが、かなりの数のファンは白人の男性である。このため、彼らは赤いピルを飲んだ軍団 (注14) なのだと左派は自動的に思い込んでしまう。しかし、真実は逆だ。オルタナ右翼 (注15) は左派と同じくらいの熱心さでアイデンティティ・ポリティクスを崇める。それは、オルタナ右翼の Web サイトである「カウンターカレント」に、「ジョーダン・ピーターソンのアイデンティティ・ポリティクスの拒絶は、白人文化の破壊を許す」という小論文が最近掲載されたことでもわかる。

 

(注14: Red pilled army – 赤いピルを選べば不愉快な知識と残酷な真実を知ることになるが、青いピルを選べば無知なまま安楽に暮らせる。どちらを選ぶか、という映画『マトリックス』のシーンから。赤いピルを飲む、という言い方は、リベラル左派だった人がリベラル左派批判に転じることを指す場合が多い。筆者は、ここではRed pilled armyを明らかに悪い意味で用いているが、一般的には特に悪い意味を持つわけではない)

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(注15: オルタナ右翼またはオルト・ライトは、現在ではほぼ白人優越主義と同義。ピーターソンやIWDのメンバーは、彼らのことを激しく非難しているか、少なくとも距離を置いている)

 

ネイション誌の詩に関する騒動、ニューヨーク・タイムズ紙の採用、そしてオバマの救難信号を生んだような種類の哲学への反発が、ドナルド・トランプの当選にまったく関係なかったと考える人がいれば、その人は夢を見ている。また、こうした狂乱を拒絶するのは共和党支持者だけだと考えるのも、同様に妄想に憑りつかれている。今のホワイトハウスを嫌うのと同じくらい、文化の大部分を牛耳るアイデンティティ・ポリティクスが、ますますいびつな形でいたるところに顔を出すのを嫌う人は、アメリカ中にたくさんいる。こうした人々は、イデオロギーを求めているのではない。アイデアを求めているのだ。そして、多くの人は、善いものと悪いものを見分ける力を蓄えてきている。彼らを罵るなら、民主党はその危険性を覚悟すべきだ。彼らを当然の味方として期待するなら、共和党は幻想の中にいる。

 

ピーターソンの新しい本の中で最も危険な “常識” は、おそらく最初に置かれたものだろう。パワフルな既存の秩序と闘うことに関心があるすべての人に、彼は欠くことのできない一片の知恵を授けた。「胸を張り、」とルールNo. 1は始まる。「まっすぐ立ちなさい」。

(翻訳ここまで)

 

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伊藤/山口事件に関するデイビッド・マクニールの生焼けの記事 (アイリッシュ・タイムズ紙)

デイビッド・マクニールが伊藤/山口事件についてアイリッシュ・タイムズに書いた記事が 2019 12 22 日に公開されました。この記事のコメント欄に私は文章を投稿したのだが、それを日本語に訳してみました。

www.irishtimes.com

(ここから)

この記事は、伊藤詩織の真実の追求を一度は妨げた集団にいたジャーナリストによって書かれている。だが、彼はこの記事において、自分は女性の権利の擁護者だとばかりにアピールしている。

 

2017529日に、伊藤は司法記者クラブで記者会見を開いた。翌日、彼女は外国特派員協会 (FCCJ) で別の記者会見を開くことを希望していたが、FCCJの報道企画委員会 (PAC) は彼女の申し込みを承認しなかった。当時PACのメンバーであり、この記事を書いたデイビッド・マクニールは、週刊現代に対して、その理由を「特派員にとっては、安倍政権に影響が出る話かどうかが重要」だからだと説明している。

 

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へー、そうなんだ。大きな注目を浴びていたこのレイプ疑惑事件は、政治的な意味がなければニュースに値しないというのか? 捜査対象だった山口は、日本の主要放送局の1つであるTBSの社員であり、事件が伊藤の就職あっせんに関連して発生しているというのに。

 

この記事にもあるように、山口の逮捕状は不透明な状況の中で取り消された。左派 (野党と主要メディア) は、山口の安倍首相との親密な関係を逮捕状の取り消しに関連付けようとした。

 

だが、このナラティブにそぐわない不都合な真実が存在する。当時の最大野党だった民進党は、所属議員が国会でこの件について質問することを妨げていたのだ。質問することで、真実が明らかになる可能性が高まるだけでなく、党の政治的な利益になるにもかかわらずである。

 

ジャーナリストの上杉隆は、伊藤を個人的にサポートしてきたが、このナラティブには従わない。彼の「オプエド」というポッドキャスト番組の中で、質問を妨げた議員として、枝野幸男 (元経済産業大臣) と安住淳 (元財務大臣) の名前が挙げられている。彼らは共に民進党(当時)の議員だ。上杉は、枝野 (現在は、民進党所属だった一部の議員を中心に設立された立憲民主党の党首) と福山哲郎 (立憲民主党のナンバー2) にこの件について説明するよう何度も尋ねたが、 無視されていると述べている。

 

www.youtube.com

 

参議院議員で民進党に所属していた小西洋之も、20171025日にFCCJで行われた記者会見において、この問題について国会で質問しないでくれという働きかけが一部の野党議員からあったと認めている。  

 

www.youtube.com

 

実際に安倍政権の影響力によって逮捕状が取り消されたのだとしたら、なぜ野党第一党が与党攻撃の絶好のチャンスを自ら潰してしまったのか? レイプ事件として警察が捜査していることを知りながら、なぜTBSはこの件について調査、対応、報道しなかったのか? そして、なぜ今でもそれについて知らん顔をしていることを許されているのか? 山口の雇用主であることからこの件の責任を完全には否定できず、法執行当局に影響を与える力を持つ可能性もあるTBSについては、野党、主要メディア、そしてこの記事も含め、左派はなぜダンマリを決め込むのか? 伊藤はなぜTBSの責任を問うことをしないのか? また、たくさんの性的な誇張と書き足しによってアラビアン・ナイトを創造的に翻訳したリチャード・バートン卿のように、日本をテーマとしたエロ小説が一般的に大好きな海外特派員のためのクラブ、FCCJ が、なぜ伊藤の記者会見を認めなかったのか?

 

この記事は明らかにストーリーのすべてを語っていない。(おわり)

 

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英語版はこちら↓

tarafuku10working.hatenablog.com

 

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英国の政治学者マシュー・グッドウィンのインタビュー - UK 総選挙の結果を受けて @Triggernometry

英国の政治学者マシュー・グッドウィンが、トリガノメトリー (Triggernometry) というポッドキャスト番組に出て、長めのインタビューに答えていたので、その一部を訳してみた。

 

昨年12月のUK総選挙の総括だけにとどまらず、英国と米国の左派/保守派の今後の動向、取るべき戦略について語っています。特に、英国の保守党が今後、政策を通すだけに満足せず、マスコミや教育機関の左派支配に挑戦していくことになるだろう、という話がおもしろかったです。

 

トリガノメトリーのホストは、コンスタンティン・キシンとフランシス・フォスターという2人のコメディアン。特にキシンは、行き過ぎた左派への批判で、英国において人気急上昇中。

 

(翻訳ここから)

 

(1)2019年までに何が起こったかと言えば、2つの主要政党が占拠されたということだ。左派に目をやれば、労働党は社会的/文化的に非常にリベラルなバラモン左派に占拠された。彼らは、アイデンティティ・ポリティクス(訳注)に熱心で、経済的再分配には特に興味はなく、一流大学出身で、エリートの社会ネットワークの一員で、グローバライゼーションの影響からはほぼ隔離され、美徳や道徳的な優越性を表現することのみに興味を持ち、労働者との階級的/経済的連帯には興味を示さない人々だ。

 

一方、右派の方に目をやれば、保守党や中道右派政党は、商人エリート/ビジネス・エリートに占拠された。規制緩和、経済的リベラル主義、自由市場資本主義の強引な推進にしか興味のない人々だ。これによって、世界中の大多数の人々の声を代弁する政治家がいなくなる。

 

そういう意味で、ピケティの議論は説得力がある。平均的な有権者は、本能的に経済的な保護をもう少し欲しいと思い、それと同時に文化的な保護ももう少し欲しいと思う。それが、現時点の勝利の方程式だ。私の考えによれば、運転席に座っているのが文化で、経済は助手席に座っている。経済が重要でないというわけではないが、文化ほどではない。

 

これについて興味深いことは、ボリス・ジョンソンとドミニク・カミングズ (訳注: ジョンソンの首席補佐官) が、これ (訳注: 商人エリート的な考え方) だけでは十分な議席を得られないと認識したということだ。ベンジャミン・ディズレーリ (訳注: 19世紀後半に英国首相を務めた保守党政治家) やサッチャーという保守政治の伝統に戻る必要があった。これによって、EU離脱票が多かった選挙区において労働党の議席を奪うことができた。

(訳注: アイデンティティ・ポリティクスは、性別、人種、性的指向など、特に社会的に抑圧されているとされる特定のアイデンティティに基づいて集団の利益を代弁して行う政治活動。保守派からは、マルクス主義の階級闘争をアイデンティティ闘争に置き換えたに過ぎないと批判されることも多い)

 

 

(2)欧州のいくつかの中道左派政党が行ったような、現実的な調整を労働党が行わないのなら、この断片化した有権者を再びまとめることはできないだろう。一部の学識者は「あなたは白人優越主義や白人ナショナリズムを正当化または常態化しようとしている」などと論じるかもしれないが、これこそが問題の一部である。なぜなら、労働党や左派政党は、社会について最も極端な解釈を行う思想家、つまり、60年代以降のアイデンティティ左派思想学派を最も強く信じる人々と強固につながり、彼らの影響を受けていることが多いからだ。

 

労働党が最初に行うべきことは、話をする相手を総取り換えすることだ。なぜなら、コービンや現在の労働党を生み出した思想家たちは根本的に失敗したからだ。英国の現状や方向性についてまったく異なる解釈をする思想家やアナリストと話をするべきだ。快適でいられる場所から外に出るべきだ。2016年以降、リベラル左派は、快適な毛布で自分たちをくるんでしまったと私は思う。ケンブリッジ・アナリティカ(訳注)、ロシア、ブレグジット、コービン、巨大なブレグジット・バス、3億5千万ポンド(訳注)

 

一歩下がって、地下深くを流れる水が私たちの社会をどのように変えようとしているのかを考え、こうした新しい緊張をリベラル左派の有権者に紹介しようとする人はいなかった。こうしたことを始めるまで、政権を取り戻すためのロードマップを描くことはできない。同じところをぐるぐる回っているばかりで、政治における新しい基本的なルールを見つけた右派がしばらくの間、主導権を握るのを許すことになるだろう。

(訳注: ケンブリッジ・アナリティカは、かつて存在した英国の選挙コンサルティング会社で、Facebookの個人情報を不正に取得したと疑われている)

(訳注: ジョンソンは、ブレグジットのキャンペーンで、赤い巨大なバスを用意した。その側面には、「英国は毎週3億5千万ポンドをEUに送っている。そのお金を国民健康システムに回そう」と書かれていた。この金額が正確かどうかが大きな議論の的となった)

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(3)英国の政治について私が心配しているのは、野党の弱さとまとまりのなさだ。2016年以降の環境では、社会的に保守的な世界観が支配的である。EU残留派やリベラル左派陣営は、基本的に断片化し、分断されている。これは良くないことだと心の底から私は思う。生き生きとした強い野党が必要だと思う。

 

リベラル左派政党の現在の問題は、多数派を得た保守党が、(今回の選挙で)文化戦争に勝利したとはいえ、文化的な主導権を決定する戦争には勝利していないということだ。したかって、保守党は今、より深い問いを投げかけようとしている。政策プログラムについてだけでなく、「一部の報道機関や教育機関においてリベラル左派が優勢であること、また、ハイカルチャー、ソフトレフト(訳注)の規範などに対して、どう巻き返していくか?」という問いだ。

 

選挙直後の現時点では、左派が直面する課題は選挙に関するものだ。しかし、彼らはこれから根本的に知的で文化的な挑戦に直面することになる。今回の選挙の後、保守党はこうしたことに本当に意欲的になっている。「長期的に文化戦争に負けるのであれば、選挙に勝っても意味がない。主要な組織や教育機関などは、いまでも私たちの長期的な成功や信頼性を蝕む考え方に支配されている」。ジョンソン政権は、おそらくサッチャー時代以来、ほとんどの保守党政権よりも踏み込んだ姿勢を見せると私は思う。「政策を通すだけでは十分ではない」。このポッドキャストであなたたちが議論しているような様々なトピック(訳注: たとえば、アイデンティティ・ポリティクス)について「巻き返しが必要だ」とね。

(訳注: ソフトレフトは労働党内の一派で、ニュー・レイバー一派よりは左で、社会主義者一派よりは右)

 

 

(4)2020年の米国大統領選挙において、トランプには本質的な優位性(訳注)がある。彼は、経済的保護主義と中国に強硬に出ることを主張している。壁を作り、移民を制限することで、文化的保護主義も主張している。だから、彼には本質的な優位性がある。全米の総得票数という意味では苦戦するかもしれない。しかし、彼が力を入れた鍵となる州では、その本質的な優位性がモノを言う。

 

現在の米国民主党は、コービンや労働党と同様に、文化的な社会リベラル主義でもって経済的再分配を主張している。いや、実際にはもっとひどい。ハイパーリベラル主義だ。ザック・ゴールドバーグ(訳注)や米国のいろんな人のTwitterを見ればわかるように、リベラルな民主党左派の一部は、2016年の選挙結果に対し、リベラルな考え方を非常に極端な形でさらに推し進めることで対抗した。マイノリティにこれまで以上に肩入れし、特に白人の労働者階級の有権者など、自分の味方となるべき集団に敵意をむき出しにし、国境の開放をより強く主張した。

 

これはちょうど、彼らほどではないにせよ、英国のEU残留派が移民や移動の自由を推進したのと同じだ。しかし、これは説得力のある対抗手段ではない。こんなやり方で有権者を取り戻すことはできないからだ。もしトランプが再選を果たせば。。。彼が前回勝つと私が思ったのは、彼がこうした2つの側面(訳注)について話したからだ。これはヒラリー・クリントンにはできなかったことだ。しかし、彼が再選を果たせば、民主党だけにとどまらず、リベラル主義にとっての心理的な打撃はとても大きなものになる。なぜなら、私もいくつかの論点ではかなりリベラルなので、私も含め、リベラルは2016年以降のチャンスを無駄にしたことになるからだ。有権者ともう一度つながり、関係を修復するためのレシピを見つけることに失敗したことになるからだ。それは、壊滅的な打撃になる。

(訳注: ここまでグッドウィンは、文化的な保護と経済的な保護の両方が重要だという話をしていて、トランプは既にその2つを政策に組み込んでいるので、その意味で有利だ、という意味。)

(訳注: 米国の左派のブロガー)

(訳注: 経済的な保護と文化的な保護)

 

 

(5)過去10~20年間で、リベラル左派の間で最も盛んに語られていたのは、移民や大学で教育を受けた中産階級の増加により、リベラルの世界がやがて実現するのは既に決定していることだ、というナラティブだった。このナラティブは、トランプが最初に当選するまではとても人気が高かった。スタン・グリーンバーグ(訳注)や他の民主党員は、トランプが勝つはずなどない、なぜなら新たに力を持ってきたリベラルな多数派がいるからだ、などと主張していた。

 

しかし、リベラルに主導権を握ってほしくないと思っている有権者は、それを「これが最後のチャンスだ」というメッセージとして受け取った。リベラルの総意や価値体系を押し戻す最後のチャンスが今なのだ、と。そして、彼らはそのチャンスをものにした。2019年のUK総選挙も同じ。多くの有権者が、より広範な価値闘争における重大な分岐点だと認識した。だから、政党に対する伝統的な忠誠心を喜んで犠牲にした。この広範な闘争においては、全体としてみれば、おそらくジョンソンの方が賭けるに足るオプションだと感じたのだ。

(訳注: スタン・グリーンバーグは、米国民主党の政治戦略家)

(翻訳ここまで)

 

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英国総選挙: 左派ジャーナリストの記事を訳してみた。「労働党が労働者階級の支持を失ったというのは虚構にすぎない」

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2019年12月に行われた英国総選挙。今回は、左派の主張も聞いてみようということで、選挙の2日前にガーディアン紙に掲載された記事を訳してみました。題して「労働党が労働者階級の支持を失ったというのは虚構にすぎない」。しかし、選挙結果は皆さんがご存じのとおり。

 

筆者のアッシュ・サーカーは、英国のジャーナリスト/共産主義活動家。20代女性。

www.theguardian.com

 

(翻訳ここから)

労働党が労働者階級の支持を失ったというのは虚構にすぎない

2019年12月10日

アッシュ・サーカー(Ash Sarker)

世論調査会社は50年前に作られた社会階層分けの方法で階級を測り、若者の経済的な現実を無視している

イギリスの政治番組を信頼するのであれば、この総選挙で重要な意味を持つ戦場は1種類しかない。サウスウェストの自由民主党と保守党の激戦区など忘れてもよい(うとうとするほど退屈だ)。スコットランド国民党など心配する必要もない。当選してもイングランド人の首相を支えないのであれば、誰が北アイルランドの選挙結果など気にするだろうか。すべての視線が “レッド・ウォール(訳注1)に注がれている。ほんの1か月前には、この言葉を使う者はいなかった。レッド・ウォールとは、労働党が議席を保持し、国民投票ではEU離脱が優勢だった北部やミッドランドの選挙区である。こうした場所には、ワーキントン・マン(訳注2)しか住んでいない。少なくとも、ビクトリア線がまだ開通していない地域に住む人々(訳注3)を澄まし顔で同質化する機会を愛してやまない一部の政治記者はそう信じている。

 

(訳注1: イングランド北部の少なくともこれまでは労働党が強かった一帯。赤は労働党のシンボルカラー)

(訳注2: ワーキントン (Workington) はイングランド北西部にある、かつては炭鉱で栄えた町。あるシンクタンクが、今回の選挙の結果を左右するのは、ワーキントンに住む男性 (に代表されるような人々: 白人、年配、イングランド北部在住) だとした)

(訳注3: ビクトリア線はロンドンの地下鉄の路線なので、単にロンドン以外の場所という意味)

 

もちろん、ブレグジットの文化戦争に直面した労働党が、選挙連合の残留派と離脱派をまとめあげることに苦戦しているのは間違いない。11月末に行われたYouGovのMRP世論調査には、破滅の予兆が現れていた。メインのターゲットである76の選挙区のうち、43選挙区で保守党がリードしているという結果が出たのだ。したがって、この選挙が、労働者階級の有権者を動員する労働党の能力に関する国民投票だと見なされることも、ある程度は仕方のないことだ。

 

日曜日の「アンドリュー・マ―・ショー」で、労働党のグロリア・デピエロが彼女の党は労働者の党であると発言したとき、ジョン・カーティス卿が苦言を呈した。「しかし、あなたの党はもはや労働者階級の党ではない。労働党は若者の党だ」と、英国屈指の選挙学者は口を挟んだ。そして、伝統的な “レッド・ウォール”の有権者にとって、コービンの党は「左に寄りすぎで、社会的にリベラルすぎる」と見られていると付け加えた。労働者階級が社会的に保守的だという考えは、ニール・キノックが労働党党首だった頃とはまったく対照的である。キノックは、“労働者階級の急進主義から距離を置く” ための手段として、意識的に専門職階級に近づいた。しかし、臨時雇いの大学講師としての私のキャリアは、ジョン・カーティス卿の学問的高みには到達していないものの、階級に関するこの論述は、ラテン語を使わせていただけるのであれば、まったくのたわ言(fraff) である。(訳注4: fraff はラテン語ではなくスラング。筆者もわかって使っている)

 

どうしてもそうしたいなら、私を粗野なマルクス主義者と呼べばいい。しかし、UKの若者の経済状況をちょっと見てみれば、”若者” と “労働者階級” を相いれないカテゴリとして扱うのが馬鹿げたことだとわかる。大卒者の81%が、その職業人生の30年を費やして授業料の借金を返済する。18 ~ 24 歳の半分が、一生借金を返すことができないと考えている。30歳以下の全労働者の5分の1 (若い黒人の場合はこの数字は4分の1に上昇する)には、法に反して最低賃金以下しか支払われていない。若者は、ゼロ時間契約(訳注5)で働く可能性が高く、以前の世代に比べて家を持つ可能性も低い。アボカド・トースト(訳注6)などにだまされないでほしい。英国において、収入および資産が乏しい人の過半数は若者なのだ。

 

(訳注5: 勤務時間の保証がなく、雇用主が必要とする場合にのみ勤務する契約。勤務時間がゼロになる場合もあるため、この名称が付いた)

(訳注6: ある豪州の不動産王が、若い人はアボカド・トーストなど食べずに、その分を不動産購入の頭金として貯めるべき、と発言したことに由来)

 

しかし、“労働者階級” と “若者” は、混ざることのない2つの異なる集団だという定説が流通しているのは、1人の選挙学者だけの責任ではない。これは、全国読者層調査(NRS)という社会階層システムに由来する。世論調査会社や評論家が、 “中産階級” と “労働者階級” のことを、もったいぶった言い方でそれぞれABC1とC2DEというカテゴリで呼ぶのを聞いたことがおありだろう。50年以上前に開発され、それ以来変更されていないNRSモデルは、もともとは市場調査で用いられていたものであり、 “世帯主” の職業によって分類が行われる。したがって、ABC1層には、上級管理職から総務の非正規職員までの全員が含まれる。C2DE 層には、熟練/非熟練労働者、失業者、一部の年金生活者が含まれる。問題がおわかりだろうか?

 

英国は、過去50年間に数多くの変化を体験した。マーガレット・サッチャーの時代には製造業と重工業の衰退が、この国の広い範囲から経済的な活力を奪い、階級構成を劇的に変えた。これにより、ガイ・スタンディング教授が呼ぶところの “プレカリアート” が生まれた。これは、低賃金で雇用が安定しないホワイトカラーの労働者の階級である。その収入は非常に不安定であるため、従来の意味で職を持っているとは到底いえない。したがって、肉体労働者と非肉体労働者という分け方は、階級について考える際に意味のある方法ではなくなった。小売業、接客業、またはその他のサービス業で安い賃金で働く人々を、銀行家などと同じ階層 (ABC1)に入れるのは馬鹿げている。

 

しかし、最も重要なことは、NRS社会階層は、財産を測る尺度ではないということだ。したがって、この国で階級がどのように機能しているかを考える際に、年金生活者と失業者を同じ括りに入れるのはまったくもって滑稽だ。お金に関しては、年金生活者は同質的な集団ではない。年金生活者の16%が貧困生活を送っている。民間の借家で暮らしている場合は、これが36%に上昇する。年金生活者は、英国の生活費の高騰によって不相応に大きな影響を受けており、冬が来ると、6人に1人が食料と暖房のどちらかを選ぶことを余儀なくされる。

 

しかし、財産については、英国の年配者と若者の間に、明らかな世代間ギャップが存在するのも本当だ。そして、このギャップはそう簡単に縮まりそうにはない。UKのベビーブーム世代の6人に1人がセカンドハウスを所有しており、 なんと5人に1人がミリオネアである。ローンを組むことができ、過去数十年にわたって低い住宅費で暮らすことができた人々は、若者を締め出す加熱した住宅市場の恩恵を受けるだけでなく、その加熱ぶりをさらに悪化させる。資産で悠々暮らしている年金生活者がC2DEに分類され、借金を背負い、低賃金でカツカツの生活をしているミレニアム世代がABC1に分類されることは十分にありうる。

 

NRS社会階層は、階級を測る目的ではまったく信頼できない。したがって、これに基づいて、労働党が労働者階級の支持を失ったと非難するのは、まったくもって間違っている。実際には、”レッド・ウォール”選挙区の労働者階級の若者を動員することが、この選挙でボリス・ジョンソンを失望させるための鍵になるかもしれない。イースト・ミッドランズ、ウェスト・ミッドランズ、ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー(訳注7)のミレニアル世代は、UKの中で最も急激な生活水準の落ち込みを体験している。

 

(訳注7: いずれもイングランドの地方の名前。9つあるうちの3つ)

 

実際には多様なワーキング・クラスを、地方に住む年配の白人のイギリス人という同質的な集団に落とし込むことが問題なのは、それが根本的に誤解の素となるからだ。それによって、誰に富が集中しているかも、誰が労働党に票を入れそうかもほとんどわからない。ましてや、何十年にもわたる産業の空洞化と中央政府からの慢性的な財源不足に苦しんできた労働者階級の人々の物質的なニーズを満たす方法についてはまったく何もわからない。権力、資金、インフラストラクチャに関する大きな地域間格差に対処することが、”レッド・ウォール” を腐食するブレグジットの威力を中和するための鍵となるだろう。文化戦争における勝者は必ず支配階級なのである。(翻訳ここまで)

 

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